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03
中学生になったとき、父がプレゼントしてくれたスマホには父の連絡先が既に登録されていた。諸々設定が終わったら、必ずメッセージを送るように書かれたカードが添えられていた。私と父のやり取りが始まったのは、それから。
そして、私は中1から帯刀を名乗っている。母とは違う姓になった。
小さな小学校から二中に進んだから、姓が変わったところでそれほど不都合はなかった。よくあることで、「私なんて3回目。名前書くとき間違うじゃんね?」なんて言う子もいた。
それ以降、機種変更するたびにデータを引き継いでいる。
関わるつもりは無いけれど、どこから耳に入るのか祖父母はどうやら私の語学力や学力を評価しているらしい。学費を出すから、どこそこを受けろと言い出したと父から聞いた。食い止めるために、父が事前に教えてくれたのだ。祖父母がどんな手を使って私に接触するかわからないから。
ただ、行きたいのならそうしてもいい。希望があるのなら、そこに向かって努力するように父に言われた。
中3と高3のときの出来事だ。
「香那は生きたいように生きればいい。それができるんだから、叶えてあげたい」
父は私にそう言った。その表情には後悔も悲しみも感じられて、私はどうして良いかわからなくなった。
当然、母にも相談した。
「お世話になったら、その分何か返さないといけないのよ」
感情の無い母のその言葉を聞いて、私は祖父母の支援を辞退することにした。経営を学ぶつもりなどなかったし、今でも後悔はない。
でも、結局、父が私の学費を支援してくれた。留学の費用も、アルバイト代や奨学金でどうにか用立てたけれど、父が払うと言って聞かなかった。だから滞在費と渡航費をお願いすることにした。交換留学だから、長期留学の学費はかからない。浮いた分で、次の滞在は大学近くのアパートに滞在することにした。寮やホームステイは割安になるけれど、学業以外のことでトラブルが起きやすい。アパート暮らしをして、周囲に余計な気遣いをせずに学業に専念するのが良いと思った。
費用を出してくれた父にも、お土産を買ってきた。渡すために会う約束をした。衣類やお菓子も考えたけれど、向こうの家族の反応を考えてやめた。カナディアンウイスキーとサーモン。きっともっと良いものを食べてるだろうなと思ったけれど、思いの外喜んでくれた。
「昔のことを聞いても、いい…ですか?」
たまにしか会わないから、いつも言葉遣いに悩む。砕けても、他人行儀でもいけない気がして。
そんなとき、父はいつも何とも言えない表情を浮かべる。
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