院の御所

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「秋子の前でそのような事を言うのは控えなさい」 父の言葉にはっとした。僕は配慮が足りない。 秋子にとっては形だけでも夫婦。その人の前でほかに好きな人がいると大声で叫ぶのはよろしくない。 「男と女は違います。守屋さんに捨てられたら新しい殿方を探しますからご心配なく」 冗談っぽく言って秋子がにこりと笑う。後宮で少し過ごしただけなのに随分立派になった。それに比べて僕は小さい。 暗闇に松明の明るさで車は進む。やがて新御所について僕が住む予定の殿舎に近い門から中に入った。 父に抱えられたまま車を降りる。秋子は一度火を消した蝋燭に、侍が持つ松明で火をつけて真っ暗な建物内を照らした。 僕にあてがわれた部屋はかなり広かった。秋子が灯台に火をつけるとさらに隅々まで見える。贅沢に畳を引き詰めて、新築独特の匂いがする。 「もう人目を気にすることはない。堂々としていなさい」 胸に抱いていた僕を降ろした時、衣ずれの音がこちらに近づいて来た。 「守屋、やっと来たか」 父の衣装によく似た格好で上皇さまが自ら妻戸を開いて登場した。秋子が下座に引いて手燭を置き、両手をついて頭を下げる。 「上皇さま、どうしてここに」 父は驚きを隠せない様子で秋子同様に控えた。僕も姿勢を正して座り平伏する。 「お前が守屋の所へ行くと聞いたから手紙を託そうと追いかけたら、すぐに出発したんだな、追いつけなかった」 僕と一夜を過ごすと思って父と秋子が部屋から出ようとするのを上皇さまは止めた。 「顔を見たかっただけだ。今夜はゆっくり安め。動けるようになったら御所を案内してやる」 心の中で願っていた事が実現した。御位を降りて自由を手にした上皇さまは煩雑な儀式から開放されて気分が高揚しているように見える。 「上皇さま。ひとつわがままを聞いていただいてもよろしいですか?」 「何だ守屋」 僕は上皇さまの手を両手ですくうように取って、目を閉じて頬ずりした。 「寂しかったか」 父と秋子がすぐ側にいるのに、上皇さまはまんざらでもない様子で表情を緩めている。 誰の所にも行かないで。僕の願いは呪い。 それは誰にも言えない。上皇さまの情けをいただきたい人間はたくさんいる。父とは違う意味で僕の敵も増えた。
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