その1:九死一生

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その1:九死一生

 おれ、冬目颯希(とうめさつき)の朝は早い……ということはないけれど、今朝に限ってはいつもより早く登校しなきゃならない。5年生は今日から1泊2日の林間学校なので、集合時間がいつもの登校時間よりだいぶ早いのだ。  朝、家を出る前には、仏壇に手を合わせることにしている。  父さんの遺影が置かれた小さな仏壇に、いなり寿司をそなえる。母さんの得意料理のひとつだ。  仏壇の前に正座して手を合わせ、目を閉じる。――今日は林間学校です。夜のきもだめしでおばけ役の担当です。先生から使わなくなった古いⅠCレコーダーを借りました。スピーカーの調子が悪くて、きもだめし班のあいだでは、音質がわるいところが逆にいい、と評判です。 「行ってきます。」  仏壇を見あげて、それだけは声に出して言う。写真でしか知らない父さんは、遺影の中で微笑んでいる。   ■  林間学校とはいうものの、実際はただのキャンプだ。世間では林間学校といえば博物館に行ったりすることもあるようだけど、うちの小学校ではキャンプのみ。いさぎよいと思う。利用するキャンプ場は昔から変わらないらしい。キャンプ場は山の中にあり、途中まではバスで、バスを降りてからはハイキングコースを歩く。このところ暑い日が続いているけれど、山道はすずしく、ふだんは耳ざわりに思うこともあるセミの声も、ここでは心地いい。  キャンプ場に着いてすぐの自由時間、というか休憩時間。自由に過ごせる時間だけれど、きもだめし班の面々は、 「よーし、下見に行くぞー! ものどもー、あたしにつづけー!」  という、きもだめし班の班長である倉科美和(くらしなみわ)の号令のもと、きもだめしにつかう遊歩道へむかった。  きもだめしのコースはキャンプ場のまわりの遊歩道のうち、最短のルートをつかう。とちゅう、長いルートへの分かれ道があるので、まちがってそっちに行かないようにチェックポイントをおくことになっている。  きもだめし班はぜんぶで5人。班長およびスタート係の倉科美和、ゴール係の奈川智里(ながわちさと)、チェックポイント係の中条穂高(なかじょうほたか)、そしておばけ役の真田東(さなだあずま)とおれ。  コースをぐるっと回ってスタート地点に戻ってくるので、配置はスタート・ゴール地点に女子ふたり、コース中に男子3人。おばけ役はチェックポイントの前後にひとりずつで、前がおれ、後がアズマ。コース中の3人はそれぞれひとりで待機することになる。 「なー、たいちょー、これどっち?」  美和とともに先頭を歩いていたアズマが、分かれ道の前で美和に問いかける。隊長とは美和のことで、班なのに『班長』でないのは「隊長と呼べ!」と美和自身が言ったからだ。なんだか、『新選組局長』みたいだなと思う。ただ、隊長と呼ぶのはアズマだけだ。 「左。右は見晴台だって。」 「見晴台ってなんだ?」  アズマの疑問に、穂高がこたえる。 「展望台のことだよ。ちょっと登るけど、せっかくだし行ってみようか。」  その提案に全員が賛成し、分かれ道を右に進む。ただし、穂高は返事を待たずに歩きはじめていた。  アズマと美和が、 「あいつちょっとマイペースなとこがあるよな。」 「ね。頭いいし、たよりにはなるけど。」  と、ぶつぶつ言っている。 「穂高もおまえらには言われたくないと思うけど。」  と言ってやると、同じことを思っていたであろう智里が、困ったような顔で笑った。  見晴台までは5分もかからなかったと思う。遊歩道は木々に囲まれていたけれど、見晴台に着いたとたん、視界がひらける。  テニスのコートほどのスペースに、丸太で組まれた柵……と思ったら、丸太の形をしたコンクリート製の柵が設置されている。 「おー!」 「いいながめー!」  アズマと美和が、柵から身を乗り出して歓声をあげている。  智里、おれ、穂高もあとにつづき、遠くに見える街を見下ろす。 「学校はどっちかな?」 「あれか?」 「いや、方向がちがうかな。たぶんむこうのほうだけど、ここからじゃ見えなさそうだね。」  