序章

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序章

 ――どうしようかな――  伽耶(かや)は、腕を組み思案していた。  階段の踊り場は、上階のスラブラインに合わせて窓が切ってある。  高校二年生の中で、標準より少し大きいかも知れない162センチある伽耶が、気持ち見上げる高さなのだけれど。  そろそろ夕闇が迫る頃合いで、もう、ほとんど陽は差し込まず、ぼんやりと薄暗くなって来ていた。  と言っても今日などは、昼を過ぎた辺りから雨が降り出したのだから、もともとそんなに光量の足りている日ではなかったが。  この日、天気予報は雨を予想していなかったので、伽耶は傘を持っていなかったのだ。  けれど『バスを降りた後の距離を考えたら、伽耶が持って行って』と、ハルカが自分の置き傘を持たせようとしてくれた。  そんな些細な事にまで自分を気遣ってくれるなんてと、伽耶は思い出すだけで口角が引き上がる。  ――ハルカの傘を、借りなくてよかった。汚してしまったら大変――  伽耶は薄く笑うと、手に持っている血まみれの傘を一瞥してから、踊り場の壁を背に、やはり血まみれでへたり込んでいる男子生徒に向かって、彼の物だったその傘を放り投げた。  ――何モノかになろうとする努力をしようともしない者が、他人には何がしかの努力を強要し急き立てる。親がこの高校の理事の一人であるとか、地域の権力者であるとか言う事は、基本的に本人の実力には無関係なのに。醜悪な“負の感情”をいつでも垂れ流してハルカを怖がらせるなんて、二度とそんな事は出来ないように――  滑稽で不愉快でつまらない口先だけの男子生徒を見下ろしながら、そんな思いを巡らせていた。  その時「伽耶」と呼ぶ声がする。 「ハルカ、帰ったんじゃなかったの?」  声のする方を、直ぐに振り仰いだ。  手摺から身を乗り出して覗き込んでいるハルカが見える。あごの辺りで綺麗に切り揃えられたおかっぱの髪が、少女らしい優し気な頬にさらさらと流れていた。 「伽耶が心配で戻って来ちゃった。怪我しなかった? 楽しかったの? もういいんだよ」  そう言いながら伽耶に向けるのは、決まって、きらきらと揺れる黒目勝ちな瞳。 「こんな人気のない、取り壊しが決まっているような旧校舎まで、わざわざ連れて来ておきながら、面白い事の一つも見せてくれやしないんだから。もう、本当にダメダメなんだよ」  伽耶はそう言って、子どものように頬をぷくっと膨らませた。
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