天国と地獄

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天国と地獄

eb83d7be-cc30-4ef2-8429-b9f9b4579ce3 17歳で自殺したアウロラ・ブスタマンテとしての一度目の人生を 「前世」 と呼ぶならば 私が前世で失敗した原因は 「社会というモノを判っていなかった」 「人間というモノを判っていなかった」 「生きるということ判っていなかった」 点にあると言える。 つまり無知であったということ。 前世の私は 「事実を事実として知る側の人間」 ではなかった。 それでいてそうした無知はーー 私だけに当てはまる事ではなく 大半の人間に必然的に当てはまる。 人間は必然的に無知に囲い込まれ 必然的に破滅へ誘われ 必然的にやり直しを強いられる。 苦しみとはーー 重力によって低地へ集約された毒ガスのよう。 心理的重力により心理的低地へ集約された瘴気。 それを上手く活用する事は施政術の第一歩。 だというのにーー 私はそうした社会的カラクリに対して無知だった…。 公爵家という高位貴族に生まれて 生まれながらに王子の妃候補だったにも関わらず 妃教育を受けていたにも関わらず 「公爵家とは何か」 「国とは何か」 を分かっていなかった…。 ******************** 諸々の不条理と冤罪。 それらが降りかかり断罪され、17歳で実質女囚刑務所である某女子修道院送りにされた前世の私。 修道院に着いて一人になると早々に自殺を図ったが、予期されていたかのように阻止され、すぐに「改心・更生の見込み無し」との烙印を押された。 そして『幽霊城』と呼ばれる廃城の地下へ送還されたのだ…。 その廃城ーー ガジェゴス城が『幽霊城』と呼ばれる理由は勿論「出るから」だが… 何故「出る」のかに関しては 「社会に絶望した者達の死に場所だから」 と言われていた。 恨みを残して死んだ者達の魂が囚われる廃城…。 「改心・更生の見込み無し」の罪人達がその地下に棲まい、廃城を囲む墓所を清掃・管理する。 『墓守り』と呼ばれる更生プログラム。 ヘスス教の教義において 「自殺すれば天国の門は開かれず魂は永遠に自殺した場所に囚われる」 と教えこまれている。 ゆえに敬虔な信徒であれば絶対に 「『幽霊城』のような怨念の吹き溜まりで自殺などしない」。 自殺以外の死に方で死ねる時まで『墓守り』の役目を果たす事だろう。 だけどあいにくと私は敬虔な信徒ではなかった。 不条理と冤罪が降りかかり 「不可抗力であること」 を誰にも納得してもらえず孤立無縁で女囚として廃城へ送還された。 「全知全能なる神が助けてくださる」 だのと信じられるほどに白痴ではなかった。 「神など居ない」 「天国も地獄もない。死ねば終わりだ」 と信じていた。 だから『幽霊城』のような怨念の吹き溜まりにおいて妙な強迫観念に囚われる事もなく思い切り良く自殺する事ができた…。 「二度と生まれてきたくない」と。 未練すら残さずに人間社会への望みを断ち切る事ができた。 天国も地獄もなく 神も悪魔もいない 倒錯した人間社会。 それに対して 「二度と関わりたくない」 「二度と社会創造に貢献したくない」と 忌避感と訣別意識を持ってしまったから… ありもしない地獄に怯えることもなく、生き甲斐も楽しい思い出もなかった人生を私は自ら断つ事ができた。 何も知らない人々から見れば 「王子妃候補の公爵令嬢が生き甲斐も楽しい思い出も持たなかった」 という事実に対して理解も納得もできないだろう。 「お仕着せの綺麗なドレスを着せられていた」 という点を羨ましがる人々は特に。 「お仕着せの綺麗なドレスを着せられて操り人形のように命令通りに踊らされ冤罪を降りかけられて断罪・処罰される」 そんな人生でのジレンマに 「何も気付かない」 ような人達は特に。 私の姿は 「恵まれた人生を生きて庶民の血税で暮らしながら何の感謝も奉仕心も罪悪感も持たない寄生虫クズ貴族」 のように見えていただろう。 「高慢で底意地の悪い悪女」 という風評が人為創作されれば それを鵜呑みにした大衆から 「処刑しろ!ギロチンにかけろ!」 と憎悪を一身に浴びせられる。 幽閉されていた塔から女子修道院へ送られる際に石が投げつけ続けられ続けていた。 「何処からそんな憎悪が湧いてきたのか」 全く思い当たらない事による驚愕と 圧倒的な不条理感ーー。 上面しか見えない愚衆による『義憤』という名のスケープゴート。 愚衆が、盲目的な大衆が、誤認制裁へと唆され 自信満々に引き起こす人災…。 「自分が標的にされるのでなければいい」 という傍観者達の無責任さ。 そうした醜悪さを見せつけられて 「いつか彼らが自分達が何をしてしまっているのかに気付き、悔い改める日が来るのだとしても、私は絶対に彼らを許せない」 と魂に刻んだ。 「二度と生まれてきたくない」 と心底から(こいねが)った。 それなのにーー 「死んだら終わり」 などではなかった。 死んだ筈なのにーー 死ねてない。 消えた筈なのにーー 消えてない。 「私」という自我と人災被災の記憶。 どうすれば消えてくれるのか…未だに解らずにいる…。
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