絶世の美女

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「絶世の美女がいるんだ」  そう富樫が言った時、俺はスマホでゲームをしていた。女の子のキャラクターを人気トップアイドルへ育てるという育成ゲームだ。 「えっ? なんだって?」 「だから、絶世の美女。ぜ、っ、せ、い、の美女」  絶世を区切りながら富樫が言う。 「毎年、夏休みの始まるこの時期に、田代町のお屋敷に絶世の美女が現れるって話だ」  富樫はスマホから目を離さずに話を聞く俺に、鼻息荒く言った。 「一緒に見に行こうぜ」 「嫌だよ。なんだってこの暑い日に」  俺にとって高校生活最初の夏休みはまだ始まったばかりだ。せっかくの休みに、なんだって熱中症の危険性のある灼熱の夏空の下に身を差し出さなくてはならないのか。  こんな日は、涼しい屋内で、ゆっくり過ごすに限る。 「なんだよ。尾身! 絶世の美女だぜ! 興味ないのかよ」 「その絶世っていうのが、胡散臭い。それにこの時期にいるっていう、あくまで噂だろ。今日行って、その女がいるかどうかも分からないじゃないか」 「それが! 車を見たって聞いたんだよ!」 「車?」 「その美女が現れるとき、必ず白のポルシェが田代町に来るんだ。それらしき車が走っているのを今日、見たって話だ」 「それ、誰が見たんだよ」 「神田のじいさん」  神田のじいさんというのは、富樫や俺の同級生、神田の祖父のことだ。  神田のじいさんは本当にポルシェを見たのだろうか。だいたい、かなりご高齢の神田のじいさんがポルシェを知っているのかも怪しい。 「なあ、行こうぜ」 「うーん……」  せっかくの夏休みだ。思う存分、クーラーの効いた部屋でだらだらしていたい。  渋る俺に富樫は俺のスマホのゲーム画面に目をやった。 「来てくれたら、お前のユリリンの限定水着フィギュアくれてやる」 *** 「おい。ほんっとうにいるんだろうな。その女」  フィギュアにつられて外に出たことをもう後悔している。  外はまさに地獄の夏日。  まったくもって容赦のない強い日差しに、俺は思いっり顔をしかめていた。  額から流れ落ちる汗がぬぐいきれずに目に入ってくる。 「お屋敷はこの坂道を上ったところを左に曲がってすぐだ」  富樫は暑さに強いのか、それとも美女に会えると浮かれているのか、強い日差しにも負けずに元気だ。 「坂って、これか」  目の前に続く急な上り坂。田代町はいわゆる閑静な住宅街だ。坂道の両脇にも雰囲気のよさそうな住宅がずらりと並んでいる。 「俺さ、さっきの通りにあったコンビニにいるから、お前もう一人で行ってこいよ」 「なんだよ。水着フィギュアいらねえのか?」 「……」  ここまで来たのだから欲しい。でも、もう帰りたい。 「……、そういえば、富樫。お前、その美女に会うのに手ぶらでいいのか?」 「えっ?」 「せっかく会うのに手ぶらはよくないだろ。なんか買っていけよ」 「……そうか。そうだよな! 何がいい。花か?」 「いや花屋なんてこのあたりにないだろ。さっきのコンビニで何か甘いものを買って行ったらいいんじゃね?」 「いいな! それ! そうしよう!」  言うなり富樫はコンビニへと走りだした。よし。これで少しはコンビニで涼める。  俺は心の中でほくそ笑みながら、走っていく富樫の後を追って、ゆっくりと歩き出した。  そのときだった。  ふと背中に寒気のような感覚が走った。  暑くてたまらなくて、もう汗だくなのに。なぜ今、そんな感覚があったのか。  俺は背後を振り返った。  目の前には、先ほどまで登ろうとしていた上り坂。その坂道の上からこちらに向かって下ってくる、一人の女性がいた。  若い、富樫や俺と同じ10代に見える。腰まで届く癖のないまっすぐな黒髪。色白の顔に刺さるような日差しをまっすぐに受けて、その女性はこちらに向かって歩いてくる。  日傘もささず、帽子も被らず。強い日差しに目を細めることもなく、まっすぐに前を向いて歩いている彼女。その顔立ちは恐ろしく整っている。整いすぎて、なんだか特徴がない。しかしその整った顔よりも、目に入ってしかたないのはその恰好だ。  なぜ真夏の昼間に、赤のレインコートを着ている。それも長袖、ビニール製。  レインコートは彼女が歩くたびに日差しを受けててらてらと光っている。彼女はゆっくり大きな足取りで歩いてくる。変な恰好をしているのに、何も気にした様子もない。表情もない。恐ろしく無表情で堂々と歩いている。  彼女は俺のそばまでくると、俺のことなど視界にも入っていないのか、茫然と立ち尽くす俺の横を何事のなく、ただ通り過ぎて行った。  彼女の後姿が見えなくなるまで、俺はその場に突っ立っていた。 「おい! 尾身! おうい!」  富樫の声がして振り返ると、コンビニの袋を片手に富樫がこちらに走ってきた。 「尾身! お前、何してんだよ」  富樫が笑顔で袋から炭酸飲料のボトルを取り出した。 「ほら。飲めよ」 「……ああ」 「なんだ。お前、気の抜けた顔して」 「いや、それが」  美女のことを言おうとして気が付いた。  あれだけ汗だくだったのに、汗が引いている。 「すげえな」  俺は思わず呟いた。  びっくりしすぎて、汗が止まるなんて。こんなこと、初めてだ。 「えっ、何? 炭酸か? 違うぞ。絶世の美女には炭酸じゃなくて、こっちのコンビニ限定スイーツをあげようと思ってだな」  富樫の話が全然耳に入ってこない。  夏の日差しをものともせず、彼女がいるだけで、その場がしんと静まったような気がした。  彼女はまるで真夏の夜に出会う、幽霊みたいだ。怖い。怖すぎて、汗が止まった。  俺は彼女の歩いていった通りに目をやった。  彼女は何者なのだろう。  汗も止まる絶世の美女。今年の夏、俺は彼女に出会った。
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