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雨上がりの匂い
昇降口から覗き見る空。
雲の切れ間からは、薄日が差していた。
「あっ上がってるよ、雨…」
遅れてやって来たクラスメイトに、私はそう伝えていた。
生暖かく湿った匂いが漂う。なんかちょっと懐かしい感じ。何だろう、これ。いったい何に例えれば……
あっ、そうだ。ちょうど今の私にピッタリの……部活帰りの汗ばんだ制服の匂い。そう、それに似ている。
すぅーと、深呼吸してみた。
思い切り突出る育ち盛りの私の胸。ブラウスの第二ボタンが、悲鳴を上げている。
もっともっと、嗅いでいたい。私はなぜか、この匂いが好きだった。
それは初めて私が捉えた、官能というものだったのかもしれない。
「わぁ……雨上がりの匂いだ」
気持ちが思わず声に出てしまった。何かすごいものでも発見したかのように。
「なにワケ分からないこと言ってんの。それ、奈緒のオナラの匂いじゃない?」
クラスメイトが私をからかった。
私のフルネームは佐倉奈緒という。明るくて良い名前じゃん。自分でもそう思ってるんだけど。ただ……
ただ逆から読むと、
おなら くさ……
この名前のせいで小学生のころからずっとアダ名は「オナラ」だった。もちろんそれって、嫌で嫌で。こんなアダ名、ちょっと有り得なくない?
でもさすがに中学生となった今、どんなにオナラ、オナラってからかわれても屁のカッパになっちゃたけど。
部活の友達と校門で別れ、私は一人、並木道を歩いていた。すっかり葉桜となった木立の下は、むせかえるような空気が漂っている。
「誰かに分かって欲しいなぁ、この匂い…」
周りに誰も居ないとき、私は心に抱えたままの思いを敢えて大きな声で口に出す。大空に向けてストレスを解き放つのだ。
ドンヨリした曇り空が、日増しに色濃くなってきた並木の葉末から覗いていた。風がときおり木の葉を揺らす。
「いい匂いなのにぃ……」
「だよな…」
ドキッ! え!
背後から聞こえた男子の声。だっ誰?
恐る恐る、私は振り向いた。
あっ同じクラスの男子、佐藤君……
以前から私が少し気にしていた異性。その彼がすぐ後ろを歩いていた。
「オレも好きだよ、この匂い」
彼がいたなんて、全然気が付かなかった。でも風が言葉を運んでくれていた。
ひとりごとをつぶやきながら歩いていた気恥ずかしさ。そしていきなり、好きな異性が現れた驚き。
あっ今「オレも好きだよ」って、言った? 言ったよね。
「なんか青春っぽい匂い……だよな」
続けて彼が、そう言った。
「うん!」
嬉しさでテンションがあがり、思わず私は彼を見上げる。あっ……
視線がピタリと合った。ほんの一瞬だったけど。
頬が燃えるように熱くなるのが分かった。きっと私の顔は真っ赤っ赤なはず。恥ずかしい……
♡ ♡ ♡
間もなくやってくる梅雨の季節。今日の天気はその訪れを連想させている。
雨上がりの並木道。会話が途切れたままの彼と私が、少し距離を開けて歩いていた。足元のあちらこちらに小さな水溜りがたくさん出来ている。
パシャ!
心の動揺から足取りが乱れる。私は思いっきり水溜りに足を踏み入れてしまった。
一瞬、水溜りが濁った。けれどもそれはすぐ元に戻り、少し明るくなってきた空を映し出していた。
「わっ、やっちゃった」
「あははっ」
微笑みの視線が、ふたたび交わる。なんかこれベタな青春ドラマみたい。
そう思いながら私は、雨上がりの匂いをひとり感じていた。
ちょっと甘酸っぱいみたいな匂い。そんなふうに感じたのは、初めてのことだった。
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