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――夏休みだなんだと言ったところで、こんな田舎には『夏』がない。
いや、言い過ぎた。ここには『昔ながらの夏しかない』に訂正する。
どれぐらい昔ながらかって?
元号を二つ前に戻しても、そう変わらないくらい。
通常会話くらいなら余裕でかき消す蝉の声。おばあちゃんが不意に切ってよこす塩のふりかかったスイカ。田園とカエルの大合唱。宵空にハッキリと映し出される夏の大三角形。
どう。これだけ聞けば風流でしょ?
冒頭で何個季語ぶっこむつもりだって感じでしょ?
でもね、思春期の女子にとっては、この上なく冴えない、そして映えない田舎の光景。ちょっとしたコンプレックスだ。
だって今の時代、テレビだけじゃなくてネットがある。SNSがある。芸能人のみならず、一般の人までがキラキラしている都会の光景を、私は見ることが出来てしまう。
元号の変化を感じないような風景があったとしても、手の中には令和たる文明の利器が存在しているのがやっかいだ。
何かで聞いたことがあるが、インターネットの普及というのはその土地の幸福度を下げてしまうのだそうだ。便利さとの反比例。私はこれに深く頷いた。
ふと画面から目を上げて窓の外を見る。
やっぱなーんもない。緑ばっか。
……私だってキラキラしたい。
ボッタクリだって分かってても、盛りに盛られたかき氷に千円とか出したい。森に守られた駄菓子屋のかき氷に五十円は嫌。
十七歳の女子高生、華のJK。なんだかそれを浪費しているような気持ちになってくる。
窓の外を見つめながら哀愁を漂わせていただろう私に、嘆息を重ねさせるような声が不意にかけられた。
「糸野、カブトヌシ捕りに行こうぜ」
見下ろしてみると、二階にいる私を見上げている少年の姿があった。
まあ見なくても分かってたけど。コウタであることくらい。
「……なに?」
「だからよ、カブトヌシ!」
何を言っているんだコイツは。
私は十七歳の女子高生、幼なじみで同級生のコウタだって勿論そう。その年齢で異性を昆虫採集に誘うというのは如何なものだろうか。
いくら田舎の学生と言っても、最低限『街に出ようぜ』とか『図書館行こうぜ』とか常套手段はあるのに、コイツは私を野球にでも誘うようにアポ無しで押しかけて来て昆虫採集。なめられているのだろうか。
「……それ行くと思う?」
「行かないと、後悔すると思うぜ?」
コウタは不敵に笑った。
何か裏があるにせよ、昆虫採集でこのキメ顔ができるコイツはすごい。
「行かない。カブトムシに興味ないし」
「おいおい耳悪くなったか? カブトヌシだって言ってんだ!」
「カブトヌシ?」
「そう、カブトムシのヌシ、カブトヌシ!」
「滑舌良いね。じゃあまた」
そう吐き捨ててピシャっとカーテンを閉める私。しかしコウタに怯んだ様子は無かった。
「糸野! 夜十一時になったら迎えに来るから、準備しとけよ!」
いや、夜の誘いだったのか。今まだ午前中なんですけど。
まあどっちにしろ行かないけどね。カブトムシのヌシ? まあ全く興味が無いわけではないけど、女子高生の無駄使いはしたくない。
***
夕飯を食べた後、居間でテレビを見ていると不意にお母さんが時計に目を遣った。私もつられて見る。夜九時になろうかというところだった。
お母さんが口を開いた。
「レイ、準備せんでええの? コウタ来るんじゃろ」
「は? なんのこと」
「さっきLINEきよって、今夜レイと虫捕り行くからよろしくって」
変なとこで若者らしく文明の利器を使いこなしているコウタ。外堀から固めてくるとは中々やるじゃないか。
正直行くつもりなかったけど、そんなに自信があるんだったら、そのカブトヌシ捕りとやらに付き合ってやろうじゃないか。
私の中で、対抗意識が芽生えてきた。
「……コウタだって男じゃけ、馬屋なんぞに導かれたらおえんで、そん時は逃げえよ。連絡せえよ」
黙ってテレビを見つめていたはずのお父さんが、ボソッとそう言うと、お母さんが豪快に笑った。
「ハハッ! コウタがそんなことせんよ、それはお父さんの手口じゃが!」
お父さんはきまり悪そうに眉間にシワを寄せる。
聞きたくないよ、そういうデリカシーのない会話。
これは田舎とか関係なくきっとみんな同じだろう。
私はそそくさとスマホを持ち上げると、自室へと移動した。
――皆様お気付きだろうか?
