飛頭蛮

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「仏さんは玄関先でひっくり返った状態のまま発見されているな。おそらくその時に彼女は脊髄を損傷したんだろう」 そこまで言うとようやく菅原医師はこちらに振り向いた。その表情には疑問も怯えの表情も読み取れなかった。いつもの――辛そうな表情だけだった。 「けどそいつは死因じゃねぇ。頭部の激しい打撲痕に頭蓋骨折。頭部への強い衝撃による脳出血。それが死因だ。伸びてねじれた首にはきちんと気道が確保されていたし窒息の痕跡は無い。彼女は唯一自分で動かせる首を、それこそ首が伸びるくらい振り回し続け、周囲に叩き付けていた事になる」 「何で――どうしてそんな事を?」 「さぁね。動かせる首だけで音を出して知らせようとしたのか、餓死する前に自殺しようとしたのか」  そこまで言うと菅原医師は吸殻を床に落として踏みつけると、また新しい煙草に火を点けた。 「まともに考えれば、転倒した拍子に脊損と同時に脳内に出血。それが脳を圧迫した事により頭部を更に激しく暴れさせる舞踏病様運動が出現――ってとこなのかねぇ」 そして医師は鼻から煙をぶわりと吐き出して、 「ありえねぇけどな」 と言った。 「餓死の線はどうなの?」 「ホトケさんは喉の渇きに対し自分の血液を飲んでいた。それは咽頭や胃壁に残っていた血液から判断できる。だがホトケさんはその後何らかの方法で栄養を摂取し続けていた可能性がある」 「どういう事?」 「遺体は飢餓状態に無かったんだ。飢餓状態になると人間ってのは自分の体――筋肉なんかを栄養に変えても生き延びようとするんだが、その痕跡が見られねぇ。というか栄養状態に関してはむしろ偏る位に充実していたと言って構わねぇんだ」 「――第三者が食べ物を?」 「それも無ぇ。さっき言っただろうが。腹の中は干からびたウンコと血のカスだけ。あぁなってから何か食っている筈が無ぇんだ。それなのに栄養状態は問題無ぇときた。こっちが聞きたいことだらけなのさ」 そして煙を空に吐き出しながら、菅原医師はまた私に背を向けた。 「医学の常識だけじゃ調べられねぇんだよ」 「――首はいつから伸びたの?」 暫くの無言に堪えられず、気が付いたら口にしていた。 「意識のある間に振り回して伸びたんだろ。頭部の傷は生きている間の傷だ」 「タイの首長族だって短期間でそこまで伸びないわよ。しかも脊椎から頭骨が外れていたって…そんな状態で生きていられるの?」 私が食い下がると菅原医師は投遣りに答えてくれた。 「知るか。『伸びている』んなら伸びたんだよ。『生きていた』のなら生きてたんだろ。そうなりゃもう妖怪だがな」 「妖怪?」 「あぁ。飛頭蛮(ろくろくび)ってな。こう首だけがスルスルーっと伸びる」 「首が――伸び――」 すると菅原医師はそういえばと呟いて、 「通報した下の階に住む大学生のバイト先が近くのコンビニだったな」 と続けた。そしてふざけるようにニヤけ、 「――首だけが客として来たから通報したのかも知れねぇぜ?」 と言った。  それを聞いて、私は冷たい掌が心臓を鷲掴みにしたような気持ちになった。  あれは通報をくれた男性にご協力の礼を述べ、調査が終了した事を告げてその部屋を立ち去ろうとした時だった。  学生さんが私を引き止めて聞いてきたのだ。  私はあの通報をくれた学生に対し『死んでいた』とはひと言も話していないのに。  それどころか―― 「刑事さん。あ、あの人の――」  あの人の首はどうなっていましたか。  彼はそう言った。  無事でしたか、とも死んでいましたか、とも聞かず、ただ『首はどうなっていた』と聞いてきた。  何を見たの――気になったがそれは聞けなかった。 「どこにも異常の無い普通の首だったよ」 私はそう答え、それ以上は何も言わなかった。彼もその言葉を聞いて、自分で両腕をぎゅっと抱き締めて俯いたまま、それ以上聞こうとはしなかった。 「け、警察は妖怪も相手にする組織だったっけ?」 「んにゃ。鬼の手を持った奴とか片目の下駄履いた小僧にでも頼むんだな」 ほれもうさっさと行きやがれ。  そして菅原医師は私に背を向けたまま、新しい煙草に火を点けていた。 「最後に一つ聞いていい?」 「あぁ。常識の範囲内でなら答えてやる」 私は溜息混じりに聞いてみた。 「頭部のすぐ傍にあった未使用の履歴書ってなんだろ?」 通報した彼が勤務するコンビニで扱っている履歴書が遺体の横に落ちていたのだ。菅原医師は大きく煙を吐き出して言った。 「――コンビニ帰りに持ってきたんだろ。」
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