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取調室は、想像した通りの部屋だった。
この光景を見れば、刑事ドラマ好きの東堂ならば狂喜乱舞するのではないだろうか。そんなことを考える。
目の前には、宇都宮と名乗った刑事が、藤田の心を見透かそうとするように、こちらを覗き込んでくる。
そして右手奥には、取り調べの様子を記録する係の人がパソコンと向き合っていた。
しんとしていた。どこからか、時計の針が聞こえる。
「では、犯行方法を、語ってもらえるかね」
「はい」藤田はそう言うと、ポケットから平たい透明のケースを取り出した。そこにはCDが入っている。「これを使いました」
「これを?」宇都宮は目を丸くした。「どうやって」
「体育祭では、何時何分にどの曲を流すのか、放送部によって決められていました。僕はそのセットリストを聞き出しました。そして、BGMに使うCDの一つと、このCDをすり替えました」
「このCDは、何が入っているんだ?」
見た目に反して、意外と鈍感らしい。冬城とはまるで真逆だ。
「編集で、音楽の途中に銃声を加えました」
「‥‥‥なるほど」
藤田は今まで固定概念に縛られていた。
あの銃声が、現場の窓から響いたのだという固定概念に。
しかし、それは間違いだったのだ。
あれは、他でもないスピーカーから聞こえてきたものだったのだ。
そう、ZARDの『負けないで』が流れるスピーカーから。
——体育祭のときも、一からセットリスト決めるための会議があってさ、大変だったよ。
あのとき、放送部の成田はそう言った。
要するに、体育祭のときに流れる曲目は最初から決められていたのだ。
それをあらかじめ聞き出して、その際に使うCDと、銃声が編集で加えられたCDをどこかのタイミングですり替えれば、どうなるか。
銃声が鳴ったのは、十時五分ごろだった。
そのときスピーカーからは、ZARDの『負けないで』が流れていたはずだ。
この曲の途中に、編集によって銃声を加えれば、何時何分にこれを流すかも決められているので、目論見通りの時間帯に、校庭に銃声が響き渡る。
そしてその瞬間、自分は観客席にいて衆人の目にさらされていれば、犯行の瞬間に自分は観客席にいた、という完璧なアリバイを作り出すことができる。
そう、それは四条にも出来た。
また、銃声が響いたあと、四条が向かったのは放送室だったのだろう。
そして、騒然とした中、どさくさに紛れてそのCDを回収しようとしたのだ。
しかし、その際に階段で足を滑らせ、その計画は失敗した。
だから、あの夜放送室へ行くと、その問題のCDは棚の中に入れられていた。
ZARDの『負けないで』がダビングされたCDをプレイヤーで流してみると、予想通り曲の途中で大音量の銃声が流れるようになっていた。
「僕はそのようにして、自分のアリバイを作りました。偶然、その瞬間をクラスメイトが動画で撮ってくれていたので、それも自分の鉄壁のアリバイを補強する材料になってくれました」
完全なる後付けだが、しかし、藤田が冬城にあの動画を送った理由にもなる。
「分かりました。では、具体的にいつ、馬田さんを殺害したのか、教えてください」
その声は宇都宮から放たれたものではなかった。奥のドアが開き、そこから冬城が姿を現す。彼が訊いてきたのだ。
「それは——」
「先ほど彼の友人である東堂さんに話を伺ってきました。なぜか彼、とてつもなく興奮していましたが、彼は詳しく話してくれました。あなたは、体育祭の最中、一度も席を立っていない。たとえあのようなアリバイトリックを利用しても、あなたには馬田さんを殺害するチャンスが、ない」
冬城はこちらに近づいてきて、机に体重をかけた。シルクハットのツバが当たりそうになる。
しかし、どうやら東堂はようやく冬城との邂逅を果たしたらしい。東堂の小躍りした様子が目に浮かび、藤田も少し嬉しくなった。
冬城は何やら勝ち誇った笑みを浮かべている。
おそらく彼は気づいている。
藤田が、四条を庇っていると。だから、こんなことを言ってくるのだ。
「確かに、僕は銃声が鳴る前、一度も席を立っていません」藤田は一呼吸おいて、真っすぐ冬城を見た。「しかし、一度だけ、馬田誠を殺すチャンスがありました。それは、僕ひとりで、現場である教室に向かったときです」
「ほう‥‥‥」
「僕は事件当日、あらかじめ三階のあの教室の窓だけ開け、カーテンを閉めておきました。それは、銃声が鳴ったときに三階に向かう口実を作るためです。
そして、あらかじめそこに呼び出しておいた馬田誠を、この手で、殺害しました。僕は犯行後、いろいろと工作をして、教室を出て第一発見者のフリをしようとしました。しかし、自分が人を殺してしまったということにショックを受け、その場で気絶してしまいました」
