2019年10月13日(日)

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2019年10月13日(日)

 陽気な船乗りたちに助けられ、アメリカの東海岸を船で北上した真留子(まるこ)はついにニューヨークの土を踏んだ。十九世紀末には既に東部でも指折りの大都会として発展していたニューヨークは、当時からたくさんの人の出入りがあったようだ。  そこへ日本の田舎から遥々やってきた真留子はいわゆる「おのぼりさん」で、初めのうちは街の大きさや人の多さにしきりと感嘆の声を上げていた。  が、ノーフォークから一緒に渡ってきた船乗りが、街で聞き込みしたメキネズなる人物の住所を書いて手渡すと、途端にはっと当初の目的を思い出し、 「私、ここへ行けばいいのね。ここに行けば、お母さんに会えるのね!」  と声を弾ませる。ほんのわずかではあるものの、船旅の間に互いの言語(ことば)をいくらか解せるようになった船乗りたちは「イエス!」と笑って、別れを惜しむ真留子を港から送り出した。  彼らがくれたメモを胸に抱き、駆けてゆく真留子の足取りは軽い。飛ぶように舞台を走り抜け、(そで)へ入ったと思ったら、一旦照明が落ちてまたともる。  その間に暗闇の中を忙しなく人の行き交う気配があり、ライトが再び壇上を照らしたときには、背景にあった自由の女神は退場していた。  代わりに西欧風の大きな屋敷が描かれたベニヤ板が舞台に佇み、そこへ真留子がやってくる。暗転中に流れた横山(よこやま)のナレーションによれば、真留子は船で覚えたたどたどしい英語を駆使して人々に道を尋ね、ようやくここまで辿(たど)()いたという次第のようだ。 「すごい……なんて大きな家だろう。メキネズさんという人は、きっととんでもないお金持ちなんだわ。お母さんは、そんなお金持ちの人に助けてもらったんだ。なら、(ねえ)さんの言ってた病気もちゃんとしたお医者様に()てもらえて、もうすっかりよくなってるはず。やっと……やっと、お母さんに会えるんだ!」  門前でそう声を弾ませた真留子は早速元気いっぱいに、 「エクスキューズミー! 誰か、誰かいませんか!」  と屋敷へ向かって呼びかけた。すると反対側の袖からほどなく、今度は赤毛の(かつら)を被ったアメリカ人風の男──に(ふん)した背の高い白女生(はくじょせい)──がやってくる。 「どうしたんだい、坊や」 「あの、私、日本から来た、真留子いいます。ここ、メキネズさんのおうち、間違いありませんか?」 「ああ、そうとも、ここはメキネズ様のお宅だ。君は日本人だね。ひょっとすると杏奈(あんな)を訪ねてきたのかな?」 「あっ……あなた、今〝アンナ〟と、〝アンナ〟と言いました? アンナ、私のお母さんです! お願いです、お母さん、会わせて下さい、今すぐ!」  なるほど。どうやらここからは、台詞は日本語であるものの本来はみな英語を喋っていて、真留子も片言の英語を話しているという(てい)でいくらしい。  演劇では映画のように台詞をみな英語にして、代わりに字幕をつけるという手法が取れないから、観客のためにも台詞を覚える役者のためにもそうした方がいいと判断したのだろう。  真留子役の生徒はそのあたりの演じ分けがとても上手で、真留子が懸命になけなしの英語力を(ふる)っているのだと、日本語ながらに理解できる。ところが真留子の懇願を聞いた男はちょっと困った顔つきをするや、何やら考え込み始めた。  身なりや言葉遣いからして、恐らくは屋敷の使用人なのだろうと推察される男はしばしうろうろと壇上を歩き回ったのち、驚愕の事実を真留子へ告げる。 「すまない、坊や。実は杏奈は、もうここにはいないんだ。杏奈の病気を診てくれるはずだったお医者様は今、シカゴに滞在中らしくてね。ニューヨークへは当分戻らないというから、仕方なくメキネズ様も彼女を連れて、先日シカゴへ向かわれたんだよ。ノーフォークのお医者の見立てでは、杏奈の病気を治すには手術が必要だというから、当分戻らないのではないかな」 「そ……そんな……」  使用人の話を聞いた真留子は愕然として、がっくりと膝を折った。何しろここへ来れば、会いたくて会いたくてたまらなかった母にようやく会えると信じ切っていたのだから無理もない。