139人が本棚に入れています
本棚に追加
4月 : この手は甘味を口に運ぶ為にあります
───甘いものが好きだ。 デザート、スイーツ、甘味、菓子、糖分。色々言い方はあるけれど、心が沸き立つあの煌びやかで繊細な芸術的外見から、口に入れた瞬間に幸福成分で包まれる感覚。
専門店のショーケースに並ぶ高価な宝石。工場生産だって、手に取りやすく高級感のあるアクセサリーのよう。それは目視できる幸福。中毒性があるその存在は、唯一無二だと思っていた。
甘さの過ぎるものは、身体だけでなく心も緩慢に熱を帯びて溶かしてしまうのである。
例え、そんな〝多幸感を含んだ甘さ〟と同じ世界で、不釣り合いな現実が目の前で荒ぶっているとしても。
「───俺らもさぁ、やられっぱなしだとさぁ、プライド?ちょー傷付くんだよね」
「つーわけで、ちょっと痛い目見ろよ」
「恨むんなら幼なじみを恨めよー」
まるで進学校に似つかわしくない下品丸出しな笑い方である。先週気まぐれで観たドラマに出ていた当て馬だったか悪役だったかに似ていた。あれは、まったく潔くて心地良さすら感じるほどのゲス演技だったな、と諒は思い出した。
しかし嘲笑とは知的な男前がやるから格好がつくのに、と呆れた溜息を吐きかけて飲み込んだ。
生ぬるい風に、バラついた長さで片目が半分隠れるほどの焦げ茶色の髪が揺れる。洒落こんでワックスを付けたヘアスタイルも、春の強風で変なクセがついてしまいそうだった。日中の日差しで耳朶のピアスが光る。
思春期真っ盛りな高校生たちが過ごす昼休みの最中、校内の喧騒は今いる屋上まで届いていた。折角買った昼食は購買の白いビニールの中で大人しくしているというのに、目の前の男子生徒6人は口々に不平不満を訴えてくる。諒は聖徳太子ではないので聞き取れないが、そもそも聞く気もなかった。
しかし参ったな。
諒は黙って6人の様子を観察する。
購買から教室に戻ろうとして廊下で呼び止められた時は同じ学年の3人だけだったが、ついて行った先の屋上では更に3人増えた。屋上待機組は今か今かと健気に自分の事を待っていたと思うと、何とも可哀想なものを見る目になってしまいそうだ(実際向けていたかもしれない)。
屋上待機組は呼び出し組とネクタイの色が違っていた。声をかけてきた3人は諒と同じ2年生を示す深紅で、待機組は深緑のネクタイ。
この南ヶ丘高校では深青、深紅、深緑の3色でローテーションされる。現在の深緑は3年生の証なので、来年は1年生が深緑になる。
進級したばかりで、さらに3年ともなれば進学でも就職でも去年に増して多忙なはずなのだが、しかし彼らはそれよりも今の方が大事らしい。今後を考えると益々哀れだった。一時的な己の矜恃を保持するために、将来の貴重な有益を僅かでも捨てることになるだろう。
それぞれ体格の良い6人は、誰が見ても諒を圧倒する外見である。しっかり鍛えているということは、趣味なのか部活関係か。
後者に一票、と自問自答した所で、諒は見覚えのある手前の先輩を認識した。金髪を上手くセットした、所謂雰囲気イケメンと称される類いの男だ。
「ぼけっとしてんじゃねー、よっ!」
風を切る音と共に向かって来た拳だが、諒は体ごと横へと移動させて避けた。ちょっと思い出しかけてる時にそういうのはやめてほしい。
容易に避けられた事で更に腹を立てた金髪の3年は、咄嗟に足を横に振るもののそれも距離を取られて空ぶった。
そういえば、と諒の中の数多ある記憶でひとつの事件が顔を出した。
1年生の終わり、つい最近のことだ。幼馴染み2人のうち1人が、男子生徒の集団に襲われる事件があった。幼馴染みは2人とも男なのだが、共学なのに何故かと問われたら、その襲われた方は私服だと(たまに制服でも)必ず女性に間違われる容姿だからである。声も少し高いから、生物学上も男だと言っても信じない人すらいる。
現在複数人と対峙している仁科諒、女性と勘違いされる望月伊織、遊び人の風貌である北条多貴の3人は、言葉を喋る前からの付き合いである。
性的に襲われるのはいつも伊織だったが、その時は多貴が全員容赦なく潰したので未遂で事なきを得た。あとから合流した諒が伊織に制止されなければ過剰防衛になっていただろう。
そしてその集団の中に、現在諒に殴りかかって来ている彼らがいたはずだ。
そうか、あの時の。
「っ、ちょこまかと…!」
何度も拳や蹴りが向かってくるものの、最低限の動きで避けていく。
いやしかし、伊織に止められて参加しなかった自分に今更集団リンチを仕掛ける理由はなんだろう、と疑問する。
多貴ひとりにあっさり倒された腹いせか。あの2人と一緒に居て、多貴より弱そうで、どうも見た目が貧弱らしい自分に白羽の矢が向けられたのだろうか。
確かに諒は身長は平均的で、甘いものが大好物でありながら細身を保っている。本人に自覚は無いが、現代的なアイドル顔でもあるので、喧嘩とは無縁に見られてしまうのも仕方なかった。
理不尽な報復であると独断で答えを出した諒は、そこで避けることを止めた。ちょうど相手の拳が頬を直撃して頭が揺れる。衝撃と痛みの後に少しだけ鉄の味がした。
「ったー・・・」
まともに食らえばやはり痛い。諒は暴力的な痛みをなるべく避けたいタイプだった。
最初のコメントを投稿しよう!