ヒドインと元王太子の幸せな末路

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「……ねぇ。なんで、そんなに楽しそうなの?」  リリーには目の前に座る男、元王太子エイダンのことがさっぱり理解できなかった。  話は一週間前に遡る。  豊かな生活をしたいという願望を持つリリーは、お金持ちでそこそこの貴族、カルガン家の養女になった。当主はリリーの美しい容姿を利用して、王太子を誘惑させ、彼女を王太子妃、のちのちは王妃にする予定だった。  王太子は頭が弱く、本来ならば賢明な第二王子が王にふさわしかった。けれども、兄弟同士の殺し合いなどが続き、五十年前、王位継承権は長子を優先することを王国憲章に定めた。  王国憲章は神の言葉とされ、簡単に変更されるものではなかった。    カルガン家当主アイバンの思惑通り、王太子はリリーに夢中になり、言いなりと化した。けれども彼には婚約者がおり、邪魔に思った当主アイバンはリリーに命じて事故に見せかけて殺させようとした。  リリーはお金が大好きで、豊かな生活を維持できるからとアイバンの望むまま、王太子を誘惑した。婚約者のグレースに自主的に婚約辞退をさせようと多少の意地悪もしてきた。  けれども、命を奪うなどとんでもないと拒否した。  不服な当主アイバンにリリーは、王太子にグレースとの婚約を破棄させるからと納得させ、その計画を断念させた。  そしてついに、王太子は己の誕生会でグレースとの婚約を破棄すると宣言。  喜んだリリーであったが、事は彼女を不幸に陥れる。  グレース側がリリーがしてきたささやかな意地悪を暴露し、しかもアイバンが計画していた殺害計画まで話したのだ。  王太子はリリーがそんなことをするわけがないと庇ったが、無駄であった。しかもリリーを思うばかりに、グレースを貶める発言を繰り返し、とうとう王がブチ切れた。  王太子は身分を剥奪、平民に落とされた。  カルガン家は取り潰され、一家は辺境に送られることになった。  リリーと言えば、なぜか辺境送りは免れ、平民暮らしをすることになっている。 「楽しいよ。とっても。やっと邪魔な身分から解放され、こうして自由を得たもの。ただ利用するつもりの君がとっても可愛くて離し難い」 「利用?」  リリーはエイダンの話す意味がさっぱりわからなかった。  というか、こんなにハキハキと話す彼を見たのは初めてだった。  エイダンは頭が弱いという噂通り、勉強はしない本は読まない。遊びに興じるだけの無知な男だった。話しかけても答えが意味不明で、困惑することが多かった。  それでも諦めず、リリーはエイダンを誘惑し続けた。 「やっと素の君に戻ってくれて嬉しいよ。いいことづくめだね」 「素の私?あんた、私のことわかっていたの?」 「当たり前だろ?一生懸命、庇護欲を誘うような女の子を演じていたけど、その後ろで舌を出していたのは知っていたよ。まあ、僕も遊びに興じる王太子を演じるのが疲れるので気持ちはわかったけど」 「え?あんた演技だったの?」 「そうだよ。結構疲れるんだよね。ああ、やっと解放された。ネイサンが無事に王太子になれ、グレースが王太子妃。これでこの国も安泰だよ」  エイダンは楽しげに笑う。  リリーは混乱して、頭をかきむしりたくなった。 「どういうこと?」 「僕は本当に王なんてなりたくなかった。その点、ネイサンは王になりたかったんだよねぇ。だから、僕たちは計画を練ったんだ。僕の身分が剥奪されて、ネイサンが王太子になる計画を。グレースが僕の婚約者になったり、本当面倒なことが続いたんだけど、君が現れた。だから利用させてもらうことにした」  ネイサンはエイダンの弟で第二王子だった。  頭脳明晰、武芸にも秀でていて、なぜネイサンが王太子ではないのだろうと貴族から声が上がっていることをリリーは知っていた。  それもエイダンが頭が弱いことが原因だったのだが、目の前の彼は別人のように見えた。  王宮にいたころは、目はいつもどこか遠くを見ており、ぼんやりしていることが多かった。受け答えもしっかりしておらず、陰口を叩くもの、嘆く者が多く見られた。  そんな彼は操り人形にはぴったりであり、カルガン家当主アイバン以外にも接触する貴族は少なくなかった。