柵のむこうはやや急な斜面になっている。背の低い木が整然とならんでいるのは、ひとの手によって植えられたものなのだろう。さえぎるものがなく、ときおり吹くやわらかな風は気持ちがいい。  ……ん? 「いま、なんか言った?」  となりの穂高に問いかける。 「え? いや、なにも言ってないよ。」 「智里は?」 「わたしじゃない、けど……。」  そう言ってあたりを見回している。  いま、風にまぎれて声を聞いたような気がする。この様子なら、智里にも聞こえたようだ。 「風の音じゃない?」  穂高には聞こえなかったらしい。  ……気のせい?  しばらく耳をすましていたけれど、風の音と、アズマと美和がさわいでいる声しか聞こえなかった。   ■ 「よし、作戦会議しよう!」  と、木陰に設置されているテーブルとベンチに目をつけた自称隊長が、隊員をテーブルの周りに招集する。 「よし。じゃ、穂高、あとよろしく!」  この隊長の主な仕事は号令をかけることである。穂高がいなかったらどうなっていたことか。 「智里さん、怪談の用意ってどうなった?」  スタート前に、怪談を語ることになっている。智里が用意し、 「うん。美和ちゃんにわたしてあるよ。」  スタート係の美和が語る。 「ちゃんと練習したからまかせて!」  と、美和がポケットから折りたたんだメモを取り出して見せる。怪談の原稿らしい。  取り出した原稿を広げようとしたそのとき、ざあっと強い風が吹いて、 「あっ!」  美和の手から原稿が飛ばされてしまった。その原稿が、おれの顔めがけて飛んでくる。 「ぅわっ!?」  反射的に避けてしまったけれど、このままでは原稿がどこかに行ってしまう。急いでベンチから飛び出して、原稿を追いかける。 「行けっ! 颯希!」  アズマがなんか言ってる。言われる前に走り出していたからいいけれど、お前もこいよな、と思う。  幸い、原稿はすぐに捕まえることができた。もしも柵の向こうまで飛ばされていたら、回収できなくなるところだった。  原稿を持って戻り、美和に手わたす。 「ありがとっ!」  アズマは、 「さすが颯希。」  と、ニヤニヤしているので、文句を言ってやる。 「お前も手伝えよな。」 「だってお前のほうが速いじゃん。」  おかげさまで、短距離走なら学年でも5本の指に入る。  ただし、短距離走以外はほとんど平均かそれ以下だ。特に球技は絶望的。これはたぶん視力の問題なんじゃないかと思う。眼鏡が必要になるほどではないものの、左目の視力だけが極端にわるいからだ。  短距離走以外に得意な競技は、走り幅跳びと走り高跳び……「走って跳ぶ」系だけだ。 「それで、どういう話なんだ?」  アズマが身を乗り出して、智里に聞いた。  智里は少し考えるような顔をして、 「んー、むかし、この山に神社があったみたいなんだけど……。」  ゆっくりと話し始めた。  智里の話はこうだ。  むかし、この山には神社があった。近くにあった集落の住人が参拝するだけの小さな神社だったが、そこには樹齢300年を超える山桜の樹があり、御神木として大切にされていた。  数十年前、ダム建設により集落の住人は去り、この神社も、廃神社となった。  それからしばらくして、うわさが立つようになった。なんでも、「満月の夜、御神木の山桜が人を食う」らしい。  山桜にはかつて、神が宿っていた。しかし、廃神社となってからはいわゆる心霊スポットとして知られ、きもだめしと称して訪れた者によって荒らされるようになると、神は怒りによって邪神となり、訪れた者を祟るようになった。  その神はやがて、満月の夜になると人間を異界に引きずり込み、御神木の山桜に食わせるようになった。そうして人を食った山桜は、春になると血のように真っ赤な花を咲かせる。  ……という話らしい。  ちなみに、この神社と御神木はかつて本当に存在していたものの、いまでは正確な場所がわからなくなってしまったらしい。もしかしたらすぐ近くに、という可能性もあるけれど、怪談としては所在不明のほうがミステリアスでいいのかもしれない。  智里は話の終わりに、 「今夜はちょうど、満月なの。」  