おもいだして

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おもいだして

「…………は?」  少女の発した言葉の意味がわからず、間の抜けた声を返してしまう。何を言っているんだ? その内容もわからなかったが、一瞬にして彼女の(まと)う空気が冷たいものに変わったことにも当惑せずにいられなかった。  少女はまだ私を見つめている。その目は冷たく、私を侮るように、嘲るように、暗く重たい輝きが宿っている。寝室は蒸し暑く、汗に濡れた肌はまだぬらぬらと輝いて私を誘っているというのに、こちらを見つめる瞳が明確な拒絶の意思を突きつけてくる。思わずたじろぎそうになるが――いや、いや、いや。  そんなこと、あってたまるものか。  何十年もこの世の伏魔殿とでもいえるような商社に勤め、魑魅魍魎の如き者たちを相手取ってきたこの私が娘たちよりも若そうな小娘に怯えるなど、あっていいはずがなかった。 「何が言いたい……」  そう自分を奮い立たせながら、少女のぐったりと投げ出された脚を持ち上げる。ろくな抵抗もせず、私のなすがままになっているしかないはずの少女から放たれ続ける威圧感が私の心を委縮させる。だが、どうしてそんなことを認められる? 相手は何もしてこないじゃないか、主導権はあくまで私にあるじゃないか……!  脅しつけるように、自身を押し付ける。今ならまだ許してやる、泣け、喚け、詫びろ、隷従の意を示せ……! そうしたら手荒に扱うことだけはしないでいてやる、だから許しを乞え! 視線と態度とでそう伝えたつもりだった。  声は出なかった。それを口に出して言うのはやはり(はばか)られたし、それ以前に、出そうとして声を出せたのかすらわからなかった。  そして彼女の態度は変わらなかった。  彼女は、私がまた力尽きるまでただ見つめてきていた。淫靡に揺れる肢体と絡め取られるような感覚に身を委ねながらも、突き刺さる視線がどうしても私を恐怖から解放してくれなかった。  彼女の上に倒れ込むときも、決して目だけは見ないようにした。でなければ私はもう耐えられなかった。主導権を握っていると思い込もうとしても、少女の眼差しが許してくれない。だから目を逸らした――密着した汗や境界の溶け合う感覚に没頭することで、どうにか彼女に対して抱いているものを忘れようとした。  しかし。 「ちゃんと思い出して? わたしはずっと、ずっとあなたのことを覚えてたんだから」 「――――ぁ、」  吐息や口腔内の水音を聞かせるような囁き。  全身に立つ鳥肌の理由を自問すらことすら許されない。痺れるような感覚に呻いているうちに背けていた顔に手を添えられ、しっかりと向き合わされる。  空洞のような、炎揺らめく釜のような、牙を剥いた獣のような――およそ人がしていていい目ではなかった。見つめられただけで怖気の震う、人に向けるものとは思えない瞳。何を考えていればこんな目付きになる? どう生きていればこんな瞳を向けられる? わからない、わからない、わからない。  さすがにこんな若い娘に心当たりなどない、だがこの少女はずっと私を覚えていた? 何を言っているんだ、どういうことなんだ――あ、え?  いや、まさか、そんな馬鹿な。  ありえない……だが、心当たりがある。  今ではない(、、、、、)かつてこの娘と似た容姿だった(、、、、、、、、、、、、、、)女になら、心当たりはある。  だが、そんなことがありえるか?  もう何十年も前のことなのに、馬鹿な、そんな馬鹿な……!! 「どういうことだ、何故お前がここにいる、山岸(やまぎし)!?」 「――美弥(みや)から聞いたの、もうあんたと別れることにしたって。だから、顔を見に来てやったわけ」  少女――いや、少女によく似た容姿をした人物は。  かつて美弥――私の妻の恋人だと名乗っていた、山岸(やまぎし)ゆかりという女だった。
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