179人が本棚に入れています
本棚に追加
高校も大学も、学費は父が負担している。あえてそう言うのは、父は一緒に暮らす家族ではないから。
飽くまで、生物学上の父。
父はあるグループ企業の後継者だから、私の学費なんてはした金なのかもしれない。けれど、私と母はそれすら要らなかった。できるだけ、そっとしておいて欲しかった。
父には、私と母ではない家族がいるから。奥さんがいて、子どもがいる。
男の子が一人。
私が父に初めて会った年に生まれていたらしい。だから、9つか10歳下。まだ小学生のはずだ。異母弟がいるなんて、変な感じ。
初めて私に会った時の、父のあの複雑な表情を、一生忘れないと思う。
喜びと、落胆と、愛惜と、後悔。
あの表情を覚えているから、私は父を恨むことは無いだろう。でも、甘えることも無い。
生きる世界が違う。
そういうことだ。
ごくごく普通の一般家庭で育った母。グループ企業の経営者の一族の父。大学は違ったけれど、サークル活動で出会ったらしい。
しかし、二人のつきあいが長く、結びつきが深くなるのに気付いた私の祖父にあたる人が、お金を積んで母に別れてくれと懇願したらしい。当然、母はお金は受け取らず、別れもしなかった。子どもが出来れば、結婚を認めて貰えるかもしれないと思った二人は、子をもうけて籍を入れようと考えたらしい。
母が大学を卒業し、就職した年だった。
けれど、そう簡単では無かった。
祖父母に当たる人や、会社関係の人の高圧的な態度に、まだ若かった母は精神的に追い込まれてしまった。
このままではお腹の子どもの命まで奪われると思った母は、知り合いを頼って、安定期のうちにカナダに渡った。父と別れることになっても、二人の間の私だけは守りたいと思ったと話していた。
そのことは、父にはねじ曲げられて伝わったみたいだ。それでも、いつか母が戻ってくるのを待っていたのだろうか。
関わりを持たないように用心して暮らしていた母だけれど、母方の祖母(つまり母の実母)が膵臓がんを患ったという知らせを聞いて、すぐに帰国することになった。それは、私が小学校3年生の12月だった。
その前年、父は祖父の勧めで結婚していたらしい。母より2つ上の父が35歳の時だったらしい。祖父母の意志や会社の都合による、政略結婚のようなものだったのかもしれない。
私がいなかったら、母の人生はどうなっていたんだろう?
別な人と生きる幸せを、選べたんじゃないだろうか?
母にはまだ、訊くことができないでいる。
最初のコメントを投稿しよう!