私は標準語なのに対し、両親がゴリゴリの方言だということに。
これは村の若者の流行で『標準語を使うのがイケてる』という風潮があるのだ。私を含め、あのコウタでさえも努めて標準語を使っている。
そう、努めて。
私じゃってホンマは標準語やこ使うのは面倒なんじゃけ。
こう話した方がスムーズなのが本音だけど、わざわざ一度頭で変換をかけてから話しているのである。
***
十一時の五分前になった。実は三十分前から準備は出来ていたけれど、ようやく私は部屋から出て玄関へと向かう。
真夏とは言え、夜に山に行くとなれば長袖長ズボンは常識だ。本当はジャージ上下で良いかと思ったが、一応JKのプライドとしてロンTとデニムパンツにまとめてみた。
程なくして現れたコウタも、その辺りの意識はあったのか長袖のカッターシャツに肩紐を外したオーバーオール姿だった。
「おっし、糸野、いっちょ行こうぜ!」
コウタは会うなり七つの球でも探しに行きそうなトーンで元気に発すると、ついてこいとばかりに踵を返した。
「待って」
私がそう言いながら駆け寄ると、私に向かってシュッと何かを吹きかけた。甘い匂いがした。
「うっ、なにすんの」
「姉ちゃんからパクってきた。いい匂いの虫除け」
「それならそう言ってからかけてよ」
「悪い悪い。でも、いい匂いだろ?」
確かにどこか香水のような甘くて爽やかな香りだった。コウタのお姉さんからこれが匂ったら、まさか虫除けとは思えないだろうな。
しかし、いかにも虫が好きそうな甘い匂いなのに虫除けって不思議。虫の考えることは分からない。当然なんだけど。
持っていた大きな手提げカバンに虫除けをしまうと、かわりに懐中電灯を取り出して私に手渡した。自分は更に大きな災害とかで使えそうないかつい懐中電灯を構えた。
「行くぞ」
コウタの行く方向は、私の予想とは少し違っていた。
村の端にあるお社の周りは、カブトムシの大好きなクヌギの木が多いのでてっきりそっちに行くものと思っていた。けれどコウタの足はそれとは反対方向へと向かっていた。
私は気になっていたことを口に出してみる。
「それで、カブトヌシって、何?」
「言ったろ、カブトムシのヌシ、カブトヌシ」
「いや滑舌良いのは分かったけ! それは何よ!?」
「……お前のそういう返し良いよなあ」
思わず方言を出して激昂する私に対し、コウタは感慨深げに頷いた。
コイツは私に何を求めているのやら。
「……あのですね、カブトヌシというやつの、特徴を教えて下さいますか?」
堅い標準語で取り繕ったの私の声音に口元を緩めながら、コウタは嬉々として話し始めた。
「まずな、でっかい!!!」
「……だろうね」
「そこの糸野! どんくらいでっかいと思う!?」
「……分かんないけど、ハトくらい」
「馬鹿言うな! その程度ヌシじゃないだろ!」
「……じゃあ、どの程度のヌシなのでしょうか?」
「体長およそ百七十五センチ」
「な!? 馬鹿言うな! そんなんヌシでも虫でもない化け物でしょ!」
「……お前のそういう返し良いよなあ」
「いやもうそれいいから! 真面目に答えろ!」
コウタはやれやれとばかりに首を振る。なんかムカついた。
それをやりたいのは絶対に私のはずだ。客観的に見ても。
「だから真面目に、体長およそ百七十五センチ、体重およそ六十」
「いやもうそれ人だよね。成人男子だよね。誰の話してんの?」
「だからカブトヌシ」
「いや怖いでしょ! もし仮にその話が本当なら武装した人連れてかないと駄目だって! 完全に未確認の化け物だもん!」
月明かりが一番頼もしい程度に薄暗い夜道を歩きながら、私達の話し声は響いた。カエルの声に邪魔されながら、夜蝉の声に負けないように。
