馬園倉重

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 私は初見なので名前を確認する。 「あなたが馬園倉重さん?」 「うん……」  ポスターでは快活な写真が使われていたが、目の前の彼女は当然生気がなく、暗く沈んだ表情をしている。  真夏だというのに両腕で体を掴み、ガタガタと震えて小刻みに足踏みしている。そして、口から白い泡をゴボゴボと吹いている。見るからに異様な姿だ。 「寒いの?」 「うん。すごく寒い。ずっとずっと寒い。息も苦しい。お姉さん、助けて」  訴えかける喋り方は幼い。死んだ時は小学生で、今も子供のままだからだ。 「ここであなたに何が起きたのか覚えていたら、教えてくれない?」 「私、彩人君のお兄さんに会いに来たの。そうしたら、貯水池に突き落とされて、頭を押さえられた。苦しくて暴れたけど、それより力が強かった。目の前では、私が吐いた白い泡がゴボゴボと沢山沢山出てきて、何も見えなかった」  よく見ると、全身ずぶ濡れである。 「いくらもがいても、頭を押さえつけられて離してくれなかった。ずっと苦しかった」  福籠早耶人に溺死させられた。それが死因だ。春先のまだ肌寒い時期に、冷たい水の中で死んだ彼女は、息苦しさと寒さに今でも苦しんでいる。何年も何年も。一人でここにいて、苦しんでいた。 「それは苦しかったね。でももう終わったから。あなたは死んで、全て終わっている」  馬園倉重の顔が鬼のように豹変する。 「私は死んでいない! 死んでなんかない! 私は生きている!」  自分が死んだことに気づいていなかった上に、言われても受け入れられないようだ。 「あなたはもう死んだのよ。水の中に頭を抑え込まれて、溺死したの」 「違う! 私は生きている! 意識はあるし、こうしてあなたと喋っているじゃない!」  自我があるから、私と話しているから、だから死んでいないと言いたいようだ。 「長い間、誰もあなたの存在に気付かなかったんじゃない?」  顔つきが険しくなる。キッと睨みつける赤い目。怒っている。  認めたくない気持ちが、怒りとなって私を襲う。 「私を騙そうとしないで! 大っ嫌い! あっちへ行け!」  いくら説明しても、納得しない。  私を全力で拒絶してきた。気が強い。  彼女の性格が元々こうなのである。  都鶴を率先して苛めていたのだから、驚くに値しない。死んだからといって、心優しい人格者に変わるわけではない。 「変なことを言ってごめんね。許して」  私の謝罪で落ち着きを取り戻した彼女は、元の無表情に戻った。  説得は諦めた。あとは彼女次第である。 「どうしてそんなことをされたのか、分かる?」 「先祖を恨めって言ってた。意味が分からなかった」  彼女の先祖が古参村人だった。それだけの理由。彼女にとっては、理不尽なことこの上ない。殺されることに納得いくはずがない。それも、自分の死を受け入れられない理由の一つだろう。 「なんで彼と会おうと思ったの?」 「彩人君のことで、相談に乗ってくれるって言われたから」 「どういう意味?」 「私、彩人君のこと好きだった。彼のことなら、なんでも知りたかった。弟のこと、いろいろ教えてやるから、放課後になったら誰にも内緒でここにおいでって誘われた。門の鍵は、お兄さんが開けておいてくれた」 「そうだったのね」  門には鍵が掛けられていたから中学校側に入り込むことはないと、当時は考えられていた。早耶人が後から施錠したのだろう。  子供の純粋な恋心を利用して殺した、人の心を持たない化け物。それが福籠早耶人だ。 「いろいろ教えてくれてありがとう。じゃ、これで行くから」 「もう行っちゃうの?」 「ええ。時間もないし。さよなら」  彼女は、会った時と同じ状態となった。  両腕で体を掴んでガタガタと震えて足踏みして、口からゴボゴボと泡を吹いている。  これからも、ずっとこの状態で苦しむのだろう。それは、彼女が受けなければならない(カルマ)ではあるが、ほんのちょっとでも、素直な心になって聞く耳を持てば救われるのにと、残念に思った。
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