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梅雨の熱気に満ちた六畳間に、壮年の男のうめき声が絶え間なくつづいている。
「う、うぅ、……ひぁッ!」
苦悶に歪む面を上から見下ろす人気刺青師の青藍はニィと口角を上げた。
図案の虎は青藍が決めたものだ。どんなに金を積まれても客の要望など聞きはしない。これはと認めた者に、これと決めた図案を彫るだけだ。
「痛ぇよなぁ、痛ぇはずだ。俺の針に勝る痛みはねぇぜ」
やっと半分彫り終えた背中に何百回目かの針を刺す。三本の針を仕込んだ道具の先を今朝すりたての墨に付け、一と数える間に三、四度も肌を突いては色を入れていく。
今にも飛びかかりそうな虎の牙に針を刺せば、客の悲鳴がまたひぃと上がり、
「情けねぇなぁ。テメェそれでもコレもんかよ」
青藍は頬傷を引く真似をして、布で余分な墨を払った。
道具をすずりに戻して長い息を吐いた。今日の分はこれでしまいだ。大物は仕上げまでにひと月もふた月も掛かることがある。
青藍には夢があった。これはと惚れ込む女の背中に美しい鳳凰を描く夢が。だが彫り物師として名を馳せ六年の歳月を経た今も、なお理想の背中には出会えぬままだ──。
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