すると不意にコウタの足が私の知らない方向へと向いた。ついに茂みの中に入っていくらしい。もともと外灯の少ない道だったが、遠巻きの民家の明かりさえも期待できない茂みの中は、流石に地元民の私でも懐中電灯を握る手に力が入る。
草を踏みしめながら、一歩一歩進んでいく。心なしかコウタとの距離が近くなったが不可抗力だ。相手が誰でも私はくっつくよ、多分。
茂みに入り五分ほど歩いただろうか。スマホをチラ見する程の余裕もない私には検討もつかないが、多分そのくらいだと思う。
ここまで無言で歩いていたコウタが足を止め、口を開いた。
「……あそこ、少し先の背の高い草の裏、見えるか?」
「え? なになに」
コウタが左前方の草むらを懐中電灯で照らした。真っ暗でよく見えていなかったが、目がなれるつれ、次第に家庭用倉庫程の大きさの、小屋のようなものが草木の裏側に見えてきた。
「……小屋?」
「そうだ、ここだ」
コウタが息を飲んだ。ここまで荒唐無稽な話に終始していたコウタが、いよいよ核心に迫ったというような表情を見せた。私にも緊張が走る。
こうたの目的地にたどり着いたのだ。
うん……?
え、待って。小屋? 小屋が目的地?
これってお父さんが危惧していた、まさかの自体なんじゃ……!?
「糸野」
「な、なに!?」
私は思わずファイティングポーズにも似た防御姿勢をとる。コウタはそんな私の様子を気にもとめず、私に身を寄せてくる。
そうか……。
コウタ、あんたのことはツレじゃ思うとったが、ここまでじゃの。もうしっかり男の本能を備えよるんな。
「これ、持ってくれるか?」
「……は?」
私が悟りにも似た境地に達していたというのに、コウタは私になんて目もくれていない。小屋の方を睨みながら、私に懐中電灯を託そうとしている。
もしかして、本当にカブトヌシとかいうUMA的化け物が存在していて、ここがその根城だとでも言うのだろうか。それはそれでマズい。
私に、先程までとは違った緊張が走る。
「あの小屋の右側じゃ、そこを照らしとって」
「う、うん。わかった」
返事をすると、ゴツい懐中電灯を受け取り、指示された位置をしっかりと照らした。その様子を見て、コウタはオッケーとばかりに右手を上げると、照らしている方と反対側から、小屋の裏手へと向かっていった。
いやコウタ、もしかして反対側から追い込んで、私に照らさせている懐中電灯のもとにその化け物をおびき出そうとしている?
やばくない? 危なくない? てか普通に怖いんだけど。
百七十五センチ六十キロのヘラクロスみたいな化け物が出て来たら、私逃げるどころか泡吹いて倒れる自信があるんだけど、その辺大丈夫そう?
考えている間に、コウタは怯む様子もなくと小屋の裏へとズカズカ入っていった。なんだこいつ。
――そして、そこからしばらくの間、ここを静寂が支配した。
文字通り小さな建物、小屋。裏側に回ったからといって大した時間がかかるわけない。というか数歩で出てこれる。
そして、もみ合うような音も、コウタの勇敢な声も聞こえない。よってカブトヌシとやらと一戦交えているという訳でもないだろう。
いや何よ、これ。なんの時間なん? もう帰ってええん?
私が心底訝っていると、私の照らす小屋の脇に、突如大きな影が現れた。
その刹那、私の足の爪先から後頭部まで、総毛立つ感覚が走った。
おそらくその影は、高さ百七十五センチほどはあるだろう。
そして、頭の先に木の枝のようなものがある。
……いや回りくどい。認めたくないが、オスのカブトムシの角、そう考えるのが妥当なものがついている。これはもしかすると本当に――
「――カ、カ、カ、カブトヌシ!?!?」
思わず腰を抜かしてへたり込みながら、素っ頓狂な声を上げた。
当たり前である。超巨大なカブトムシ的な何かが現れたのだ。こんなの驚かない人間はいないはずだ。
どうしよう、もしかして私、食べられちゃう?