と、つけくわえた。 「ふぅん、タイミングいいな。」  思わず感心する。 「この話はちさちゃんが考えたの?」  美和の問いに、智里は首をふる。 「ううん、ちょっとアレンジしたけど、もとのお話はお姉ちゃんに聞いたの。お姉ちゃんのときも、ここできもだめしをしたみたい。」 「ああやっぱり、朝陽さんか。」  穂高が納得した様子でうなずく。智里のお姉さんを知っているらしい。  美和もぱっと手をあげて、 「あ。あたし会ったことあるよ! なんかちょっとかっこいい感じだった。高校生だったよね?」  と、うれしそうに言う。 「今年から大学生だよ。お姉ちゃん、最近はよくキャンプしてるみたいで、何日か帰ってこないことがあるの。このキャンプ場にもよくきてるみたい。」 「へー、今日もこないかなー、おれも会ってみてえ。」  アズマが興味津々な様子で言う。おれも興味はあるけれど、 「いや、今日は貸し切りのはずだからこないだろ。」  こうして話はそれてゆく。   ■  作戦会議といっても、別に話し合うことなんて特にない。そんなわけで話はそれっぱなしだけど、確認しておかなきゃいけないこともちゃんとある。 「アズマ、危ないもの持ってきてないでしょうね?」  ふと思い出したように美和が言った。  そう、これだけは見過ごせない。  アズマは軽い調子で答える。 「ないない。爆竹とロケット花火くらいだよ。」  やっぱりか。 「いや、火はやめたほうがいいね。特にアズマくんは。」 「そうだな。またなんかやらかしそうだし。」 「またってなんだよ!? だいじょぶだって!」  ぜんぜんだいじょうぶじゃない。アズマが火に関わるとロクなことがないのは、みんな知っている。調理実習や理科の実験でやらかした前科がある。火をあつかうときは、アズマから目をはなしてはいけない。 「あたしもやめたほうがいいと思うなー。あたしのカンがそう言ってる。」 「うん、わたしもそう思う。」  火に関わるとロクなことがないだけじゃない。イベント大好きなアズマは、こういうとき、ほうっておくとだいたいやりすぎる。もりあげたい一心なのはわかるけど、トラブルメーカーでもある。”イベント過激派”なんて呼ばれている。 「えー……マジかよー……せっかく持ってきたのに……。」  全員に反対されたアズマは、がっくりと肩を落とした。と思ったら、はっとなにかひらめいた顔で「キャンプファイヤー……」と小さくつぶやいたのを、おれと穂高は聞きのがさなかった。おれたちは今夜、キャンプファイヤーにロケット花火を投げこもうとするアズマを全力で止めることになるかもしれない。  ……と思ったけど、穂高はたぶん止めない。  成績優秀、頭脳明晰。先生からの評価も高く、優等生然としているけれど、その実態は自他ともに認める”仮面優等生”、それが穂高だ。  アズマがなにをするつもりか知っていても、自分に害がなければほうっておく。止めるとしてもロケット花火をやめさせるくらいだと思う。   ■  やがて夜になり、楽しい楽しい……かどうかは知らないけれど、とにかく、きもだめしの時間が近づいてくる。  ちなみに、夕食はキャンプの定番のカレー、そして缶詰のフルーツをのせたヨーグルト。人目を盗んでたき火をつついていたアズマが、いったいなにをどうしたのか飯ごうを炎上させるという事件を引き起こした以外は大きな問題はなく、ちょっとこげたごはんでもカレーはおいしく食べられた。カレーは偉大だと思う。  キャンプファイヤーでは、アズマが投げ込んだ爆竹でひと騒動あった。思ったとおり、ロケット花火は穂高が取り上げたけれど、爆竹はそのままアズマが持っていた。穂高のことなので、『爆竹なら危険なことにはならないし怒られるのはアズマくんだけだからいいか』と考えたにちがいない。穂高が手をまわしたので、おれも特に止めようとは思わなかった。   ■  美和がはりきっている。 「さあやるよー! 男子3人、暗いから気をつけてね。特に颯希。」 「は!? なんでおれ? アズマじゃなくて??」  抗議すると、 「うん。なんかよくないことが起きそう。あたしのカンがそう言ってる。」  という、不吉な予言をされてしまった。  