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借物の恋
先週からオレは、天の神様にある祈りを捧げていた。
「その日だけでいいのです、神様。ジャンジャン雨を降らせ、体育祭を中止にしてください」
だがその当日は……
♤ ♤ ♤
窓の向う側でしきりに鳴く小鳥。その声でオレは目を覚ます。カーテンの明るさが、これ以上ないくらいの晴天であることを教えてくれていた。
ポン、ポン、ポポーン…… 花火の音だ。体育祭実施のお知らせだった。目覚し時計を見る。
am 6:30。
「はぁ……」
大きくタメ息をつき、オレは布団を抜け出した。
♤ ♤ ♤
足どり重く登校する。校舎に近づくにつれ、拡声器から流れる音楽が明瞭に聞こえてきた。
「放送部の奴ら……その音楽、耳に突き刺さるんだって」
悪態をつきながらも、ついリズムに合わせて手と足を振り上げ歩いている。そんなオレ自身が実に悲しかった。
この喧騒から早く逃れたい。ただそれだけをオレは願っていた。この忌まわしい体育祭という学校行事よ、早く過ぎ去ってくれ。
オレが体育祭を、そこまで嫌う理由。それはオレの運動神経が、凄まじく悪かったからに他ならない。
何ゆえに全校生徒、更にその家族なんかにまで、オレの無様な走りを晒さなきゃならんのだ。
オレの走る姿は、いわゆる 「乙女走り」というやつだった。腕を横に振り、内股で走るアレ。 今どき女子でもこんな走り方しないって。
子供の頃から体育の時間、何度も矯正指導されてきた。だけどやっぱり……緊張しちゃうと駄目なんだ。
さらにもう一つ、大きな問題があった。
同じクラスにいる、気になるあの娘に、オレが走る姿を見られたくなかったのだ。
「ぅっ奈緒ちゃん……オレの走る姿、見るなよ。マボロシなんだからな」
いまこうして彼女を思い出しているだけでも、なんだか胸が苦しくなる。どうしよう、オレ、彼女に恋しちゃったのかな。
それは先日の部活帰りのことだった。雨上がりの並木道。別れ際、彼女が見せた満面の笑みが忘れられない。
この気持ち、彼女に気付いてほしい。でも好きって言った途端、関係が壊れちゃうかも。同じクラスだし、やべぇょな。あぁ、でもなんでこんなに好きになっちゃったんだろう。はぁ……
深い溜め息が、思わず漏れた。
♤ ♤ ♤
体育祭のプログラムは、順調に過ぎて行く。いいぞ、その調子だ。早く終われ。
次の競技は「借物競争」だった。まあ余興みたいなもんだ。そこにはクラスの半数しか出場しない。だから待機組のオレは余裕をぶっこいて、出場すると聞いている奈緒の姿を目で追っていた。
パーン……
スタートの合図が鳴り、競技が始まった。
おっ、いきなり彼女の出番だ。「お題」が書かれている四つ折りの紙を広げ、彼女が読んでいる。そして顔を上げたかと思うと、キョロキョロとオレたちの方を見ている。誰かを捜しているのだろうか。
うっ奈緒と目が合ってしまった。
キュン。
小さく胸が鳴る。
ん? えっ! 何?
彼女、微笑みを浮かべながら……オレに向かって走って来る!!
一体、お題の紙には何て書いてあるんだ。まさか「好きな男子」なんて書いてあるんじゃないだろな。
「佐藤くん、お願い!」
オレに向かって、奈緒が右手を差し出した。
「あ、はい……」
彼女の柔らかそうな手が、目の前にある。憧れの女子の手……その右手にオレの左手を重ね合わせた。
オレたち二人は今、ごく自然に手を握り合っている……
「オレを選んでくれて、ありがとう」
心の中でオレは、意味不明な感謝の言葉を伝えていた。
彼女にリードされながら、オレは全力で走る。観覧席からは、どっと笑い声があがっていた。オレと奈緒の走るその姿は、まるで仲の良い姉妹そのものだったに違いない。
オレの姿が今、笑いの渦を巻き起こしていた。それが会場全体の空気から、痛いほど伝わってくる。
でも……
そんなことよりオレにとって、もっと大切なことがあった。オレはいま彼女と手を繋いでいる……という事実。
もう何も要らない。笑われたって構わない。手を繋いでいるだけで、オレは幸せだった。
いまオレたちは、全校生徒とその家族たちから笑顔で祝福されている。二人の初めての協同作業。それが本日の出席者から、写真とビデオに撮られていた。
突然、降って湧いた幸運とはこのことか。生きていて良かったと思える瞬間だった。
そしてあっという間にオレたちはゴールに到着する。セレモニーが滞りなく終わった。
「ところで借物競争のお題、何だったの 」
オレは奈緒に尋ねた。
「お題? あぁ、これ」
彼女が差し出した紙には、こう書いてあった。
「調味料」
ん? オレの名前が、それだから?
オレ名前、佐藤寿郎……さとうとしお、砂糖と塩……
だから昔から、ソルティ・シュガーなんて呼ばれているけど。
確かにそれ、調味料……
だけどなんだかな……なんか違うんじゃないか?
そもそもオレ、モノじゃねえし。
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