「‥‥‥なるほど。要するに、銃声が鳴ったあとに殺した、と」冬城は頬杖を突きながら、そう呟く。「確かに、あなたにも馬田さんを殺害するチャンスがあったようだ。盲点でした」
「はい」
なぜ四条をこんなにも庇っているのか、それは自分でもわからなかった。
なぜ藤田が彼女のために、しかも殺人という大罪を庇っているのか。
でも、四条の姿を思い浮かべると、とてつもなく彼女を守ってやりたい、という感情に襲われた。たとえ、自分の人生を壊してでも——
馬鹿らしい、と自分でも思う。
初めて会話を交わしてからまだ数日しか会っていない相手に、人生をもささげるなんて。
でも、もしこのまま四条が逮捕されてしまえば、藤田の人生どころか、四条の人生までも壊れてしまう。ただでさえ姉を失った彼女が、それは、あまりにも残酷すぎた。
それが彼には、耐えられなかった。
両親には顔向けができない。友人たちにも、申し訳ない。でも、すべては四条のためだ。なぜなら——
「それで、動機は?」
「ある日にこのアリバイトリックを思いついて、どこまでこのトリックが暴かれないのか、試してみたくなったんです」藤田は、わざとサイコな笑みを浮かべた。「ターゲットを馬田誠にしたのは、ただ単に彼のことが気に食わなかったからです。拳銃は、ダークウェブで購入しました。履歴はすでに消したので、もう辿れないと思いますが」
あらかじめ決めていた台詞を、藤田は自分でも驚くほど流暢に言った。
宇都宮は、藤田の身勝手な動機に、うんざりしたように大きくため息を吐いた。
そして、何か藤田に言おうとしたのだろう、口を開きかけたところで、隣の冬城が割り込む。
「非常に、残念です。あなたが、このようなことをする方だとは」
〝そのような〟ではなく〝このような〟と言ったことに引っかかりを覚えた。藤田の四条を庇う行為自体に言及しているのだろうか。
しかし、冬城がそう悟っていたとしてもかまわない。藤田の証言に齟齬はないはずだ。
だから、藤田が嘘を言っているという証拠がない。
「すみません。僕は、こういう人なんです」藤田は頭を下げた。「東堂たちにも、謝っておいてください」
「何をですか?」
「え?」まただ。冬城は惚けた。「僕は自分が犯人であるということを、今まで彼らに黙っていました。それを、です」
「そうでしたか。てっきり——いや」冬城は何か言おうとしたが、口をつぐむ。「さて。お遊びは、ここまでにしてください」
「え?」
冬城は、いきなり声色を変えた。
驚いて彼の顔を見るが、そこには、いつもの笑顔が浮かんでいない。
「馬鹿な真似は、これ以上やめてください」
「何を言っているんだ」
宇都宮が驚いた様子で言う。
「栃木さん」冬城は、じっと藤田を見つめたまま宇都宮に言う。「一度、僕ら二人だけにしてくれませんか」
「‥‥‥分かった」
宇都宮と同時に記録係も立ちあがったが、記録が中断されるのはさすがにまずいからか、冬城は「いえ、あなたはかまいません」とそれを制した。
宇都宮だけが去り、室内はどこか寂しくなる。
冬城は、変わらず藤田をじっと見ている。
「いったい、どうしたんですか」藤田は、冬城の重厚な視線に圧倒されながらも、何とかそう言った。「僕の証言に、矛盾はないはず——」
「山ほどありますよ。しかし、すべて言ってもキリがないので、割愛しますが」冬城は未だ無表情のまま、人差し指を立てた。「一つ、訊きたいことが。なぜあなたは、カーテンまで閉めたのですか?」
「それは、だから、さっきも言った通り」息が途切れた。「それを口実に三階に向かうために‥‥‥」
「ならば、窓を開けておくだけでよかったはずです。カーテンを閉めてしまえば、むしろ目立ちます」
彼の指摘は、見事に正鵠を得ていた。
しかし、そこで屈する藤田ではない。
「それは、中を覗き込まれないようにするためです」藤田は、必死に説明した。「ほら、もし銃声が鳴った瞬間に誰かに三階の窓を覗き込まれて、そこに死体がなかったら——」
途中で、無理がありすぎることに気づいた。論理の破綻。
なぜなら、大前提として、体育祭のとき、光の関係で外から窓の中を覗くことは出来なかったのだから。
「‥‥‥言い分は以上ですか」冬城は宇都宮の座っていた椅子に、ゆっくりと腰を下ろす。「犯人がカーテンを閉めたのは、なぜでしょうか」
なぜか、藤田に問いかけてくる。
「‥‥‥」
考えるつもりはなかった。考えれば考えるほど、犯人の存在に四条が近づいてくる気がして。
「それは」冬城は、にやりと笑った。「犯人が馬田さんを殺害した際に、雨が降っていたからですよ——」
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