美和のカンは不気味なくらい当たることがあるので、無視はしないほうがいい。一部で”シックスセンス”とか呼ばれている。  なんだか微妙な気分になりながらも、配置につけ、という美和の号令を受けて、おれ、穂高、アズマは遊歩道に向かった。  昼間に目星をつけておいた木のかげに入る。  おばけのたぐいはあんまり信じていない。小学校に入る前、小さなころはなにかを見ていたような気がするけれど、よく覚えていないし、夢だったんだろうと思う。夢だったと思うのには理由がある。当時すでに亡くなっていたはずの父さんがでてくるからだ。  それに、母さんはこういった話は好きじゃないらしい。はっきり聞いたことはないけれど、いい顔をしない。そんなわけで、おれもあんまり信じてはいない。まあ、実際見たこともないわけで、いてもいなくてもどっちでもいい。  とはいえ、ひとりで暗い木々のかげにかくれていて、怖くもなんともないかといえば、そんなことはない。森の中から、イノシシが飛び出してくるかもしれない。クマが飛び出してくるかもしれない。逃走中の殺人犯が飛び出してくるかもしれない。なにかがひそむかもしれない暗闇は、それだけで怖い。  参加者はくじ引きで決めた男女のペアでやってくるのに対し、おばけ役はそれぞれひとりで配置についている。どちらかといえばおばけ役のほうが試されているような気がする。  リーリーリーとかリリリリリリリリとか、そこらじゅうから正体不明の虫の声がする。なんだかそわそわする。とりあえず、虫よけスプレーを多めにぬりなおす。そして、手の中のⅠCレコーダーを確かめるように親指でなぞりながら、おどかす段取りを思い返す。といってもやることは簡単だ。参加者のペアが通り過ぎたタイミングで、ⅠCレコーダーで音声を流す。それだけ。あとは驚いてふりかえったときに視界に入るよう、100円ショップで買った白い仮面を木にひっかけてある。懐中電灯に照らされて暗闇に浮かぶ白仮面は、なかなかの迫力だと思う。荷物や準備の手間を省くため、これだけになった。だからおれの担当分の荷物は、ⅠCレコーダーと白仮面だけ。アズマのほうはなにやらいろいろ用意しているようだったけれど……火だけはやめさせたけど、あとはだいじょうぶなんだろうか。  コースには明かりは一切ない。ただ、智里が言っていたとおり今夜は満月で、その明かりで影ができるほどの明るさがあった。普段の生活の中では意識したこともないけれど、月明かりって意外と明るいんだなと感心する。  きもだめしをするには明るすぎるかなと思っていたけれど、さっきから月にうっすらと雲がかかっている。真っ暗というわけでもなく、ちょうどいい暗さのような気がする。もうしばらく雲がかかっていてくれないかなと思う。  最初のペアはまだやってこない。最後の確認として、ⅠCレコーダーの再生ボタンをおしてみる。スピーカーから、ガサガサとノイズが混じった音声が流れる。 『……タチサレ……タチサレ……。』  ゆうれいのセリフといえばこれだ、とだれかが言っていた。おびえて戦えないとかなんとか。通りすぎた相手に『立ち去れ』ってちょっと意味わかんないな、といまさらながら思う。  録音されている音声は、アズマの迫真の演技によるものだ。アズマはおれよりうしろの、中間地点のチェックポイント直後にいるはずだ。ひと安心したところをねらってやる、とか言っていた。くわしいことは秘密だ、どこからもれるかわからないからな、とも言っていたけれど、あいつのことだからやりすぎそうだなとちょっと思う。ただ、あの位置ならチェックポイントの穂高からも見えるはず。アズマを野放しにしないよう、穂高がそうしたんだと思う。それならあとは、穂高に任せておけばたぶんだいじょうぶ。  そうこうしているうちに、懐中電灯の灯りがちらちらとゆれながら近づいてくる。やっときた。ずいぶん待ったような気がする。  見つかってしまってはだいなしなので、息をひそめて身を低くして通り過ぎるのを待つ。通り過ぎたところでⅠCレコーダーの再生ボタンを、 『……ダレカ……。』  セリフがさっきと違う。というか、まだ再生ボタンをおしてない。  