危機回避欲求

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危機回避欲求

深い絶望感を相殺するために陥った深い眠り。 魂そのものの眠りーー。 それから目覚めた時。 私は柔らかさに包まれていた。 柔らかい細腕に抱かれていた。 ちゃんと考えればーー 「自分が赤子になっている」 という事も理解できたのかも知れないけど あいにくとーー その時の私の脳裏には 強烈な既視感と危機回避欲求が浮かんでいた。 ふんぎゃぁぁぁぁっ〜!!! 夜の静寂を赤子の鳴き声が切り裂く。 バタバタと人の足音が聞こえてきて 「アウロラ様!」 と声が掛かる。 侍女と護衛が何事かと部屋に入ってくる。 アントリーン公爵令嬢アウロラ・グアダルぺ・シスネロス・ブスタマンテ。 生まれた時点で未来の王子妃候補者の一人と見做されている大貴族の令嬢。 それが私。 そんな御大層な肩書きを持つ私の身に何かあれば… 側付きの侍女達や護衛達の首が飛ぶ。 比喩ではなく言葉のまま物理的に。 制裁が当人達だけで済めば温情もの。 家族・親族に至るまで身辺を調べ上げられ 少しでも怪しいネタが出れば 一族郎党老若男女に至るまで全員公開処刑。 そんな悲劇の引き金になり得るリスクが 「未来の王族候補に仕える者達」 には降りかかっている…。 侍女のカルメラが心配そうに私の顔を覗きこみながら 「いつも大人しくしてらっしゃるのに何があったの?」 と私を抱き上げているバルバラへと尋ねると バルバラは 「さぁ?…少し前に就寝中のご様子を見に来たところ急に苦しそうになさって大声でお泣きになったので、怖い夢でも見てらっしゃるのかも?」 と澄まして答えた。 (そうじゃない!) と私は0歳児ではあり得ない明確な思考で否定する。 そうじゃない。 そういうことじゃなくてーー 私はこの夜を知っている。 私はこの場面を知っている。 私は赤ん坊の時に誘拐された。 だからこそ いつも優しかったバルバラが常ならぬ表情を浮かべ 深夜に私を抱いて部屋から連れ出そうとした事で 激しい忌避感を感じたのだ。 (同じ事を繰り返してはいけない!!!) そんな思いに突き動かされながら カルメラに向かって手を伸ばす。 (バルバラに抱っこされている限り泣き止まないぞ!) というつもりで カルメラに向かって抱っこをねだって泣き続ける! 「あら?アウロラ様は私に抱っこされたいのかしら?いつもはお気に入りはバルバラなのに?」 とカルメラが首を傾げ私に手を伸ばそうとするが 「たまたま怖い夢を見て混乱なさってるだけよ」 とバルバラが私を手放さずにあやそうとする。 ふんぎゃぁぁぁぁっ〜!!! と私は益々声を張り上げて泣き喚く。 阻止しなければーー バルバラが誘拐実行犯となって カルメラや護衛のボリバル達が濡れ衣に巻き込まれ処刑される。 その後は私付きの侍女も護衛も長続きしなくなり 誰も彼もがすぐに辞めてゆき、お付きの者達が定着しない。 「気を許せる者が誰一人居ない」 (腹心の部下が一人も居ない) そんな環境で育つ事が その後の私の人格形成に大きな影響を与え 私を情緒不安定な令嬢にしてしまう。 そんな一連の運命を… 私は知っている。 だからーー 絶対に阻止する。 同じ過ちを繰り返したくない。 声を出し過ぎて喉を痛めても良い。 バルバラに誘拐実行を諦めさせる。 そう強く意図して泣き続けると 流石に私付きではない使用人達まで 「うるさい」 と思ったらしく 侍女頭のアガタが不機嫌そうな顔でやってきて 「アウロラ様は奥様の寝室で奥様とご一緒なさいます」 と告げに来た。 私の母であるアントリーン公爵夫人エステラはタラバンテ公爵家次女。 アントリーン公爵家同様に高位貴族の生まれであるが… 気性は大人しく腰が低い。 「タラバンテ公爵家は金銭的に恵まれない貧乏公爵家だから」 というのも原因ではあるのだろう。 使用人達までうるさく思うほどに我が子が夜泣きしてるのを そのまま放っておくのも忍びないと思ったようで アガタを遣わして私を引き取りに来させたようだった。 (…どうやら今夜はバルバラから逃れられそうだ…) と思ってホッとするが バルバラの腕に抱かれている限り声を張り上げて泣き続ける。 キツイ顔立ちで到底子供好きと思えない侍女頭のアガタ。 一見従順にエステラに仕えているが… 「慇懃無礼」という言葉を知るなら アガタという女が公爵家に仕える態度がまさに それにピッタリ当てはまる事に気付く。 子供や小動物が苦手そうなアガタは私を見れば渋い顔をする。 そんな彼女に抱っこされて泣かない時など これまで一度もなかったのに… この時ばかりは蛇顔のアガタが救いの天使に見えたのだから 我ながら切羽詰まって少しオカシクなってるのが自覚できる。 私がバルバラの腕からアガタの腕へ移った途端ーー 急に泣き止んで落ち着くのを見て カルメラが思わず首を傾げた。 (そうよ!カルメラ!気がついて!バルバラは私を悪い奴らに渡そうとしてる誘拐実行犯なのよ!) という思いを込めてカルメラを見るが… 当然ながらカルメラは何も気づかない…。 **************** 時間遡行ーー その現象に関する概念を持たない者達は 時間遡行によって 未来に起こる出来事を既に体験している人間の言葉を 「予言」 という神秘的な概念で捉える。 現時点で私は 生後一年にも満たない0歳児。 なので声帯も未発達で言葉も話せないが 私は確かに17歳の知性を持っている。 17歳で自殺するまでの間にーー 我が身に起きた出来事の記憶を 私は持っている…。da6b4e9b-9b2b-428c-9f1f-4601f4926b40
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