Der Meuchelmoerder

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「何を話していたんだ?」  乗馬用のマントを従者に手伝わせながら脱いだレオンハルトは、使用人たちを下がらせて二人きりになると、楽しいひとときを微笑に色濃く残すアウリルにさり気なく尋ねてくる。  アウリルは上体を起こして枕に背を預け、素直に答えた。 「いろいろと……貴方が俺を助けに来てくださった時のことや、俺の仲間を貴方が雇うと言って下さったこととかを」 「彼らは非常によく訓練された、役に立つ兵士だ。私としてはすんなり承諾してくれたことを感謝しているよ。ベーリッツ伯の領地の住民代表も私に従うと確約した、今後は北と南の統治になるな」  寝台に直接腰を下ろしたレオンハルトに、アウリルはにっこり笑った。  彼が兵を動かした際、ベーリッツ伯の領地は荒らさないよう軍規として通達していたとのことで、結局は城内部での局地戦になり、民衆に被害は出ていない朗報もクルトから聞いて安心していたのだ。 「君の養父母もむろん無事だった。君もこちらに来るのだから、ザクセンの領地に移住してはと私からも勧めたのだが、慣れた土地は動きたくないそうだ。いずれ元気になってから会いに行くと良い。君が立派に大きくなっていると知って、二人とも嬉し泣きしていたよ」  そして、続けた。  ナタナエルが持していた本物も含め、いくつかの紋章を前触れなく養父母に見せたところ、二人とも迷いなく『これがアウリルの産着にあった』とナタナエルのものを選んだと。  アウリルがいつか話した通り、代々の農民である養父母はとうてい紋章を読み取れる育ちでもなければ、偽りを語りそうにない純朴な人柄であることも、場に立ち会ったザクセン家の家臣らはひと目で察していた。そんな彼らが亡きナタナエルの紋章を見るなりあっと声を上げ、見覚えがあると喜色混じりに指差したことは、何より確かな証言となった。  半ば確信していながらも物語のように遠い話であった自らの出自がやっとはっきりしても、アウリルの心境に大きな変化はなかった。  ただ、ベーリッツ伯をはじめとして上流貴族から軽く見られてきた己が実は彼らと同等の血を有していたことに、微かに皮肉めいた感情を抱いたのは事実であったが、レオンハルトの愛はこの程度の真実で揺るぐようなものではないという信頼の前には、所詮どうでもよいことであった。  彼はアウリルの出自を知る以前、敵のベーリッツ伯の刺客と知っていても、身分と立場の障壁を超えて愛してくれたのだから。   「両親はあの村で生まれて、麦や野菜を育てて暮らしてきた人たちです……違う地域に移住すると、土質も気温も変わります。ザクセンの地でうまく作物を育てられるかが不安で、動きたがらないのだと思います」 「そうだろうな。とはいえ君もせっかく自由の身になったのだから、彼らと頻繁に会いたいだろう?」 「それは、もちろんです」  アウリルは即座に頷いた。  ベーリッツ伯の軛はもう存在しない以上、懐かしい養父母に会いたくてならなかった。 「もし彼らがこちらに来るなら、なるべく温暖で作物を育てやすい土地を与えるつもりだ。君からそう話して、もう一度説得してみたらいい」    頬を撫でるレオンハルトの指先が、アウリルの健康状態を確かめるかのように顎まで滑り降りる。   牢から救出された直後は鳥のくちばしさながら尖っていた顎も、このごろではようやく柔和な曲線を取り戻しつつあった。  レオンハルトの接し方は以前と異なり、寝台で愛されている時と同じ優しさを日常でも隠さなくなっている。  恋をすることが初めてのアウリルは、肌を接していないあいだもずっとこんな風に甘やかされ、不意に睦言を囁かれ、労わられるのが普通なのかどうかも判らず、気恥かしさが募る。貴婦人を籠絡する際に自分も行ってきたことだが、あれは教えられた芝居を忠実になぞったに過ぎず、なぜそうしなければならないのか理解もしていなかったのだ。   「そんな顔をしないでくれ、アウリル」  レオンハルトがくちびるを緩め、肩を抱き寄せた。 「顔、ですか」 「不安そうだ。何が君をそうさせている?」 「だって……俺、貴方にこんなに優しくしてもらって……本当に、いいのかなって……」 「いいに決まっている。