されどそんな真留子の様子を見て、使用人は大層慌てた。  彼は「大丈夫か」と声をかけながら真留子に駆け寄ったのち、ショックにうちひしがれる彼女を覗き込み、事情を察したように言う。 「坊や、しっかりするんだ。そう気を落とさないで。メキネズ様ならきっと君のお母さんを助けて下さるよ。あの人は本当にお優しくて頼りになる方なんだ。だからメキネズ様がすっかり病気のよくなった杏奈を連れて帰るまで、君もニューヨークで待つといい」 「でも……でも、私、街で何日も過ごすお金、ありません。それに、お母さん、今も、病気で苦しんでいる、ですよね? なら、私は……私はお母さんのところ、行きたい、今すぐに! 教えて下さい、シカゴは、どうしたら行けますか?」  やがて顔を上げた真留子は必死の形相で使用人に()(すが)った。  すると使用人はまたも困った顔をして「弱ったな……」と頭を掻く。  だが真留子の真剣な眼差しに射抜かれた彼は、いかにもアメリカ人らしい仕草で肩を竦めると、観念した素振りで両手を挙げた。そうして諦めたように話し出す。 「分かった分かった。だったら明日朝一番で、シカゴへ向かう列車に乗るといい。一番安い三等車両くらいなら、何とか乗れるんじゃないかな」 「列車……ですか?」 「ああ、アメリカが誇る大陸横断鉄道さ。あれに乗れば馬車では何日もかかるシカゴまでの道のりも、たった一日で移動できる。まさに夢のような乗り物だよ」  ──鉄道。そうか、その手があったかと、俺はちょっと膝を打ちたいくらいに感心した。  何しろ西部開拓時代というとカウボーイが馬を駆り、投げ縄を振り回したり拳銃で早撃ち勝負に興じたりしていた前時代的なイメージが先に立つものの、同じ頃イギリスのロンドンでは、既に都市の下を地下鉄が走っていた時代だ。  となれば大陸を横断できるほど長大な鉄道が、とっくに北米の大地に敷設されていたとしても何ら不思議はない。この頃やっと明治維新の混乱も治まって、(おく)()せながら文明開化の波に乗り始めていた日本とはわけが違うのだ。  かくしてアメリカにはそのような画期的交通手段があることを知った真留子は、 「それじゃあ明日、朝、出発すれば、お母さんに追いつける、そうですね? だったら私、行きます、シカゴへ! どうもありがとう!」  と、メキネズ邸の使用人の提案に乗ることにした。そしてまた舞台は暗転し、甲高い汽笛の音色が会場にこだまする。ほどなくガタンゴトン、ガタンゴトンと聞こえ始めた列車の音に乗せ、物語の案内人たる横山の声が響いた。 『こうして真留子は、同じように西を目指す移民でいっぱいの列車に乗り込んで、翌朝ニューヨークを発ちました。座るところもないくらいぎゅうぎゅうの車内で一夜を明かし、ほとんど丸一日列車に揺られ続けるというのは思った以上に大変でしたが、シカゴにさえ着けばお母さんに会える、そうしたらお母さんはどんなに喜んでくれるだろうと思えば、慣れない列車での旅もまったく苦になりません。おまけに同じ客車の中には、自由の国アメリカでひと(もう)けすることを夢見てやってきた外国人がたくさんいて、真留子は(つたな)い英語を使い、彼らと友達になりました。乗り合わせた移民の多くはヨーロッパの国々から来た人がほとんどでしたから、日本生まれの真留子は珍しがられ、誰もが気にかけてくれたのです──』  ……真留子のコミュ力、恐るべし。  いくら母親のためとはいえ、たったひとりで日本を飛び出してきた時点で度胸も行動力も人並み以上だとは感じていたが、横山の生み出した少女真留子は旅を経るごとにより(たくま)しく、したたかになっていくようだった。  ところが真留子のシカゴ行きによって劇もようやく折り返しに差しかかろうかという頃、俺はある異変に気がついた。スピーカーから流れる横山のナレーションが序盤よりもやや早口で、間の取り方にも少々粗が目立ち始めたのだ。  ひょっとすると、当初の予定より時間が押しているのだろうか。確かコンクールの上演時間には制限があり、一時間を超えた時点で失格になると君が話していたような……と思いながら、俺はさりげなくスマホをポケットから出して画面を点灯させてみた。  ロック画面に浮かび上がったデジタル時計の表示は十三時三十三分。  