激怒させる恋

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 児島さくら(23歳)は薩摩隼人の女版みたいな激しい気性を持った鹿児島女で桜島のように時折大噴火する。つまり胆汁質で怒ったらとても怖くきつい一面を持っている。その形相は稀に見る精悍なもので今時珍しい伝法な性格を良く表している。それがまたルックスもスタイルもプロポーションも抜群なものだから堪らなくイッツクールなのである。  彼女はその美的外観を芸術として描いて欲しい願望を異常な程、持っている。なので美術モデル専門の事務所に所属して専ら美術大学造形学部油絵学科の授業のモデルとして働いている。   で、M美術大学に仕事で行った時、油絵専攻主任で画家の水沢晶教授(45歳)に一目惚れしてしまった。学生には求めようがない渋みのある苦み走った表情に男臭さを感じてやられてしまったのである。さくらの眼には彼に比べれば、学生はまるっきりおぼこにしか見えないのである。そんな若輩に描かれても芸術になりようがないとまで思えたさくらは、何としても水沢に描いてもらいたいと切に願った。そうなれば、水沢を自分の虜に出来ると確固たる自信を持っていたが、彼が独身かどうかも分からないので、そこは訊いてみるしかない。で、M美術大学でモデルをするようになって2週間が過ぎた頃、自分にアタックして来た学生の内、一も二もなく断った村西という学生に訊いてみると、彼は意地悪そうな笑みを浮かべながら独身だよと答えた。 「えっ、ほんとに?」 「ああ、何でそんなこと態々訊くの?」 「えっ」と声を上げた瞬間、さくらの花顔にぽわっと赤みが差した。 「おっ、裸になっても然して恥ずかしがらない君が一体どうしたことだい?」 「えっ、何のこと?」 「惚けても無駄だよ。顔が赤くなってるぜ」 「えっ!」 「ヒヒヒ、そうか、分かった。僕が君にアタックしたように君は水沢先生にアタックしたい訳だ。図星だろ」 「そ、そうよ」 「ヒヒヒ、開き直ったな。ヒヒ、アタックすれば、君ならものに出来るかも、ヒヒ」 「何よ、そんなに変に笑って」 「いや、何でもない。ま、兎に角さ、水沢先生は確かに独身だから、ヒヒ、アタックする甲斐も価値もあると思うよ。何たって僕ら学生と違って偉いし、金持ちだからねえ、ヒッヒ」 「全くいやらしい笑い方。私、そんな即物的な目的でしようと思ってるんじゃないわ」 「ああ、そうかい。そのきっと睨む顔がまた好いねえ。ヒッヒ、ま、どんな理由だって良いけどさ、水沢先生は裸体画を描くとしたら女しか描かないからね、その点は頼みやすいと思うよ。理由がふるっててさ」 「ふるってる?」 「そう、ヒッヒ、そこは言わないでおこ。じゃあ、頑張って、またデッサンの時に会おう、ヒッヒッヒ」と村西は相変わらずいやらしく笑うと、忙しいと言わんばかりにその場からさっと去ってしまった。  取り残されたさくらは、ふるってると何故、形容したか真っ先に考えてみた。女しか描かない理由ねえ、普通に考えて女好きってこと、じゃあ、遊び人なのかしら、女遊びする男の人って私、寧ろ好きだわ。よく遊ぶ人って仕事できるって言うし、セクシーじゃない。そんな人を独り占めに出来たら女冥利に尽きるわ。私、絶対そうして見せる。見てくれに自信を持っているだけにそんな風に彼女は一途に意欲満々になった。  不日、果たして思い切りよく大胆にも私の裸体画を是非先生に描いて欲しい旨を伝えた所、水沢は喜んで引き受けた。その笑顔にも魅せられ、一先ず第一関門突破とさくらも喜び、こうなれば、しめたものと自惚れも手伝って早くも水沢をゲットしたかの如くほくそ笑んだ。  それから水沢のアトリエに行けるまでの1週間の間、M美大で水沢と顔を合わせる機会が二三度あったが、奇妙にも水沢はさくらに頼まれる前と変わりなく挨拶をするだけで何の感激も表わさなかった。だからさくらはその度に拍子抜けしてがっくり来たが、独りで寛いでいる時なぞは、な~に、私の裸体を見せれば如何様にでもと思うと、水沢を思いつつ自分を慰めることが出来るのだった。  当日、予め水沢からタクシー代をもらっていたさくらは、約束の時間にタクシーで水沢邸に到着した。初めて目の当たりにして流石は美大の教授が住まうだけのことはあると唸らせるに十分な瀟洒でアーティスティックな豪邸だった。庭園も見事なもので庭師によって良く剪定され、花も潤沢に咲き乱れ、高価そうな芸術性のあるオブジェも合間に飾られている。  まあ、素敵と女心を擽られながらさくらは、門から玄関に続くレンガ貼りのアプローチを取次の家政婦に連れられて歩くのだった。  家政婦に応接間に通されるまでも廊下の凝った意匠に魅せられ、水沢に会うまでのテンションを高めて行った。  さくらはノックの後、入り給えとの水沢の声に導かれて応接間の扉を開けてみると、彼は大学で会う時と変わりなく何の感激も表わすことなくソファに座った儘、向かいのソファに座るよう彼女を促した。  さくらはまたもや期待を裏切られたが、会釈して科を作って笑顔を作りながらソファに座わると、水沢も笑顔を作りながら言った。 「よく来てくれたね」 「勿論ですわ」 「君は女なりに綺麗だし、スタイルも良さそうだから描き甲斐がある」  その物言いにさくらは引っかかるものを感じたものの、「お褒めを頂きありがとうございます」  水沢は頭を重そうに頷いてから溜息をついて言った。 