Der Meuchelmoerder

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「君の父親はたしか、旅の貴族だったと話していたな」  翌日の昼間、貴婦人たちをリュートで愉しませるために城の広間まで移動しようとしていたアウリルは、レオンハルトにいきなり物陰に引っぱり込まれ、そう訊ねられた。  とりとめもない寝物語を蒸し返されたことにアウリルはうんざりして、仰有る通りですと尖った声で返した。 「フランドルから来た貴族だったということだったな?」 「それだけしか知りませんが」 「君が十二歳の時に『奥方が亡くなったのは十年前』と説明されて、今は二十二歳だから、二十年前か……つじつまは合うな」 「先ほどから何なのですか、いったい」  レオンハルトが心得顔で一人勝手に計算しているのを問い詰めても答えはなく、彼は『今晩教えてやる』とだけ言い捨てて、再び執務室に戻って行った。   ――俺の父親のことなど聞いて何になる、どうせ行きずりの男に過ぎないのに。    なぜレオンハルトがそのようなことに拘泥するのか心当たりがなく、寝室に呼ばれた際も真っ先に説明を迫ったが彼は閨事の方が先とばかりに性急にアウリルを抱き、疑問にようやく答えてくれたのは、乱れた息が収まってしばらくしてからの事だった。 「古い家臣の一人が以前に語っていたのを思い出したのだ、二十年ほど前に私の母方の従兄弟筋に当たる男が南の地を旅していて、行方が判らなくなったと――帰ってこない息子を心配して両親が消息を確かめたところ、流行病で従者ともども死んだと噂で聞いたそうだ」 「………」 「旅の途中で病に罹って亡くなるのはよくある話だし、その男が亡くなったことで家も断絶したそうだし、私も特に気にも留めなかったのだが……しかし君の話で、南の地というのと二十年前という刻が引っ掛かってな――今日改めて家臣に訊ねたら、一行が消息を絶ったのはちょうどベーリッツ伯の領地だったのだ。葬儀を行った教会と墓は領地外だったが」 「――だから?」  まさかという戦慄を抑えながらアウリルが促すと、レオンハルトは断言した。 「おそらく彼が、ベーリッツ伯夫人と恋に陥った貴族だ――つまりは君の父親ということになるな……従者たちも死んだのは主人と一緒に皆殺しにされたのだ、一人でも生かしておけば領地に戻って主人の災難を急報するし、そうなれば間違いなく我が一族との争いに発展していたに違いないからな」 「ただの偶然でしょう、憶測の域を出ていません。しかも二十年も前の話で、真相など今さら判らないではありませんか」 「全員の足取りがベーリッツ伯の領地で途絶えているんだ、偶然にしては出来すぎだろう。年回りからしても、身分からしても伯夫人と対等の男だし、伯の城で出会わない方がむしろおかしいくらいだ――君が包まれていたという紋章入りの産着は、養父母のところにないのか」    アウリルは首を振った。  こぢんまりとした家で、しかも養母は整理整頓好きな女性だったのでどの部屋に何があるかはアウリルも隅々まで把握していたが、その産着を見た覚えはなかった。 「俺が大きくなったら処分したのだと思います。両親は紋章を読み取れる人々ではありませんし」 「惜しいな。紋章さえあれば良い証拠になったのに」 「鳥があったと、話していたことがありますが……」 「亡くなったベーリッツ伯夫人の紋章に鳥はないが、従兄弟の家にはグリフォンがあったはずだ――近付いてきたじゃないか」  レオンハルトが何を目論んでいるかを察したアウリルは、恐怖に身を震わせた。  この男は従兄弟筋の縁から、逆にベーリッツ伯の領地に攻め込む気でいるのだと。  二十年も前の話だから見逃してくれ、などという甘い言い訳は通用しない。  だいたいが貴族や豪族同士の小競り合いなど、ささいな因縁をこじつけて敵に攻め入る隙を見つけては領地を奪い合う繰り返しだ。  そして今回はどう見ても、従兄弟と家来たちを皆殺しにされたザクセン一族の方に建前では正当性がある。  ベーリッツ伯家もかなりの勢力を有してはいても、ザクセン伯家はドイツ国内でも有数の強力な一族。この男に真正面から攻められたら間違いなく主人は敗れる。  だからこそ当主のレオンハルトを暗殺するという搦手に出たのに。  アウリルは彼に心を許した己を恥じ、責めた。生まれ育ちを教えるほど彼と会話を交わすようになったのは、求められる喜びに浮かれた自分の気の緩みによるものだ。  主人であるベーリッツ伯に忠誠心など微塵も持ってはいない。その命が脅かされようと、正直どうでもいい。  しかし伯爵と他家との争いになれば領地一帯が戦乱に巻き込まれ、懐かしい養父母が静かに暮らしている地も兵士に荒らされる。何の罪もない民衆たちが長く苦しめられることになる。  農夫に育てられただけに、支配階級の人間たちが一生思い及ぶことのできない大衆の苦しみが、アウリルには手に取るように理解できた。  ――どうして、こんな男に抱かれてしまったのか。  こんな男に易々と話してしまったのか。  物も言えないほどに蒼ざめたアウリルの苦悩を知ることもなく、レオンハルトは枕に頭を預けたまま気楽な口を開く。 「従兄弟筋とはいえ見たことも会ったこともない男だが、意外なところで面白い縁を持って来てくれたものだ。仇を討つなんて気はさらさらないが、いい口実にはなるな」 「……冷たい方ですね」 「君の主人が他の貴族の家庭をわざわざ荒らして、陥れたのと同じことだ――策を弄する者はいつか同じ策に捕らえられるものだ、感傷などいちいち持っていてはこの乱世は生き抜けない」  その言葉に胸を刺し抜かれたアウリルは、鋭い痛みに呼吸を一瞬忘れた。  レオンハルトという男のことが、ようやく判った。  彼もしょせんは上流貴族。ベーリッツ伯と同類の、始めから情など持っていない男だったのだ。  対等な存在として求められていると感じたのは勘違いで、あの瞳も、優しいと受け取れた仕草も、単にしたいようにしていただけでこちらのことなど少しも考えてはいなかったし、遊戯の相手は誰でも良かったのだ――過去の女性たちと同じように。  抱かれる側に回ったがゆえに混乱し、思い違いをしてしまった。自分は貴族ごときに何を期待していたのだろう? 彼ら彼女らにとっては騎士といえどたかが臣下のひとりに過ぎず、個々の人格など見ても求めてもいないのに……  命令の実行を躊躇った自分が馬鹿みたいだ。  アウリルは自らを嗤った。  人間の血が流れていないような男にどこか不可思議な感情を抱いていたとは、己はなんという愚か者であることか。    無言で寝台から離れようとするアウリルに、レオンハルトは訝しそうに声を掛けた。 「狂った主人がどうなろうと、君には関係ないじゃないか? 君も仲間たちも自由になれるのだし、うまくすれば本来の身分に戻れるぞ」 「私は、貴方とは違います――申し上げておいたでしょう、私の本当の両親は農夫だと」  灰色の瞳で冷ややかな一瞥をレオンハルトに与えたアウリルは、服を纏うと寝所を出て行った。  明日こそこの男を殺そうと、自らに誓いながら。
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