走光性

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 それから自分がどうやって会社のデスクまで辿りついたのか、記憶がほぼ抜け落ちている。せっかく休日を返上してまで出勤しているというのにいつまでたっても朝の出来事が頭に焼きつき、無意識のうちに記憶を繰り返し再生してその度に手が止まる。  想定の半分もタスクをこなせていないうちに午前が終わりを告げ、仕方なく昼食をデスクに広げた。コンビニで買ったパンを食べながら今朝受け取ったチラシを見ると、そこには「水を得た群青」という演劇のタイトルが記載されていた。あらすじを読む限りは、どうやら「いじめ」をテーマとした青春群像劇らしい。 「(いじめ……いじめかぁ……わざわざ暗いテーマを見に行くのもなぁ……)」  歯ごたえの少ないパンを噛み砕きながらまだ見ぬその劇に想いを馳せる。かなり目立つ風貌をした彼なのだ、きっと裏方ではなくキャストなのだろう。チラシの下部に記載されたキャスト陣の名前を端から目で追うも今朝会ったばかりの相手の名前など知っているはずもなく、今日の仕事後に答え合わせをしようかなんて浮ついた考えが顔を出し始めた頃、鳴り響いたチャイムの音に急かされ慌ててお茶を流し込んだ。  相変わらず途切れ途切れの集中力で臨んだ午後の業務はなんとか当初予定していたノルマを達成し、改札を抜けた足は自然と劇場へと向かっていた。  人の流れに逆らうように薄暗い道へ歩みを進めると、数メートル先におそらく同じ目的地を目指しているであろう若い女性二人組が楽しげに話しながら歩いているのが見えた。派手な子たちだなぁ、と若干気後れしつつ後を付いていくと、やがてその背中は古いビルの隙間にひっそりと佇む劇場に吸い込まれていった。  ところどころ灯りの消えたネオン看板の周りに虫の羽音が響いている。その古めかしさに一瞬足が止まりかけたが、意を決して一歩踏み出した。
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