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 高校も大学も、学費は父が負担している。あえてそう言うのは、父は一緒に暮らす家族ではないから。  飽くまで、生物学上の父。  父はあるグループ企業の後継者だから、私の学費なんてはした金なのかもしれない。けれど、私と母はそれすら要らなかった。できるだけ、そっとしておいて欲しかった。    父には、私と母ではない家族がいるから。奥さんがいて、子どもがいる。  男の子が一人。  私が父に初めて会った年に生まれていたらしい。だから、9つか10歳下。まだ小学生のはずだ。異母弟がいるなんて、変な感じ。  初めて私に会った時の、父のあの複雑な表情を、一生忘れないと思う。  喜びと、落胆と、愛惜と、後悔。  あの表情を覚えているから、私は父を恨むことは無いだろう。でも、甘えることも無い。  生きる世界が違う。  そういうことだ。    ごくごく普通の一般家庭で育った母。グループ企業の経営者の一族の父。大学は違ったけれど、サークル活動で出会ったらしい。  しかし、二人のつきあいが長く、結びつきが深くなるのに気付いた私の祖父にあたる人が、お金を積んで母に別れてくれと懇願したらしい。当然、母はお金は受け取らず、別れもしなかった。子どもが出来れば、結婚を認めて貰えるかもしれないと思った二人は、子をもうけて籍を入れようと考えたらしい。  母が大学を卒業し、就職した年だった。  けれど、そう簡単では無かった。  祖父母に当たる人や、会社関係の人の高圧的な態度に、まだ若かった母は精神的に追い込まれてしまった。  このままではお腹の子どもの命まで奪われると思った母は、知り合いを頼って、安定期のうちにカナダに渡った。父と別れることになっても、二人の間の私だけは守りたいと思ったと話していた。  そのことは、父にはねじ曲げられて伝わったみたいだ。それでも、いつか母が戻ってくるのを待っていたのだろうか。  関わりを持たないように用心して暮らしていた母だけれど、母方の祖母(つまり母の実母)が膵臓がんを患ったという知らせを聞いて、すぐに帰国することになった。それは、私が小学校3年生の12月だった。  その前年、父は祖父の勧めで結婚していたらしい。母より2つ上の父が35歳の時だったらしい。祖父母の意志や会社の都合による、政略結婚のようなものだったのかもしれない。  私がいなかったら、母の人生はどうなっていたんだろう?  別な人と生きる幸せを、選べたんじゃないだろうか?  母にはまだ、訊くことができないでいる。
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