密通

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上皇さまの乳母ということで人事への影響力を期待して兼子姉妹をちやほやしていた連中は、死んだら利用価値がないと思ったのか、形式的に弔問には来るが仕事の延長上という感じで、兼子に会うと大袈裟にお悔やみを言う。 在子は疲労が溜まったのか別室で休んでいる。父がそれに付き添っていた。 看病から開放されて、侍女たちの顔には無表情ながらほっとした様子がうかがえる。感情の起伏が激しい範子に仕えるのは骨の折れる事だったろう。かわりに在子についてきた女房たちが忙しく動いている。さすがの兼子も疲れた様子だったが、次々にやってくる弔問客の相手をしていた。 上皇さまも死んだ人間に用はないと思ったのだろうか。使いは送ってきたが姿は現さない。確かに死は穢れとされて近づく事ははばかれるが、帝時代ならともかく、上皇という身分ならそれほど関係ないはず。 何か手伝うつもりでやってきたが、人手は足りていたし誰も僕を相手にしない。秋子も兼子の指揮のもと忙しく立ち回っていて話しかける隙もない。手持ち無沙汰になった僕は、あてもなく屋敷内をうろついた。 住んだとは言えないくらい短い期間お世話になった。僕が使っていた部屋はどこだっただろう。 うろうろしていると迷子になってしまった。いつもなら誰か通るので聞けば案内してもらえたが、今は葬儀の最中で人が少ない。 どうしようとその場でまわりを見回していた時、風に乗って人の声が聞こえてきた。 助かったと思って声のほうへ進む。 格子を半分だけ上に上げて御簾も半分巻き上げられている部屋からそれは聞こえた。 「お義父さま…」 几帳の向こうから女の声がした。 「どうして逃げる。ずっと私に抱かれたかったのだろう?誰に遠慮する事がある」 「ああ…お義父さま…」 在子さまと父の、ありえない声が聞こえて僕はその場に立ったまま動けなかった。母の遺体にすがりついて大声で泣いていたのは一体何だったのだ。 本当に悲しい時は案外涙が出ないということは、母が死んだ時思った。 父の情事を見るのも、在子の声を聞くのも耐えられない。吐き気がして僕は急いでその場を去ろうとするが、足が震えてうまく歩けない。 「…嘘つき……」 勾欄に手をついて、僕はその場にうずくまる。 人間の吐く言葉は、全部嘘だらけだ。
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