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 アルバイトで春休みは終わり、新年度が始まった。講義が始まると、途端に忙しくなった。語学の勉強とアルバイトと講義、大学の友人たちとの付き合いで、日々はどんどん過ぎていく。  陳君には、3月の終わりに桜並木の画像を送った。 “きれいでしょ?お花見は、日本の春の楽しみです”  メッセージはそれだけ。  5月の私の誕生日に、何件か届いたおめでとうのメッセージの中に、父と智也からのメッセージがあって驚いた。 “21歳の1年が、良いものでありますように”  なぜか二人の文面がよく似ていて、思わず笑ってしまった。既読は付けて、父だけに返信した。智也の連絡先は消せなかったけど、ブロックすることにした。それがなぜかは…よくわからない。  陳君には教えてないからメッセージが来るわけないな…なんて調子の良いことを思い浮かべてしまった。自分が寂しいからって、好意に甘えようとしてるのがまるわかりだ。  私がカナダに留学先を決めたのは、語学のためだけではなかった。幼い頃暮らした場所だから、少しでも、自分のことを知りたいと思ったのがきっかけだった。  昔、この州一番の大都市に母と暮らしていた。母の叔母の貴子さんが、カナダ人男性と結婚して暮らしていたのを頼ってやって来たそうだ。  でも、短期研修の時には、訪ねることは出来なかった。課題の多さと生活の充実から、手紙を書くのが精一杯だった。9月に来たときは会いに行きたいと書き記しておいた。  今回はアパートの契約等もあるから、早めに入国して手続きをする。その際、貴子さんの所にしばらく滞在させてもらうことになった。ホテルに宿泊する予定だったのに、母が付いていくと言い出したから。 「過去を辿る旅でもしようかな?新しい出会いがあるかもしれないな」  母は、私と話をした日からほんの少しだけ肩の力が抜けたように見える。一人でいることに、固執しているわけではないと分かったから、私も安心している。  母と貴子さんは、膵臓がんで亡くなった祖母の葬儀以来、十年ぶりに会ったそうだ。子どもだった私が成人しているのだから、時の流れを感じた。  でも、貴子さんも母もシワが増えたくらいで、そんなに変わっていない気もする。  うだるような暑さの東京からすれば、カナダはとっても過ごしやすい。公園のフェスティバルに出掛けたり、郊外のラベンダー畑に足を伸ばしたり。旦那様にドライバーをお願いして、あちこちに出掛けた。アパートの契約と入居まで見届けて、母は帰国した。英語もフランス語も完璧な母が一緒で心強かった。  だからこそ、途中から父の学費の支援はあったとはいえ、女手一つで私を育てられたんだよね。  母が帰った日、夕方携帯を見ていたら、陳君からメールが届いていた。 “いつカナダに来る?着いたら、連絡がほしい”  私は、驚いて胸を押さえた。3階の角部屋の窓を開けると、爽やかな風が吹き込む。 “もう、こちらに来ています”  すぐに返信が来た。 “香那に会いたい。今から会えないかな?”  私は、今度こそ認めるしかなかった。  胸を押さえずにいられないのは、たぶん気持ちが高鳴ってるからなんだ。  私も、彼に会いたくて。
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