密通

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屋敷を出る前に、秋子は枯れ木の枝を折って、さっき預かった「恋文」を結んで牛飼い童に金を握らせて院の御所まで車を走らせた。 「おい、そこの車。どこへ行く」 門の前で警護に当っている侍に声をかけられる。秋子は顔を出さずに車の中から返答した。 「無粋なことをおっしゃいますな。ある姫君からの使いです。お通し下さい」 堂々と嘘をついて秋子は院の御所の扉を開かせることに成功した。車から降りず、応対に出てきた侍女に、前に垂れている御簾の下から枝に結んだ「恋文」をすべり出して渡す。 「これを上皇さまによろしくお取次ぎくださいませ。お返事は結構でございます。では」 枝に結ばれた文を、恋文と思って気をきかせた女房が何も聞かずに中へ消えていく。物事を察して余計なことは言わない宮中の振る舞いを逆手に取って守屋からの密書を届けることが出来た。遠ざかる衣ずれの音を確認して、秋子は車を走らせた。 寝所ではない広間で、侍女たちを侍らして酒を飲んでいる上皇に、文を預かった侍女が取り次ぎの侍女に渡す。その者から上皇へ文が渡された。 「今すぐ返事がいるのか?」 興味なさげに枝をくるくると指で回しながら上皇が問う。 「いえ、返事は急がないご様子で、使いの者は帰られました」 結びをほどいて上皇が目を通す。しばらく無言で読んでいたが、文を丁寧に折って胸にしまった。 「在子は相当落ち込んでいるようだ。法要がすんでもしばらくゆっくり養生させよう。それまではここに参院しなくてもいい。母の死は悲しいものだからな」 「それで枯れ木に文を結ばれて…。お寂しさを表現されたのですね。さすが在子さま」 近くにいた女房が感嘆した様子で言う。まわりの女房たちも賛同したようにざわつく中、上皇の顔は幽鬼のように青白い。 事実上の追放だった。
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