けれどもアイバンがその上に立った。   「……じゃあ、全部あんたの計画通りってこと?」 「そう。ああ、でも意外だったことが一つだけある。君がグレースの殺害計画に手をかさなかったことだ」 「あ、当たり前だろ?殺すなんて恐ろしいことできるわけがない!」  リリーが誘惑しつづけたエイダンはそこにはいなかった。  目に光を宿して、面白そうに彼女を見ている。  それが面白くなくて、リリーは立ち上がった。 「エイダン様。計画通り自由になりおめでとうございます。私も自由ということでよろしいですよね?辺境送りにならなかったことだけは感謝しておきます」    必死に覚えた貴族のマナー。  今となっては意味がない。  また平民に戻ったのだ。必死に生きていかなければならないとリリーは最後に令嬢としてエイダンに挨拶をする。 「君。お金が大好きなんだろう?僕、結構お金持ちだよ。小さい時から平民として暮らすことを考えていたんだ。だから貯蓄もあるし、投資先で働くことも決まっている」 「だから何だって言うんだ。お金は好きだ。だからカルガン家の話を受けた。そうじゃなきゃ、養子になんてならなかった」  今や、リリーはちょっとした有名人だ。  それも悪い意味で。  王都から離れた場所で暮らすことが考えたほうがいいと、数日街で暮らして実感していた。  養子の話をうけなかったなら、こうして王都を離れることもなかっただろうとかなり後悔していた。親はなくなり孤児であったが、王都は彼女にとっては故郷だ。故郷を離れるのは少し辛かった。 「鈍いなあ。君、僕と結婚しない?だって王太子妃になりたかったんだろう?つまり、僕の妻だ。王太子妃ではないけど、暮らしは保証するよ。ただし、王都から離れるけど」 「……お断りします」  リリーは口調を改め、しっかりと答えた。  目の前の男は彼女の知っているエイダンではなかった。  彼女のエイダンは素直で優しい笑みを浮かべている男だった。  偽っていたのは自分もだが、目の前の人物は彼女の知らない男だ。  いくあてもない。  けれども彼の手は取りたくなかった。 「実は君に選択肢はない」 「は?」  エイダンは戸惑うリリーの手を取り、指輪をつけさせる。 「はい。君は僕の妻ね。それはずれないから」 「卑怯者。私は断っただろ?」 「だから選択肢はないの。あと、君が体を売ったりする姿も見たくないし。僕は結構君を気に入っているんだ。僕のこれからの暇つぶしに付き合ってよ」  リリーの指に嵌められたのは特殊な指輪だ。  妻として認めた女性に贈られる指輪。  素敵な指輪と思われがちだが、嵌められたら一生離縁することはできないし、気持ちが離れて浮気をしようものなら、指輪から毒が漏れて身を滅ぼすという、危険なものだった。  もちろん、結婚指輪は一対になっているのが当然の形で、エイダンの指にもしっかり嵌まっている。   「リリー。僕はお金持ちだよ。王族ではないけど、君に贅沢をさせてあげる。一生だ」  リリーは豊かな生活をしたいという願望を持っていた。  指に嵌められた呪いに近い指輪。  けれども贅沢な一生を送れると思えば、それは呪いではなく祝福の指輪に変わる。 「……よろしくお願いします」 「打算的でいいね。君。まあ、よろしく頼むよ。奥さん」  エイダンはそう言うと彼女の頬にちゅっとキスをした。  王太子時代、何度も彼女から彼にキスをした。  けれども彼からもらったことなく、気がつくと彼女の頬は真っ赤に染まっていた。 「そのうち、お金じゃ買えないものを教えてあげるから。楽しみにして。さあ、馬車が待っている。行こう」  彼に手を差し出され、リリーはその手を取る。  ヒドインの末路もそんなひどいものではない。  どこからそんな声を聞こえてきて、彼女は振り向く。  しかし、声の主は見つからなかった。  ぐいっと手を引かれ、馬車に乗り込む。    婚約破棄を宣言し、身分を剥奪された元王太子とヒドインは王都から追われ、未開の地で暮らすことになった。  悪役令嬢の物語では二人の末路はそう書かれている。  けれども、それは二人にとって幸せな結末だった。
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