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福籠早耶人
「そうだ……、早耶人……。早耶人はどうなった?」
「すっかり忘れていました」
蛇石は、ふらつきながらゆっくり立ち上がった。
「先生、もう大丈夫ですか?」
「ああ。早耶人を倒さないことには終わらないのだから、倒れてなんかいられない。市留君。もう一回、力を貸してくれないか? 早耶人がこの部屋のどこかに潜んでいる」
「そのことでしたら、先ほどから何となく感じていました。最初は、彩人君の霊気なのかなって思っていましたが、七奈と一緒にいなくなった今でも、この部屋にはまだ呪いの霊気が残っています。それが早耶人なんですね」
「そうだ。先ほど彼の声がした。それを聞いてから、彩人君は変貌したんだ」
宿敵の早耶人がここにいると思うと、全員の気が引き締まった。
フッと部屋全体が暗くなる。もともと、明かり取りの小さな窓が一つしかない、霊が好みそうな薄暗さだったが、より一層暗くなる。
視界が悪くなったので、蛇石が懐中電灯で周辺を照らした。そこに浮かび上がったのは、壁、天井、床一面に蔓延る不気味な帯状の影だった。
「何だ? これは?」
頭上にも、足元にも、いつの間にか忍び寄っていた。
先ほど、村の上空で見た光の帯とは正反対の邪悪な気を放っている漆黒の帯は、いく筋も伸び、それぞれに意思があるかのようにランダムにうごめき、スルスルと植物のように伸びて、四方八方から三人を包囲していく。
室温が急速に下がった。
「さ、寒い! 寒い!」
蛇石と都鶴は、体が凍えて吐く息が白くなった。市留だけは、平気だ。もとより、息をしていない。気温の影響を受けない。
「呪いだ! これこそが、呪いの正体だ!」
「じゃあ、早耶人がこれを?」
市留が叫ぶ。
「見て、あそこから出ている!」
空中のある一点、小さな黒穴から、漆黒の帯が放射線状に出ている。
穴は、すぐに広がって、中から早耶人が出てきた。
「早耶人だ!」
「あの醜い姿は何?」
蛇石と都鶴は、見ただけで震えあがった。
顔は早耶人だったが、首から下は異形だったからだ。いくつもの頭が集まって、不格好な体を形作っている。どの顔も醜く歪んでおり、こちらを睨んでいた。
「何体もの霊が合体して、早耶人を形作っているみたいだ」
早耶人彩人兄弟に似ている顔がいくつもあった。
「下についている顔は、どれも早耶人や彩人君に似ている。福籠家の血筋じゃない?」
「もしかして、福籠一族の集合体か?」
「先祖代々、恨みを積み重ねた一族たちの怨念。その集大成が、早耶人に体現されたということじゃないでしょうか?」
「つまり、早耶人がこの村に伝わる『呪いの子』だったってことか」
早耶人は、福籠家の長男として生まれたことで、先祖の宿業を背負わされた不幸な存在であった。
「しかし、そうだったからと言って、今までの悪行が許されることにはならない」
彼らの深い恨みは、どこに逃げようが、子々孫々まで追いかけて呪うだろう。ここにいる自分たちだけじゃなく、村外に逃げた人たちまでいずれ全滅させられる。早耶人を倒さなければ、未来永劫、安寧など訪れないのだ。
「でも、先生、あそこまで積み重なった恨みつらみの塊である彼を、どうすれば倒せますか?」
「それは……」
蛇石だって、そこまで知識がない。
「市留は、分かる?」
「黒い帯の動きを止めてくれれば、私が何とかする」
「それこそ、どうやって?」
蛇石と都鶴も出来ることはやるが、影を止めるなど無理だし、どうにもこうにも、自分たちだけでは心もとない。
先ほど協力してくれた玉鉾威風でも来てくれれば、少しはマシだろう。
「玉鉾威風は呼べない?」
「呼んでみる」
市留は、玉鉾威風に心の声で呼びかけたが、反応はなかった。
「ダメみたい。この部屋は、早耶人の呪力で封印されている。外から入れないし、中からも出られない。私と七奈が入ってこられたのは、まだ呪いで封じられる前だったからなの」
「ここにいる、僕たち三人だけで戦えってことか。覚悟を決めるしかないな」
蛇石は、勇ましくファイティングポーズを取った。
それを見た都鶴は、(さっき、あれほどあっさりと、早耶人より弱い彩人に呪い殺されたというのに、無理でしょ)と、同じ結果になる未来を予想して、暗澹たる気持ちになった。
市留がどこまで出来るのかも未知数だ。しかし、今は戦うしかないのだろう。
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