反射的に息を止めて、耳をすましてあたりの様子をうかがう。参加者のふたりには聞こえなかったのか、そのまま行ってしまおうとしている。 「なあ、ちょっとまって!」  ざっと立ちあがり、ふたりに声をかけた。 「わっ!?」 「きゃっ!?」  ふたりはあわててふりかえり、 「ひっ!?」 「…………!?」  白仮面を見てびっくりしている。こっちに向けられた懐中電灯の逆光で顔が見えないので誰だかわからないが、女子のほうは声もでないほど驚いているようだ。結果的にほぼ当初の予定通りではあるけれど、ちょっとわるいことしたかもしれない。 「ごめんごめん。それより、なんか聞こえなかった?」 「は?」 「なんか、『ダレカ』って聞こえた気がするんだけど。」 「…………。」  無言でうたがいの眼差しを向けられてしまった。おどかしていると思われているらしい。 「いやまじでまじで。」 「……いや、聞こえなかった。」 「そっか……。わるかったな。あ、ゴールしてもおれがここにいたって後の組に言わないようにな!」 「わかってるよ。じゃあな、がんばれよ。」 「あ。あと、アズマに気をつけてな。」  ひきとめてしまったおわびに忠告しておく。 「なんだそれ。」  と笑って行ってしまったけれど、彼らがゴールしたとき、果たして笑っていられるかどうか。  またひとりになった。さっきの声が空耳だったのならいいけれど、次の組になにかあったりしているとまずい。もしくはアズマがなにかやらかしているとか。 『……ダレカ……。』  ……気のせいじゃない。たしかに聞こえる。  声は森の中から聞こえてくるような気がする。……ということは、学校の関係者ではないかもしれない。ただ、今夜はこのキャンプ場は貸し切りのはずなので、ほかにお客さんはいない。管理人のおじさんはいたけれど、夜になると帰っていった。  なんだかわからないけれど、助けを呼んでいるようにも聞こえる。となれば無視するのもいごこちがわるい。正体を確かめるため、森の奥に足を向けた。  背の高い木におおわれているため、森の中までは月明かりがとどかない。そのかわり、日中は日の光も届かないらしく、背の低い木や草もほとんどない。懐中電灯を持っているし、足元にさえ気をつければ歩きにくいということはない。  森を抜けると、そこは見晴台につづく道だった。くだっていけば穂高がいるはずだ。でも、声は見晴台のほうから聞こえた気がする。とりあえず、見晴台へ向かうことにする。  見晴台にも人影はない。  ふと、夜景に目をうばわれる。遠くに見える街の明かりに、今夜はいつもとはちがう夜なのだとあらためて思う。  夜景をながめている場合ではないと思いなおし、あたりを見まわす。すると、遊歩道におりる道とは別の道があることに気づく。木々になかばふさがれているものの、行けないことはなさそうだ。昼間にきたときには気づかなかった。  なんとなく、声はこの先から聞こえてきているような気がする。     ■  がさがさと木々をかきわけて、見晴台から続く道に入っていく。  道は、やや上り坂になっている。上に向かっているということは、この先には、智里の言っていた廃神社があるのかもしれない。  この道に入ってから、声は聞こえなくなっていた。それでも、この道を選んだのはまちがいではないと思う。根拠はないけれど。  しばらく進んでいくと、カーン、カーンというなにかをたたくような音が聞こえた。  だれかいるのかもしれない。声の主だろうか。  進むにつれて、カーン、カーンという音に近づいている。これはなんの音だろう。少し考えて、オノで木を切りたおしているところを思いうかべる。  ……こんな夜中にオノをふるっているとしたら、それはあまり関わりたくない人のような気がする。  ほかのパターンを考える。まき割りならどうだろう。キャンプ場はここより上にはないはずだけど、もしかしたら、人が住んでいるのかもしれない。あるいは別荘とか。これならオノやナタでまきを割っていてもおかしくはないような気がする。  ただ、それが声の主とは限らないかもしれないなと、ふと思いつく。  では、声の主とまき割りの人物が別だった場合はどうだろうか。