「君のノンケが好みそうな美しさがいかん」 「えっ?」 「いや、君のことを学生が喜びすぎていかん」  さくらは男子学生達の自分に示すいやらしさを二三思い浮かべてから言った。 「そうでございますね」 「んー」と曰くありげに水沢は唸ってからぼそっと呟いた。「悲しいことだ」 「はぁ、そうでございますか」 「嘆かわしい・・・」 「はぁ・・・」  二人はしばらく沈黙した。さくらは水沢の俯きながら沈んで行く顔が病的に重々しく見えて石のように冷たく感ぜられ、つれなくなる彼を見るのが忍び難くなって困った挙句、四辺をきょろきょろ見回し、壁に飾ってある絵画や一幅やタペストリーを仕方なく眺めるのだった。何なんだ、この気まずい雰囲気は・・・さくらには全く以て不可解でならなかった。  その後、さくらは仕事の報酬のことを訊き、短時間高収入悪くないだろと言われ、ええと恐れながら答えるのみで内心、全然嬉しくなかった。何となく水沢を不気味にさえ感じていた。まるっきりさくらの訪れを嬉しがっている素振りが見えないのだ。それでも脱いで見せればとさくらは水沢の心を動かす為なら幾らでも大胆な気持ちになれるのだった。  それからアトリエに行き、脱ぐ段になっても水沢は氷のように冷静に落ち着き払って只、絵画に対する情熱だけを燃え盛る炎のように漲らせるばかりでさくらが期待したように心を動かすことはなかった。  デッサンは15分ばかりであっという間に終わった。水沢の集中力はすさまじいものがあり、さくらの裸体を隅から隅まで一瞬の内に把握したようだった。もうさくらの裸体を見ずともデッサンに手直しを加え、色を付けて行き、タブローに仕上げることは可能だった。 「さあ、もう服を着て良いから帰りたければ直ぐに帰ってもいいよ。金は約束通りネットバンキングで振り込んどくから安心したまえ」  さくらは唖然として仕方なく衣服を身に付けた後、この儘引き下がる訳にも行かず持ち掛けた。 「あ、あの、先生」 「何だね」 「あの、私の体、どうでした?」 「良い被写体だったよ。中々ね」 「そ、それだけ、ですか?」 「何か、不満でもあるのかね?」 「い、いえ、あの」とさくらは言った所で自分からこんなことを訊くのは憚られたが、訊かざるを得なくなって、「私の大きなおっぱいはいかがでした?」 「普通に二つあるね」 「は、はぁ?・・・」自分にとって余りにも惨い仕打ちとも言うべき不感症的反応にさくらは開いた口が塞がらなかった。  実は水沢は性的不能者でおまけに男色と来ているからさくらの裸体を見ても興奮しないし、逆に男子の裸体を見ると、興奮し過ぎて描けないし、また男子生徒を小姓のように扱い、交わることもあった為、さくらが男子生徒に好かれることに悪感を抱いたし、村西が水沢を好きになるさくらを面白がった訳である。  この事実を知ったならその性質からしてさくらは骨折り損のくたびれ儲けの恋をさせた水沢をこの上なく不快に思い、憤懣やる方なくなり、その思いをぶつけるべく何らかのどぎつい復讐を食らわすだろう。  だから止せばいいのに村西は件のことがあってから数日後の或る時、さくらを捕まえると、にやにやしながら持ちかけた。 「随分、大胆なポーズを取らされたねえ」 「えっ?」 「水沢先生に描いてもらったんだろ」 「えっ?何で知ってるの?」 「僕さあ、水沢先生の家に時々招待されるんだけどさあ、こないだ行った時、君を描いた絵を見せてもらったんだよ」 「えっ、あなた、水沢先生にそんなに優遇されてるの?」 「僕だけじゃないよ。何せ水沢先生は、ヒッヒッヒ、もう言っちゃおっかなあ・・・」と村西は勿体ぶってから言った。「あの、ところで君は水沢先生にアタックしたんだろ」 「えっ・・・」 「ヒッヒッヒ、分かってるよ。駄目だったんだろ。あんなに頑張って大胆なポーズを取ったのにその甲斐もなくねえ」  そう馬鹿にしたように言われた途端、顔を赤鬼のように真っ赤にしたさくらは、強烈な往復びんたを村西に食らわしたのだった。彼女は断じて侮辱する男を許さないのである。 「何であなた、何もかもお見通しのように言えるのよ!」  村西は頭がくらくらしながら痛い痛い両頬を擦り擦り、鬼の形相のさくらにびびりながら言った。 「あ、あの、これは僕が悪いのじゃなくて水沢先生が悪いのであって実は水沢先生はげ、ゲイなんだよ」 「げ、ゲイ?!」 「うん、だからさあ、僕ら男子はその趣味がないのに水沢先生に付き合わされてさ」と村西は言うと、少し躊躇してから言った。「つまりさ、水沢先生は女を好きになる訳ないんだよ」  すると、「何で教えてくれなかったのよ!」とさくらは村西に雄叫びを上げたかと思うと右手に握り拳を作ってストレートパンチを放った。それを左頬にまともに食らった村西は、キャン!と小犬のような悲鳴を上げるや否や脆くも床に崩れ落ちた。 「まあ!私ったらこんな酷いことをして!」とさくらは流石に悪びれると、さっとしゃがんで村西を抱き起した。「ねえ、大丈夫?ごめんなさいね、しっかりして!」と優しく呼びかけられた村西は、ぼんやりとした意識の中で痛みが有耶無耶になる内、夢見心地になり、遂には幸せな気分になるのだった。    
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