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第三話 アパートの住人たち
3
公園を出た二人は、ここから徒歩5分の、デュークの住むアパートへとやってきた。
場所はわりと都心の方だが、難易度ナイトメアのため、裏路地にあるようなオンボロの年数のたったワンフロアに、3部屋、合計6部屋の、2階建ての木造アパートだ。
普段宮殿のような美しい場所に住み慣れているデュークには、かなりきつい物件。
下界への住居はレベルごとにランダムなため、初めて家の有様を見たギルバートは、主人の不遇に、胸に罪悪感が押しかかる。
これは、かなりハードモードですね…。
そもそも超難は、前世にかなり重い罪を犯した人間だけですし。
神聖なるデューク様にとっては、かなり不遇――。
「あ、こんばんはっす」
デュークの声に顔を上げるギルバート。
目の前には、一階の101号室の扉を開けようとする小柄なスーツ姿の女性が、デュークの声にメガネ越しに気まずそうな顔でこちらを見つめる。
「――っ!」
女性は1ミリほどの会釈をした後、慌てたように部屋の中へ入っていった。
「デューク様、お知り合いなのですか?」
「バカか。
隣人には挨拶するのが基本だろ。隣人関係は大事だ!」
「はぁ。
頭でも打ったのでしょうか。あの横暴なデューク様がそんな当たり前なこと言うはず――。」
そうですか……。お優しいですね。
「おい、ギルバート!逆だ逆!
ったく、段差に気をつけて上がれよ」
「お気遣いまで!――お邪魔します」
ミシミシと心もとない階段を登って、1番奥の部屋の前までやってくる。
かなり年季の経っているアパートで、至る所が痛みまくってボロボロだった。
デュークが鍵を開ける。
ギルバートが部屋の中を覗くと、6畳二間ほどで一組の布団が敷いてあった。
「お前、あの布団で寝ていいぞ」
「えっ」
デュークの気遣いに、目を丸くするギルバート。
いいんですか、と口を開こうと思った時だった。
「その代わり、お前が天界から持ってきたベッドをこっちによこせ」
「……。」
一気に冷たくなったギルバートに、デュークが反撃する。
「何だよ、その目は!俺はお前の主人だぞ!
つか!この不遇だって、原因はお前が超難を選んだから――」
「あ!また人のせいですか!あれはデューク様の固い意志を汲み取って――!」
そこで、ハッと我に返るギルバート。慌てて口を抑えるが、すでに遅かった。
「……やっと白状したな、お前。
どうりでおかしいと思ったんだよ、この周囲の闇!
超難じゃねえと説明つかねえもん!
お前やっぱ床な!布団も貸してやんないね!」
「やです!!私だって布団で寝たいです!
そういうデューク様だって――!!」
そうギルバートが、叫んだ時だった。
「うるさいってんだ!!」
「?!」
凄まじい怒号と共に、勢いよく、すぐ横の壁がサッカーボール並みの激しさでバウンドする。
「てめえら、何時だと思ってんだ?!
喧嘩なら真昼間にやらんかい!!ここの壁の薄さは初日に教えてやったよなぁ?! 創造主?!」
「?!?!」
その凄まじい怒号に、温室育ちのギルバートは思わず硬直する。その横で、全てを悟ったデュークが、蚊の鳴き声のような音量で口を開いた。
「ももももちろんっす、ボス……」
……ボス?
デューク様のいつもの威勢の良さが、ミキサーですりつぶされたよう……。
ギルバートは、反対側の壁へすすす、と移動すると、細心の注意を払って、小声で呟く。
「一体、何があったんですか、デューク様……」
デュークが玄関の方へ指を指し、「外行くぞ」
「まじ、死ぬかと思った!」
また元の公園へ戻ってきて、そうデュークが叫ぶ。
「色んなことありすぎて、忘れてたぜ…っ!ボスの存在――」
「ボスってなんなんですかっ?
猛獣でもあんな怒号出しませんって!」
「聞いて驚くなよ、ギルバート。実はあのアパートには――」
そうデュークが話し始めた時だった。
「まぁた、あんたのせいですか。ボス怒ってるの」
軽快な男の声に振り返ると、気さくそうな人懐っこい笑みを浮かべた大学生くらいの青年が立っていた。
ダボっとした大きめのフードを着ており、金色の髪の傷んだ髪の毛。
額のやや右側に分け目があり、左目を隠すように髪が覆っている。
さらに、右耳の辺りで色とりどりのピンを付けて髪を留めている男。
男はそばにいるギルバートに気づくと、素っ頓狂な声を上げた。
「あれぇ〜、隣の人、誰っすか?
あ、もしかして、創造主さんの友達?
いたんだぁ」
「……いや、こいつは――」
「あ、いえ、友達とかではなく、私はデューク様の付き人のギルバートと申します」
「え、付き人?
