1 猫により紡がれ始める赤い糸

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『足を捻ってしまって……誰か、先生を呼んできてくれませんか?』 「先生を? それよりも、こっちが早いでしょ」 「!?」  何ともなしに言った彼はひょいと紬を抱え上げ、鞄を肩にかけた。そのままゆったりと歩き出す先輩に慌て、肩を叩く。 「非力そうに見えても、一応男だからね? 保健室まで運ぶくらい、どうってことないよ」  堂々と彼はそう言うが、紬が気にしているのはそこではない。こんな姿を誰かに見られ、噂でも立ってしまったら、それこそ先輩に迷惑を掛ける事になる。  降ろしてもらおうと肩を叩き続けるが、素知らぬ顔で先輩は足を動かし続ける。そんな彼に冷や冷やし誰かに見られやしないかと内心怯えながら、紬は身体を縮こませた。  幸い部活中の生徒にも、放課後所用で残っていた生徒にも見つかる事なく。  紬は見知らぬ先輩に抱えられ保健室まで運ばれた。 「応急処置はしたけど、ちゃんと病院に行ってね。親御さんはすぐ来れそう?」  養護教諭である真鍋(まなべ)虎和(とわ)の声に、ふるふると紬は首を横に振った。  運悪く、今日は両親とも仕事で帰りが遅くなる日だ。声が出せなくなって数年、ただでさえ両親は紬に過保護である。紬が言えば仕事を早退してでも駆け付けてくれると思うが、そうまでして呼び出したくはない。 「そっか……困ったな。僕も今日は、これから打ち合わせがあって。付き添いは難しそうなんだけど……予定をずらせないか、聞いてくるね」 「ちょっと待ってください」 「どうしたの? 久地くん」 「それ、僕が行っても良いですか?」 「良いけど……どういう風の吹き回し? 久地くんはこういう事、あんまりしたがらないでしょ?」 「これも何かの縁なので。それに僕、可愛い子には優しいんです」 「そんな話、聞いたことないけど? ……まあ助かる事は事実だから、任せても良いかな?」 「もちろんです」  含みのありそうな笑みで、彼は紬を見て頷いた。 「僕は久地(くち)(すずな)、三年生。君は?」 『天真(てんしん)(つむぎ)、二年です。……もう、一人で大丈夫ですよ? あとは診察だけですし』 「君を帰りまで抱えるという大切な役目があるから、こんな所で帰れないよ」  保健室でのやり取りが終了すると、菘は再び紬を抱えタクシーに乗せた。そのまま近くの病院まで連れて来られると、受付を済ませ今は呼ばれるのを待つだけとなっている。  菘は見た目に反して義理堅い。怪我したのを見かけただけで、初対面だというのにここまで付き合ってくれるのだ。その優しさが逆に申し訳なくて、所在なさげに紬は視線を彷徨わせた。 「それに僕、君の事知らない訳じゃないしね」 『? ……会ったこと、ありましたっけ?』 「いや? ただ君の事、前々から気になると思ってたから」  何でもないようにそう言った時、紬の名前が呼ばれた。診察まで付いてくるらしい菘は、看護師が用意してくれた車椅子も無視して、また紬を抱えた。
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