たとえば……、オノで攻撃され、「だれか!」と助けを求めるもとどめを刺されてしまう。だから声が聞こえなくなった。そしていま、犯人はオノで被害者をバラバラにしている……。  ……………………。いやいやいやいや。ないないないない。この前テレビで見てしまったサスペンスミステリー映画のせいで、変な想像をしてしまった。  ……こなきゃよかったかな。美和にも忠告されてたしな。  なにかをたたくような音は、変わらず聞こえてくる。そいつに、ここにいることを知られないほうがいいかもしれないと思い、とりあえず、手に持っていた懐中電灯の灯りを消しておく。……おばけのたぐいを信じていなくても、やっぱり暗闇は怖い。暗闇の中、心臓の鼓動が耳元で響いている。  道を外れてわきの木のかげにかくれ、暗闇に目がなれるのを待つ。しばらくすると、その音も聞こえなくなった。  次第に目もなれてきたところで道の先をのぞくと、少しだけ明るい。明かりがあるというよりは、月明かりがさしこむ程度にひらけているのかもしれない。  そこまで行って、なにもなかったら引き返そうと決める。木々のかげにかくれながら、慎重に進んでいく。  木のかげから、明るくなっているところをのぞきこむ。  そこはやはり、少しだけ広くなっていて月明かりがさしているだけで、なにもなかった。  引き返そう、そう思ったところで、視界のはし、月明かりに照らされた木に、なにかがはりついていることに気がつく。  目をこらすとそれは、釘を打ちこまれたわら人形だった。  そこで、さっきの音の正体に思いいたる。あの音は、五寸釘を打ちこんでいる音だ。  さっきの音の正体が、本当にあのわら人形に五寸釘を打ちこんでいた音だとすると、それをしていた人物がすぐ近くにいることになる。そしてそれは、絶対に関わらないほうがいい人物に決まっている。  ……急いでもどろう。  とはいえ、その人物には会わないようにすることのほうが大事なので、できるだけ道からはなれることにする。方向さえ間違わなければ、見晴台には出られるはずだ。  そう思い、道からはなれて木々のあいだを足早に進む。やがて、ひらけた場所が見えてくる。  見晴台に着いた、と思いきや、景色はいいが見晴台ではなく、がけかと思うほどの急斜面だった。方向を間違えたのかもしれない。が、たぶん、この斜面にそっていけば、見晴台にはもどれそうだ。  そのとき、森のおくからざあっと音をたてて、なにかがせまってくる気配がする。 「なっ……!?」  あわててふりかえった瞬間、突風のような衝撃を受けてふきとばされた。  まずい、と思ったときにはもう、足元には地面がなかった。  最後に見たのは、がけのような急斜面と、そのはるか下、しぶきをあげて流れる、黒い川面だった。     ■  ここで話は始めにつながる。  目の前のなぞの女はさておき、なにをしていたのかははっきり思い出した。声の主を探していたら川に落ちたんだ。落ちる前に気を失ったらしく、川面を見たところまでしか覚えていないけれど。あの状況ならたぶん、山の斜面にたたきつけられてそのまま川に転がり落ちたんだろう。大事故だ。  よく無事だったなと思いつつ、念のため全身を確認してみる。――うん、なんともなさそうだ。とくに痛むところもないしけがもない。服もきれいだ。  そこで、違和感をおぼえる。……今、なにかおかしくなかったか?  ひとりで考えこんでしまったおれを見て、なぞの女性は、 「……無視しないで!?」  しびれを切らしたらしい。しかたない。それならまずは、 「……どちらさまですか?」  リアクションがあったことがうれしいのか、なぜかドヤ顔で胸をはってこたえる。 「よくぞ聞いてくれました! あたしは死神よ。」  ――死神を名乗る不審者。防犯ブザーがあれば鳴らせるように手をかけているところだ。でも、ないものはしかたがない。いまのところ、死神(自称)は不審者ではあっても危険人物ではなさそうだ。とはいえ警戒は解かない。いつでも立ちあがって逃げられるように、体に力を入れる。  警戒心をあらわにするおれを見て、自称死神の女は、ばかにしたようにふふんと笑う。 