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 自然は恐ろしいスピードで絶えず進化している。それは人間の体内も同じことだ。細胞が分裂し、新たなものが生まれ、必要のないものは死んでいく。単純なサイクルだ。私もそのプログラミングされた循環に加わってしまっただけのこと。花餌というものがどういうものだろうと、自然の摂理に変わりはない。  大森と関わる前の私が考えていたのは、そんな冷めたものだった。彼と生活を共にしているとそれはより強度な考えになっていく。  カインの体についた土を落とし、掃除の行き届いたリビングに足を踏み入れる。フローリングを踏み締めるカインの爪音が響いていた。  キッチンからは真っ白なシャツを美しく着こなす男性、大森眞琴がこちらを見ている。はじめて彼を見たとき、この世にこれを産み落とした女性に嫉妬した。一目惚れとは違う、なにか絵画でも見ているような感覚だったのを覚えている。いや、覚えているというのは語弊がある。朝、目が覚め、まだ生きているという感覚の次に思うほど日常的に大森を綺麗だと見ているのだ。私の心に住うのは、なにも花餌だけではない。 「食べたら薬を飲むこと。約束は守ってね」  麦の色をした栄養価の無いコンフレークは、白い牛乳の中で浮かんでいる。表面に薄っすらと砂糖の溶けた液体が見え、そこに大森がピンク色のバラを散らした。  ここにきた当初より、彼に信頼されるようになったと思う。当時は、足首にGPSがつけられていたおかげで川には入れなかった。心配性が過ぎた彼に、無理矢理薬を飲まされたりもした。 「分かってる」  白い器の中で牛乳の力に負けじと浮かぶ花。大森から差し出されたスプーンを受け取り、その花びらをぷつりと押す。表面張力が失われ、ピンク色に白色が混ざり、牛乳の中に沈んでいく。  この家の中で一番優遇されるのは私だ。カインはダイニングテーブルの下で、伏せをしながら餌が出てくるのを待っている。かたり、置かれた器。大森の絶対的な待ての言葉を守り、よし、の言葉で獣のようにかぶりつく。──good boy(いい子)。カインは気付かないが、確かに大森はそう呟いた。 「花を食べる癖は治らないね」  新聞を広げ、コーヒー片手にそう呟かれた大森の言葉。    奇病として研究が進む花餌が私の体を蝕み始めたのは、大学一年の夏だった。大学受験を終わらせ、上京した年のこと。腹が立った。私の人生を花になんて奪われてたまるものかと、数年で死ぬと言われた絶望の瞬間は足早に過ぎ去り、怒りだけが残った。 「やりたいことはなんでもする」  衰弱していく体と目立つ痣。私が花餌だということは自然と周りに知られていった。その他大勢が理解できないものほど、差別は激しさを増す。奇病に興味を示す目は、憐れみや蔑む負の差別より私を苛立たせた。伝染病という無知な差別は少なかったが、現実離れした噂がひとり歩きする。興味本位の眼差しが一番暴力的だと思った。  研究者に実験台にされるのもいい加減飽きてきたとき、思いついた詐病。花が食べたくなる、花の匂いを嗅ぐと嘔吐し次の日には痣が増える、痣は花の匂いがする。噂と似たような多くの嘘をつき、研究者を悩ませてきた。私なりの死ぬ間際の足掻きだった。
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