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 カインの爪が動く音が聞こえるてくる。ダイニングテーブルの下を覗けば、そこに彼はいない。私のほうが先に食べはじめたはずなのに、器は綺麗に舐め取られていた。バーニーズ・マウンテン・ドッグは、七年から八年が寿命だと聞く。私がこの家に来た時、彼は四歳だった。私が先にこの家から去るのか、カインが先にいなくるのか勝手に勝負をしているのは、私だけの秘密。  鼈甲の眼鏡からこちらを眺める色素の薄い瞳。日本人特有の黒髪に、量産型のおしゃれな服装。ブランド物のシャツは似たような形のものを何枚もストックしている。大森のクローゼットは私には違いが分からないもので溢れかえっていた。彼が端正な顔付きと目立つスタイルをしていなければ、そのコーディネートは胡散臭いインテリにしか見えない。結局、オシャレは顔だ。  大森を見ていると、残酷な社会の縮図を思い知らされる。体内に寄生した花餌を憂うより、そのサイクルから離脱できる死が魅力的に思えてしまう。  私は大森に似合うほど美しくない。 「眞琴さんは自分の癖を直すことができるの?」  無様な足掻きをしたために残った後遺症を指摘され、私も彼が抱える癖について話を切り出す。  大森が読む新聞に私が悩む花餌についての情報は載っていない、進展したとの報告もない。 それと同じように彼の仕事も載らない。目立ちたがり屋の彼は自己のアピールに余念がないが、天才が故に世間は冷たい。現代アーティストの大森眞琴。世間を騒がせる大きな作品を仕上げ、忽然と姿を消し、今では私という普遍的な人間を大切に育てあげている。 「ひとは無意識のうちに癖を行なっている。ごめんね、華。自分のことを棚にあげて君のことを笑ったよ。気をつける」 「ありがとう。分かってくれて」  ふわりと笑った大森。私と大森は似ている。この病があったからこそ彼と仲良くなれたと思うと、不幸中の幸いと言えるのかもしれない。  ひたひたのコーンフレークを嚥下していくと、大森のほうからスマホが流れてくる。テーブルの上をすべり、私の手元に届いた通信機器。私が世界と繋がる唯一のその機械は、数分間使える時間が与えられる。奇病だからこそあらぬ噂から私の身を守りたいらしい。彼が私を大切に育てているのは、なんとなく分かる。度が過ぎるというのはあるが、今この生活にとくに困っていない。親切な彼の不安材料は取り除きたいから、過度だとは言わない。 「シャワーをして、少し仮眠をとるよ。いい子に過ごして」  大森は私の頭を優しく撫で、リビングから出て行った。まるで小さな子供をあやすかのようなその手付き。彼にとってカインと私にあまり違いはないのだと思う。  大森は私の前で食事を取らない。
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