可愛い恋人に優しくしない男が、いったいどこにいるというのだね」      立場上どうしても為せなかった過去の分も含めて、君を大切にしたいのだ。  真摯な告白を臆面もなくさらりと囁かれ、アウリルは照れのあまり頬が熱くなった。  情事の直後の、彼の突き離した態度に悩み苦しんだのは己だけではなかった――彼も自らを偽ってそうせざるを得なかったことに苦しんでいたのだと知れば、いわば反動に近い現況もようやく納得できるし、受け入れられる気がした。  それでも過去と今を比べても、良い意味で本質的には彼は何も変わっていないと、アウリルは思う。  少しばかり不器用で、けれど何よりも率直な瞳と仕草は、何も。  構える必要がなくなったぶん、ぎこちない無神経さは完全に取れているけれど。    しっかりと背を支えるレオンハルトの腕の力強さが、もう君をどこにも遣らない、辛い目には遭わせないと告げている。  あたたかく頼もしい、たったひとりの体温にアウリルは頬を寄せた。    ――これは、夢じゃないんだ。  この方は、ちゃんと生きていたんだ……  俺なんか許してくれて、好きだって言ってくれて。  敵でも、男でも、それでも会った時からずっと好きだったって打ち明けてくれて。  もう自分の側を離れたら駄目だよって、何度も囁いてくれた。  俺だって彼が大好きだ。  彼をこの手で殺したと思っていた三ヶ月間は、俺も一緒に死んでいた――  アウリルは涙が零れるのを懸命に堪えようとしたが、無駄だった。  こめかみに静かに伝い落ちるそれをレオンハルトは唇で拭い、瞼に接吻を落とす。 「身体はだいぶん戻って来たようだな、それでもまだまだだ……厨房の者に言って、もっと滋養のある品を作るように言わなければな」 「充分ですよ……もうすぐ馬にも乗れます、そうしたらザクセンのお城にも行けるようになりますし」 「早く来てくれ――あの寝室の一角は壊させたから心配は要らないよ、君はあんな所は見たくもないだろうから」  言われる通りだった。  愛する人を手に掛けてしまった衝撃が蘇る寝室、逃げる際に走り去った廊下。  そこに足を踏み入れることを想像しただけで、いたたまれない痛みに襲われる。  レオンハルトは何も言わないが、彼も辛い記憶に苛まされるだけだから、進んで壊させたのだろう。過去を物理的にこの世から消させることで、彼にとっても忌まわしい刻を永遠に封印したのだ。  例の短剣の経緯については、アウリルからすでに彼に説明していた。  由緒のある剣だろうと思って処分も憚られ、ザクセンの城で取り置いているとレオンハルトは答えたが、アウリルが声を震わせながらナタナエルとカタリーナの無惨な死を語り終えたとき、君の両親が私を護ってくれたのだと慰めてくれた。 『もうこれ以上死を招きたくないと二人は思ったんだよ、ベーリッツ伯の策が裏目に出たんだ――あの男はどこまでも陰険だったな、母君に似ている君を夫人と重ね合わせて、そうして君を苦しめて……投獄したのは私を殺せなかったからではなく、君が私に気を許していたと察したからだ――他の男にまたも夫人を獲られてしまったと彼は錯覚したのだろう』 『怖かった……伯爵が俺の顔を見るなり、乾いた声で笑って……ああこの人は狂っているんだって、怖くて足が動かなくて……』 『言っただろう、彼はとっくに狂っていたのだよ――いくら妻を愛していたのか知らないが、夫人は伯の生まれつきの陰湿な性格を嫌がって、私の従兄弟を愛したのだろうな』  レオンハルトとの会話を思い出しながらアウリルは彼の腕の中で、溜息を吐いた。  頬を服に擦り付け、彼の薫りを嗅ぎながら呟く。 「何故俺を生んだんだって、ずいぶん両親を恨みました……どこにも居場所のない俺をどうしてと……」 「今は?」 「今は……生んでくれて良かったって思えます、だって――」  恥ずかしくて口籠もるその先をレオンハルトは充分察して、引き取った。 「これからは私の側が君の居場所だ――そこ以外にはないな」  幸福に輝いている二人の顔が近付き、唇が重なる。  レオンハルトは彼の気が済むまで、離してはくれなかった。  もう息が苦しいと、アウリルが首を振るまで――
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