プログラムでは、白女演劇部の上演開始時刻は十三時十分となっていたから、間もなく三十分が経過する計算だった。  俺は事前に脚本を読んだわけではない。ゆえに原作の知識を基準に推測する他なかったが、これはちょっとまずいのかもしれない、と感じたのを覚えている。  君からは本番前に、横山が最初に持ち込んだ脚本を削りに削って何とか一時間以内に演じ切れる内容にしてくれたと聞いていたものの、それでもかなりギリギリの調整だと言っていたから、俺まで不安に駆られてきたのだ。  特に横山は舞台の上の役者たちとは違い、秒数を刻むストップウォッチを凝視しながら裏で語り部を務めていたわけだから、誰よりも早く進捗(しんちょく)の遅れに気づいて焦り出したのも無理はないだろう。  そして恐らくそこから白女演劇部全体に「このままじゃまずい」という共通認識が芽生え始めた。同じように役者たちの演技にも焦りが見えつ隠れつし出したのだ。  ほどなくシカゴに到着し、列車を飛び降りた真留子は、一刻も早く母親に会いたくてたまらない──というよりは、悪漢か何かに追われているような面持ちで駅から駆け出した。そうして通行人に道を尋ね、一度袖へと引っ込むと、ほとんど呼吸も置かずにまた舞台へ飛び出してくる。  反対側の袖から引き取ろうとしている通行人役の部員が、まだ壇上にいるにもかかわらずだ。それを見た医師役の部員が、通行人役の部員が完全に引っ込むのを待たずに慌てて中央までやってきた。  黒いモーニングコートに口髭(くちひげ)と片眼鏡。医者というよりはどこかの執事みたいな身なりの男だが、真留子は彼の姿を見つけるなり、挑みかかるような勢いで声をかける。 「あの! 私、日本から来た、真留子といいます。ここに、メキネズさん、いらっしゃいますか? 私のお母さん、一緒に!」 「あ、ああ……ひょっとして、君はメキネズ氏が連れていた日本人の家族かな?」 「はい……! あの、お母さん、無事ですか? 病気で、手術が必要と聞いて、会いに来ました。とても急いで!」  執事風の医師は真留子の事情を聞くと、たちまち顔色を曇らせた。おや、この反応は確かひと幕前でも見たようなと、観客の多くはそう思ったに違いない。  そして原作を知らない客もここに至って、ようやく理解したはずだ。  『母をたずねて三千里』というタイトルは、単に母親を追って三千里の海を渡ったという意味ではないのだと。 「君……名はマルコといったね。残念ながら君のお母さんの病気は、私では治せそうになかったんだ」 「えっ……」 「とても難しい手術が必要な病気でね。私の腕では到底成功させられる見込みがないと、メキネズ氏にも申し上げたよ。どうしてもとおっしゃるなら執刀しないこともないが、患者の命の保証はしかねるとね」 「そんな……じゃあ、お母さん、どうなるですか? 助からないですか!?」 「いやいや、落ち着きなさい。確かに私の腕では助からないかもしれないが、古い医者仲間にひとり、神の手を持つと評判の外科医がいる。彼ならばあるいは君のお母さんを救えるかもしれない」 「そ、そのお医者様、どこいますか? お母さん、診てくれますか?」 「もちろん。忙しくあちこち飛び回っている男だが、私の紹介状があればきっと君のお母さんも診てくれるはずだ。メキネズ氏にもそう言って、先日、彼に宛てた手紙と紹介状を渡しておいたよ」 「ああ、ありがとう、お医者様! では、どこ行けば、お母さん会えますか?」 「うむ……ひょっとして君は、母親を追いかけるつもりかね? だが彼の居場所はとても遠いんだ。君のような子どもがひとりで行ける距離ではない」 「え?」 「カリフォルニア州サンフランシスコ。君のお母さんは、メキネズ氏と共にそこへ向かった。だがシカゴからサンフランシスコまでは、距離にして三千キロもある。鉄道にでも乗らない限りは、とても会いにゆかれないだろうね」  医者が告げたこのひと言が、またも真留子を失意の底へ叩き落とした。  まったくもって無理もない。何故なら真留子はニューヨークからシカゴへ来るために、持ち金をすべて使い果たしてしまっていたのだから。
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