変わるなよ

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 男女の友情は成立するか。  成立するに決まってるだろ、くっだらない。そう言い捨てていた幼い私が羨ましい。  両者に友情を築く確たる意志があれば友情は成立する。それだけ。たったそれだけのことが、男女の友情においてはひどく難しい。  画面の上部をスライドし、既読をつけずに何度も読んだLINEを表示する。 『今週末、ポンペイ展に行きませんか』  国立博物館のURLを送ってきたのは高校三年間同じクラスだった友人。別々の大学に進学してからも「浅草に落語見に行きませんか」「日帰りで鎌倉旅行しよう」「一緒に銀座行ってみない?」と、月に一度の頻度で遊びに誘ってくれる。  先月の銀座がまずかった。  歌舞伎を見た後でぶらりぶらりと歩いている最中、手を握られそうになった。私は何も気がついていないフリをして右手をコートのポケットに避難させた。  思い返してみれば、よく目が合うとか、気持ち悪いくらいに目が合うとか、合った目がなんだかじっとりしているとか、兆候はあった。が、友人に対して警戒も猜疑も皆無。その信頼によって招いた結果が、誘いを受けるか迷うこの時間。  ポンペイ展自体には興味があるのも迷いに拍車をかける。火砕流に埋もれたイタリアの古代都市ポンペイ。炭化したパン。青い水差し。メメント・モリ。見たい。超見たい。  トーク画面を開いて既読をつける。 『行く』  ポンペイ展の誘惑に負けた。  すぐに来た返信から取り決めた待ち合わせ時間、ちょうど。上野駅で落ち合い、近況を語り合いながら東京国立博物館に向かう。大きな金庫に足を止め、精緻なモザイク画に見惚れ、人間の顔と天使の翼とカンガルーの四肢を持つ作品が「スフィンクスのテーブル脚」と名付けられていることに不満を抱く。スフィンクスではないだろ。  展示を堪能した後で、特設ショップを放浪する。「良いものあった」と目に留まった商品を見せびらかせば、家族へのお土産を選んでいた友人は「なに、それ」と首を傾げた。 「炭化したパンのクッション」 「あぁ……、えぇ?」  どうしてあれをクッションに。戸惑う友人に笑ってしまう。数秒前の私と同じだ。  火砕流に包まれ一瞬で真っ黒に炭化した円形のパン。当時のまま変わらずに存在するそれは、展示物の中でも異質な存在感があった。 「面白いよね」 「買うの?」 「うん。気に入った」  奢りたがる友人を丁重に退けて会計を済ませたクッションを手に、建物の外へ。  広場の移動販売車でコーヒーを買ってベンチに並んで座る。撮影が許可されていた展示物の写真を見ながら感想を言ったり、ショップで買ったものを開けたり、クッションを抱えてみたり。穏やかな時間だったから油断していた。  不意に話が途切れる。何事かと顔色を伺えば、じっとりとした瞳と目が合った。 「あのさ」  目をそらす。私の耳は、彼の口から続けて発せられた予想通りの、聞きたくなかった言葉を拾った。映画でも、小説でも、漫画でも、言われた方は胸がときめいたり頬を染めたりするセリフ。彼だって、そういう反応を待っているんだろう。  全くときめかない胸に諦念を抱きながら、言葉を見つけるまでの時間稼ぎを試みる。 「どうして、私なの」 「趣味が合うから。博物館とか、美術館とか、落語とか、心から楽しんで付き合ってくれる人って同年代だとあまりいないでしょ」 「探せば他にもいるよ」 「……話していて、一緒にいて、一番、楽しいと思える人は、君だと気がついたから」 「いつ?」 「……高校を卒業して、約束しないと会えなくなってから」  失って初めて気づくってヤツ、恥ずかしいけどさ。  照れくさそうにはにかむ彼へ嫌悪感が込み上げてきて泣きたくなった。気づくなよ。私はそんなもん望んでない。死ぬまで付き合える友人でいたかっただけなのに。  フった相手と友人でいられるだろうか。フラれた相手と友人でいてくれるだろうか。  考えずともわかる。私たちはそんな鋼のメンタルを持ち合わせていない。同じくらい強くない心だから、趣味が合って、自分を偽らずにいられて、楽しかったんだ。  炭化したパンのクッションを抱きしめる。  あーあ。
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