いや生態がカブトムシなら樹液だよね? 主食、樹液だよね? ヌシは人間の体液を吸うとかそんなホラー要素ぶち込んでこないよね?
私が南無とかアーメンとか知る限りの祈りを頭の中で捧げていると、目の前の怪物が口を開いた。
「ウハー! ワシがここいらの長、カブトヌシじゃあ!」
……あれ?
何、こいつのセリフ。なんか安くない?
ここで少し冷静になった私は懐中電灯を化け物の方に向ける。
よく見れば、こいつ、セリフだけではなく装備も安い。
茶色い模造紙のようなものを巻き付けた身体。茶色く塗った塩ビ管のようなものを通した腕。加工した角材をヘルメットに固定した角。そして馬鹿っぽいサングラス。
それらを装備しているのは、明らかにコウタであった。
「……あんた、なにしよん?」
「ウハー! ワシがここいらの長――」
「いやもう聞いたけ、それはええ。私が訊いとんのは、なにしよんかってことじゃ」
「だ、だから、これがカブトヌシじゃ! うちの村で発見された新種の生き物じゃ!」
コウタは少し戸惑いながらもパワーで押し切ってきた。
カブトヌシ? 新種の生き物?
こいつは何を言っているんだろう?
もしかして私を驚かすためのドッキリだったってことなのだろうか?
カブトヌシ(笑)が安い装備を激しく揺らしながら、声を荒げる。
「い、糸野! はよ撮れ!」
「……は? とれ? なにを?」
「だから、ワシを、カブトヌシをじゃ!」
「怒りに任せて、この懐中電灯で殴りつけてお前を捕らえればいいんけ?」
「違う違う、スマホで撮るんじゃ、そしてSNSや動画サイトにアップするんじゃ! カブトヌシ発見を世界に知らしめるんじゃ!」
うわ、なんか言い出した。
もしかしてこいつの目的はそれ? バズって一発当てたくなって私を巻き込んできた、そんな中二的野望なのか。
「糸野、お前この村には何もない思っとるじゃろ、この村じゃ何もできんおもっとるじゃろ!」
「え?」
「聞いたんじゃ、お前のオカンに! お前高校出たら東京か大阪やこ行こう思っとるじゃろ!?」
「……別にいいじゃろ」
まさかのことを言われて私は心底、動揺した。
同世代の人に話していなかった、私の野望。都会に出て、ネットで見るみんなみたいにキラキラしたいという、私の夢。
なにか御大層な夢を追いたいんじゃない。特段の目的もない。ただただ、都会で普通に生活をして、普通の女の子のようにキラキラしたい。
そのために私はお母さんにだけは進路を相談していた。同じ田舎の女性として、きっと分かってくれると思ったから。
……まさか、そこから同級生で幼なじみのコウタに、情報が漏れるなんて思ってなかった。
コウタは語気を強めて続けた。
「俺は、嫌じゃ! お前がここからいなくなるんも、この村になんの可能性もないって思われるのも! 俺は好きなんじゃ! だから――」
コウタは両手を広げて、背後の大自然を背負うように眼力を強めた。
「――俺はここで、ここでしか、この大自然の中でしかできない、カブトヌシチャンネルを作るんじゃ! 糸野と一緒に、作るんじゃ!」
うわ、またなんか言い出しおった。
「糸野のコメントは秀逸じゃ! それは俺が一番良く知っとる! だから毎回俺が変なカブトヌシを演じるけ、それに突っ込んでくれ! それがカブトヌシチャンネルの方程式、フォーマットじゃ!」
「……いや、色々言いたいことはあるんじゃけど、それオモロイんけ?」
「絶対オモロイじゃろ! 斬新じゃろ!」
「……違うんよ」
「何がじゃ?」
「私が思っとるのは、そんなよう分からんバズり方したいんと違う、ただ普通に、都会の女性として輝きたいだけじゃ」
「……それこそ何がオモロイん?」
コウタがいつになく真剣な表情になり、私に詰め寄ってくる。
「俺かて見てるよ、ネットしとったら嫌でも目につくけ。でもな、あんなふうに量産型の女子になって、そこに迎合して何がオモロイん?」
私は声を荒らげる。
「お前は男じゃけ分からんのじゃ! その量産に憧れる気持ちが!」
