走光性

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 人通りもまばらな暗い帰り道。公園の側の街灯が心もとない点滅を繰り返している。自販機の電子的なうなり声と共に照らし出された自分の表情は、きっと目も当てられないほど疲れ切っているのだろう。  数年履き潰したパンプスのヒールが地面に突き刺さるたびに体の芯がぐらつくような感覚がする。ようやく見えてきたマンションの一角に少しだけ胸を撫で下ろし、鞄の内ポケットに放り込んでいた鍵を手繰り寄せた。  誰もいないとわかっているから「ただいま」は言わない。足を踏み入れる度にバッテリーがすり減っていくように動けなくなってしまう。  鞄も服も自分で意思を持ってあるべき場所へ戻ってくれたらいいのに。お風呂も食事も眠っている間に済んでしまえば楽なのに。  そんなとりとめもない浅はかな思考ばかりが疲れた脳を占拠して、やるべきことから足を遠ざける。  地を這うような社会人生活を数年繰り返した今も、私はこの道を真っ直ぐに歩けずにいる。 ***  せっかくの週末だというのに退屈なルーティーンから抜け出せないまま今日も無情に目覚ましが鳴る。起きた瞬間から妙に冴え渡った責任感は二度寝に落ちたい瞼を許してくれない。布団から這い出て洗面所へ向かえば、相変わらず幸の薄そうな表情がこちらを見据えていた。  いつもと同じ時間の電車に揺られて窓を眺める。平日と比べ空いている車内には色とりどりの洋服を身に纏った乗客たちが春を告げているようだった。それに比べ窓に映る自分はいつもと同じ通勤服で、暗く淀んでいるように見える。  乱れた前髪を軽く押さえるとそこから目をそらし、今日1日の予定を脳内でシミュレーションしながら目的地への到着を待った。  扉が開くと同時に動き出す人波に押し流されながら、改札を抜けてエスカレータに足を踏み入れる。すると、ビラを抱えてこちらを待ち構えている人物が見えた。  目を合わせないように通り過ぎようと意気込んで踏み出した数歩目、大きな影が自分の体をすっぽりと包み込んだ。反射的に顔を上げた瞬間、琥珀色の瞳と視線が交わった。 「演劇やるんで、よかったら」  そう言って差し出された紙を、私は受け取れずにいた。脳内では言葉を理解しているはずなのに、手の動かし方など知っているはずなのに、言葉通り「射抜かれた」この体は見えない何かに自由を奪われていた。 「……大丈夫ですか?」  琥珀色の瞳が怪訝そうに細められたその時、ようやく私は小さく声を出すことができた。自分でも驚くほどにか細い声で返事を返して差し出されたビラを受け取ると、もう片方の端を握っていた白くて長い指がゆっくりと離れた。 「今日の夜6時に待ってます。お仕事頑張ってください!」  そう言って微笑む仕草が、スローモーションのように映った。太陽の光に縁取られた明るい髪が飴細工のように輝き、伏せた睫毛が落とした長い影がやたらと脳に焼きついた。
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