もしかして、そういうごっこ遊びっすか?」
「いえ、ガチです」
真面目に返すギルバートに、黙り込んでしまったガク。
聞いていたデュークはやれやれと頭を抱えて言う。
「もういい、ギルバート。お前が絡むとさらにややこしくなるから、下がってろ」
渋々下がるギルバートに代わって、デュークが口をひらく。
「すまんな、ガク。寝てたか?」
「まさか。
ちょーど、タバコ吸うとこだったんで、いいタイミングでしたよ」
「え?じゃあこの人――」
「ああ、こいつはボスを挟んだ俺の反対側の角部屋の住人、ガクだ」
デュークの言葉に、ガクと呼ばれた青年が軽く会釈をする。
「201号室の青藍 ガクっていいます。ガクでもなんでも好きに呼んでくれて構わないっすよ。ギルバートさん」
「あ、これはご丁寧にどうも。
――じゃなくって!!誰なんですか!そのボスって」
「ああ、その説明がまだだったな。」
側のベンチに座ってタバコに火をつけるガクの横で、デュークは居住まいを正すと、神妙な面持ちで続ける。
「ボスってのは、このアパートの二階、俺とガクの間の部屋に住む、在住歴40年の照義さん、65歳のことだ。」
その言葉に、ギルバートはようやく納得がいったように手を叩いた。
「――ああ。なるほどデューク様のお隣さんですか。
たしか、沖打 照義、でしたよね?
数年前に離婚を果たした後、大工を引退して、今は隠居生活を営んでいるとか?」
「……分かってんなら聞くなよ」
「いえ、どの方かまでは知らなかったので」
そのやりとりをしていると、隣のガクが面食らったようにギルバートを見やる。
「なんで、ボスのこと詳細まで知ってんです?俺ですら、離婚のこと、知らなかったのに。
ボスのことも、俺のことも知らなかったギルバートさんがなんで。」
「あー、いや、こいつはなー……」
気まずそうにデュークが頭をポリポリかく。それを見越したギルバートが気を利かせて答える。
「私、実はこのアパートの元住人なんです。3年前に短期間だけ住んでたんですが、今は別の住居に引っ越しまして。」
「…あ、そうなんすか?」
「ええ。
当時、今の203号室のデューク様の部屋に住んでいまして。
そのあと、いい部屋ないかと相談されたので、紹介して、デューク様が入居したんです。」
すらすら嘘が出てくるギルバートに、デュークは一人感心していた。
こいつ、やるな。
嘘つく天才なんじゃねえか?
そういや、こいつ、たしか天界学校の主席だったっけか?
今の時代、あそこでこんな嘘も学べるのかよ?
そんな事を考えているデュークの隣で、ギルバートはガクの様子を見ながら、心の中で思う。
青藍 ガク。
この方の懐疑心を消し去るには、あともう一押しですかね。
「その当時、沖打さんにはまだご家族がいらしたので。
あんなに怒鳴る方じゃなかったから、驚いてしまって。」
「!」これにはさすがのガクも目を丸くした。
「…へーえ。そうなんすか――」
……何とか、うまく丸め込めたよう、ですね。
私としたことが。
そういえば、彼は猜疑心が強かったんでしたっけ。
これからは気をつけないと。
ガクは読めない表情で含み笑いをしたまま、目を細める。
「……俺きたの2年前なんで、じゃ、俺がくる前ってことすね。なぁんだ、センパイだったのかぁ」
そう言って、一瞬考えるような仕草をした後、ガクが「あ」と呟き、ようやくいつもの人懐っこい笑みを浮かべて二人に尋ねる。
「そういや、さっき布団のことで喧嘩してましたよね?床で寝るとかなんとか。」
「! なんでわかったんだよ?」
「筒抜けっすよ。
ただでさえうち壁薄いのに、大声で叫ばれたら、誰だってわかります」
そう言いながら、地面にタバコの吸い殻を落とすと、そのままガクは年季の入ったスニーカーで火を消す。
「良かったら、一組貸しますよ。俺ベッドで、布団余ってるんで。」
「あー、でもな――」
天界のベッドが――と言いかけたデュークに、ギルバートが慌てて耳打ちする。
「同じ布団だったら、フェアですよね?
ただでさえ怪しまれてるんですから、ここは一旦承諾すべきです」
「……ちっ、仕方ねえか。そうだな」
「あー、大丈夫そうです?」
二人を見かねたガクが口を開く。
「大丈夫だ!」
「大丈夫です!」
「……そっすか。
――んじゃ、俺んちにあるんで、移動させるの、手伝ってくれますかね?」
「もちろんだ!」
「もちろんです!」
そう叫んだ後、公園からアパートへの道を三人で戻る。
ギルバートがさらにガクの懐疑心を解くように呟いた。
「でも、布団を貸してくれてよかった。デューク様のパワハラに耐えかねていたところだったので」
「あ?なんだと。元はと言えばお前がな――」
デューク様!
喧嘩ふっかけたわけじゃないですよ!!
空気読んでください!!
「そういや、デュークって、なんなんすか?
創造主さんのあだ名?」
「ああ、デュークは公爵っつういみだ!カッケーだろ?」
一瞬黙り込んだ後、ガクが顔の筋肉のうち、口角だけを上げる。
「………………はい。」
「あ、お前思ってねえな!いいか――」
「デューク様、静かにして下さい…っ!
そろそろアパート――」
その声に慌てて口を抑えるのを見ながら、ガクは聞こえない声でつぶやいた。
「――3年前、ね」
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