「分からんよ! あんなやつらよりお前のほうがよっぽど輝いてるようにみえるけ、お前が何を求めよるか分からん!」
結構な熱量で返したはずの私が、その上を行く熱量で気圧された。
「俺が一番糸野レイを知っとる、見とる! お前のSNSのアカだって知っとるよ! でもお前はここで、何にも発信しとらん! 人のを見るばかりで、お前は何にも発信しとらん! 何を勝手にコンプレックス抱えとるんじゃ! お前には十分に魅力があるのに、まだステージにも立ってないのに、量産型に安心感求めとるのが気に食わん!」
グサッときた。
確かに私は都会の女子と同じようなアプリを入れて、その日常ぶりを覗いていた。自分でもなにかアップしてみたいと思ったりしたこともあるが、その気持には蓋をして、ただただ人のを見ていた。
自信もないし、怖かった。田舎者だと馬鹿にされるのも、自分の発言が世界中に流れるのも恐怖だった。
その恐怖心は悪いことじゃないと思う。でもそれらを打破したいという気持ちが根底にある以上、どうしてもコンプレックスというものを背負わされた。
私は『田舎』を犯人にした。そして都会に出れば何かが変わるという思い込みを、自分に擦り付けていた。
それを分かっていたけど、分かりたくないからとりあえず目を瞑って、都会に飛び出してしまえばいいと思った。
「……そんなん、分からん」
私の声は震えていた。気づけば頬に、何かがつたった。
その時、私の身体は然と何かに包み込まれた。コウタが私を抱擁したのだと脳が理解した時、血液が沸騰しそうな感覚が走った。
「……そんなお前を見てられん、糸野レイはすごいやつなんじゃ。だから俺が力になるけ、お前のこと守るけ、一緒にここでやってみようや、カブトヌシから、始めてみようや」
気づけば夜蝉も鳴くのをやめて、泣いているのは私だけ。
私はひどく滑稽だ。
ふざけた低レベルのコスプレ昆虫に抱きしめられて、涙して。
そして心に、火を灯された。
このふざけた『カブトヌシ』は、私のことを本当にヌシみたいに、神様みたいによく知っていて、よく見ていた。
そいつが私をすごいやつって言うなら、私もそれを信じて見ようかな。
そんなふうに思えたんだ。
「……ありがとう、コウタ」
私は、ふざけた模造紙に手を回して抱き返した。
すると今度はカブトヌシがそれに動揺して、自分の手を解き放つ。
「わ、わかりゃええんじゃ! いいか、ここが俺が探した中で一番使えそうな撮影現場じゃ! 小屋も何かと使えるし、そんな遠くないけ!」
「……いろいろ、考えてくれてたん?」
「そ、そりゃの! 幼なじみの好じゃ!」
「コウタ」
「な、なんじゃ」
「ありがとう」
私はコウタに抱きついた。
感謝とか恋とか友情とか、そのどれでもない一歩を踏んで。
コウタは取り乱しもせず、それを受け止めてくれた。
「……糸野、まだ高校卒業まで、時間があるじゃろ? それまでここで、何が出来るか一緒に試してみようや」
「……わかった、そうするけ」
「よし、それじゃあ早速、明日から撮影じゃ!」
***
翌日から私たちはああでもないこうでもないとアイデアを出し合い、まだ見ぬ『カブトヌシチャンネル』の準備を始めた。
やると決めてしまうと心はスッキリと晴れて、なにか大きなことができそうな気がしてくる。人間の心は不思議で、それでいて単純なんだと思った。
まずはここで色々と撮ってみて、それを編集してアップしてみる。そして私も、自分で何かを発信してみる。ここでしかできない、ここの今を。
その勇気をくれたコウタに、色々な関係性でどこに結びつくかわからないこの幼なじみに、私はとても感謝している。
そして今日も、うちの窓に向かってそいつは叫ぶ。
「糸野、カブトヌシ撮りに行こうぜ!」
何もない田舎の、何の変哲もない夏の日の、あの夜のこと。
私はいつかドヤ顔で、ターニングポイントだったと語りたい。
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