十輪都鶴

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 あの夏の日。蛇石が小学校から見た星降(ほしふり)市留(いちる)は、この世の人ではなかった。その時間には、すでに亡くなっていたのだ。  毒に倒れた市留は、救急車で病院に運ばれたが、手の施しようがなかったと後から聞いた。  山中で、早耶人たちに襲われてひん死状態だった市留を助けたが、それは都鶴であった。蛇石には、都鶴がなぜか市留に見えていた。  都鶴は、その間の記憶がすっぽりと抜け落ちていて、覚えていたのは毒を飲んだところまで。自分の身に何が起こったのか、まるで分かっていなかった。  市留を負ぶって山を下りたのは事実である。背中越しの会話を、今でも生々しく思い出せるのだから。  あれは、星降市留だったからこそ、交わせた内容であった。助けたのは、間違いなく市留であった。それなのに、山を下りて体を降ろすと、後ろにいたのが都鶴だったので、腰を抜かすほど驚いた。  錯覚の一言で片付けるには無理がある。そんな間違いが自分に起きたのなら、どこかが異常である。  あまりの恐ろしさにショックを受けた蛇石は、それから心を病んでしまって、数年間教壇に立てなくなった。  今になって思うこと。あれは、憑依だったんじゃないかということだ。  市留と都鶴は、ほぼ同時に毒を飲んでひん死状態となった。都鶴は、住職が飲ませた解毒薬で一命を取り留めたが、市留は、残念ながら間に合わなかった。その際に、体から離れた魂は生きた体を求め、隣で意識不明だった都鶴の体に乗り移り、一時的に体を借りて生き返った。そういうことではないだろうか。非科学的な説で信じがたいが、そうでなければ説明がつかない。  体は都鶴で、魂は市留。見るものには、市留としてその姿が映った。  早耶人たちにどう見えていたのかまでは知る由もないが、おそらく同じ状態だったと考えていいだろう。彼らもまた、都鶴を市留と思い込み、殺そうとしたのだ。  いや、たとえ都鶴であっても殺しただろう。彼らにとって、誰を殺しても違いはなかっただろうから。 「蛇石先生?」  ここまでやってきて、いざ向き合うと黙りこくる蛇石に、都鶴が怪訝な目を向ける。  蛇石は、思う。いくら都鶴に問いただしたところで、記憶がないから明確な答えなど返ってこない。それは分かっている。今回の訪問目的は、別の所にある。 「ああ、ごめん。歩き回ったからか、ちょっと疲れてぼうっとしてしまった」 「あ! 気が利かなくて、ごめんなさい!」  都鶴は慌てて立ち上がると、麦茶を持ってきた。 「こんなものしかなくて、すみません」 「いやいや、気を遣わせてしまって、こちらこそ申し訳ない」  蛇石は、恐縮する。 「君に訊きたいことがいくつかあってね」 「はい。何でしょう?」 「小学校の時のことだ」 「答えられるか自信がありません」 「無理にとは言わない。だけど、出来るだけ正直に教えて欲しいんだ」 「はい……」  お互い真剣な顔になる。 「『』を覚えているだろう?」  途端に都鶴の目が泳ぐ。 「五年生の時だったな。『廃トンネルの幽霊』というものが、クラス中で話題になった。探検に行った連中が、やれ、奥から線香の匂いが漂ってきたの、やれ、リコーダーの音が聴こえたの、やれ、転がる生首を見たの。一時期、休み時間になると、誰もがその話ばかりしていた」 「そうでしたっけ?」 「君も名前ぐらい聞いたことあるはずだ。とにかく、盛り上がりがすごかった」 「そんな大昔のたわいもない噂を、わざわざ言いに来たんですか?」  あからさまに話題を嫌がる都鶴は、むしろ、やましく見える。
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