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在子は後宮から遠ざけられたが、大臣であり院司の地位にいる父通親を、さすがの上皇さまも追い払うことが出来なかった。
今も何食わぬ顔で新しい帝の閣議に出席している。それが終わって時間があれば院の御所に顔を出す。
在子は自分の御所から出てこない。義理の父と密通したことはあっという間に広まった。はじめは小さな噂の種だったが、嘘でも真実でも、人の口を塞ぐことは難しい。
「やっとここまで慎重にことを運んだのに、何という事をしてくれたのです」
兼子は扇を激しく揺らしながら父を睨む。
「俺の女癖の悪さは知っているだろう。誘われれば断る理由がない」
「在子はそのへんの女房とは違います。現帝の母后で後宮で最も御位の高いお方です!そして義理とはいえあなたの娘ではありませんか!」
院の御所に乗り込んできて執務中の父を捕まえて兼子が詰めるが、父は飄々としたものだった。
「ああ…、範子姉さまがかわいそう…」
範子が亡くなってから父は兼子の住む屋敷に足を向けなくなった。使えなくなったら斬り捨てていく父の冷酷さは変わらない。兼子の嘆きもわからなくはないがうまくこの場を取り繕う言葉を、僕は知らない。
外から覗いている僕に気がついた父が手招きして僕を呼ぶ。兼子の視線が刺さる。ふたりを密告したのが僕だとまだ気づいていない様子だがこれからどうなるのだろう。秋子の身辺も気がかりだった。
父は僕を膝に座らせて、後ろから抱きしめてくる。
「どう?声は出るようになった?」
僕は首を横に振る。
「恋患いかな。俺も忘れられない人がいる。よく仕事が出来ていつもは冷たいのに夜は熱かった人」
「それはどなたかしらね」
「秘密」
父は抱きしめる力を強めて、目を閉じた。多分僕を生んだ母のことだろう。その忘れ形見を抱いて、いま何を思い出しているのだろう。
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