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うすぎたない
美弥と出会ったのは、まだ私が学生だった頃のことだ。といっても彼女が高校1年で私は大学4年だったから、本来なら接点などないはずだった。たまたま私がアルバイトで講師として務めていた塾に、美弥は生徒として通っていた――それだけだったのだから。
ひと目見たときに、「いい」と思った。
外見はもちろん好みだったが、それ以外にもやけに自信なさげな立ち居振舞いも、誰かと話すときいちいち躊躇しておどおどしながら話し出すのも、少し強い口調の生徒と話すとき簡単に萎縮してしまう様子も、都合がよかった。そういう娘なら、いろいろと考えようもある――そう思った辺りから、改めて彼女に近付き始めることにした。いつも何かに悩んでいる様子だった彼女に近付くのは、想像以上に容易かった。
だが、そんなときに立ちはだかったのが美弥と同い年の山岸だった。美弥に近付く私をはじめから敵視しており、ふたりで遠出しようと誘っても度々邪魔してきて鬱陶しいやつだった。
だからあの日、帰ろうとしていた山岸を呼び出して問い詰めたのだ――どうして私の邪魔をするのか、どうしてそこまで美弥に付き纏うのか、と。
その答えが、『彼女の恋人だから』というものだった。私を睨みながら山岸が投げつけてきた言葉が、鮮明に蘇ってくる。
『あんたの美弥を見てる目は薄汚い』
歯に衣着せぬ物言いという言い回しはあるが、あれはそういうものでもないのだろう。その歯には悪意や敵意という衣が着せてあったように思う。だから近付くな――そう罵る彼女も、その瞬間はなんだか妙にそそるものがあった。
だからその後、私は山岸をわからせた。抵抗しても無駄であると、もう山岸の心配などよそに美弥はは私に心を開き始めていると言い聞かせ、だから邪魔などするなと叱りつけながら、じっくりとわからせた。終始泣きながら耐えている風だった山岸は、その後もう私たちのことに口を挟むこともなくなった。そして山岸との距離が離れて嘆いている様子だった美弥を慰めることで、私は彼女を手に入れることができたのだ。その後の退屈ぶりなど当時は知るよしもなかったから、まさに人生の絶頂だったと言える。
山岸はその為の足掛かりだった。もう、私たちの人生にこの女はいらなかった。
だというのに、今になって……!
「顔を見に来ただと? そんな若作りまでして、何が目的だ? ……美弥が出て行ったのもお前の手引きか」
「久しぶりに美弥を見かけたのはもうずいぶん前。昔は可愛らしかった顔がすごく窶れて、今にもどこかに消えてしまいそうで……あんなに自分を呪ったのは初めてだった」
「質問に答えろ、美弥が出て行ったのはお前の仕業なのか?」
それならまたあの頃のように教え込めばいい。力の差を、決して抗うことなんてできないのだという事実を。そうしたら連れ戻せばいいのだ――手荒な真似だけはしたくなかったが、この際仕方がないだろう、引っ張ってでも家に連れ戻す。
もし、こいつの存在など関係なく出て行ったのなら、あるいはこいつに教える気がないのなら…………。
「そんなの教えるわけがないでしょ、この下種」
吐き捨てるような言葉が、胸のなかで渦巻く微かな躊躇を打ち消した。
それなら、もうこいつに用はない。
恨みがましく見上げてくるその顔に、拳を振り下ろした。
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