「信じてないね?」  うん。 「まあいいわ。ちなみに名前は紫よ。キミは?」 「……颯希。」 「颯希くんね。  さて、それじゃ本題ね。さっきも言った通り、いい知らせとわるい知らせがあるわ。どっちから聞きたい?」 「えぇ……じゃあいい知らせで。」 「こういうときはわるい知らせから聞くものよ。」  なんで選ばせたんだ。 「……わるい知らせで。」  紫は、よしっと大きくうなずいて、 「キミ、もうすぐ死ぬわよ。まず助からない。」  はあ? 「……まあまあ元気だけど。」 「気づいてないね。今のキミ、幽霊よ。いわゆる幽体離脱ね。」  えっ。  そう言われて、さっきの違和感の正体に気づく。よく覚えてはいないけれど、急斜面を転がって川に落ちたはずなのに、服がぬれていないし、傷もよごれもない。きれいすぎる。 「川に落ちたっぽいのに服がぬれてないのは幽霊だから!?」 「『ぽい』ってなんなの。」 「いや覚えてなくて。たぶん川に落ちたんだろうな、と。」 「あぁ、そういうことならたぶんその通りよ。幽霊の姿って、死ぬ直前の記憶やもっとも思い入れのある格好になることが多いのよね。川に落ちたことを覚えてなかったから、ぬれてないんでしょうね。」  うわぁ……マジか。 「今ならまだ戻れないこともないけどね。ただ、キミがふつうの人間なら、戻ろうとしたところでむだだけど。」 「それってどういう……。」  問い返そうとしたおれの言葉をさえぎって、 「そこでいい知らせよ! キミはふつうの人間じゃないわ。」  は? 「自覚はないと思うけど、キミは半妖ね。ふつうの人間じゃないわ。」 「はんよう……?」  紫は得意げにうなずく。 「そう、半妖。半分人間、半分妖怪ってことね。」 「……妖怪? おれが?」 「そうよー。半分だけね。しかもなぜか、妖怪の力は封印されてるみたいだけどね。」  ちょっとなに言ってるのかわからない。妖怪って、そんなわけない。そもそも、『あなたは人間ではありません』というのは、本当にいい知らせか? 理解が追いつかないおれをおいて、紫はしゃべり続ける。 「ふつうは妖怪のすがたは人間には見えないし、その存在を信じていないと思うけど、妖怪も半妖も昔からいるわよ。  たとえば、安倍晴明は知ってる?」  なにかのマンガにでてきたような。 「陰陽師の?」 「よく知ってるじゃない。」  ほめられればわるい気はしない。マンガの知識もむだじゃないようだ。  紫は説明を続ける。 「そう、陰陽師の安倍晴明の母親は、『葛の葉』という名のきつねの妖怪よ。  他にも、ダンピールっていってね、吸血鬼と人間のあいだに生まれた子どもは、不死身である吸血鬼を殺すことができる力があるというわ。」 「吸血鬼って妖怪なの?」 「似たようなもんよ。  とにかく、半人半妖はそんなにめずらしくない……とまでは言わないけど、いないことはないのよね。具体的にはそうね……フルマラソンを3時間以下で走れる人間よりは多いと思うわ。」  わかりやすいんだかわかりにくいんだかわからない。 「ちなみに、フルマラソンで4時間を切ることをサブ4っていうの。サブ4を達成すると一人前のランナーといわれるそうよ。」  それは今どうでもいい……! 「まあ、難しく考える必要はないわ。それもひとつの個性よ。」 「個性っていったって……。」  足が速いとか、国語が得意とかと並んで、半分妖怪……個性って域を超えてるような。 「いいじゃない。あの公共放送のラジオ英語講座にも、河童の父と人間の母を持つ女の子が出てきたわよ。」  なんでそんなこと知ってるんだろう。妖怪もグローバルな時代なのかな。 「"I'm a kappa."なんて使う機会あるのかしらね?」  "This is a pen."以上にないと思う。 「あと、妖怪じゃないけど、『名前を言ってはいけないあの人との因縁がある魔法族でした』ってパターンもあるんだから、変な宿命がないだけいいじゃない。」  そういう問題かなぁ……。というか、ほんとによく知ってるな。 「でもあれの魔法族の見た目は人間と変わらないじゃん。」 「あら、キミだって半分は人間なんだから。封印を解いたとしても、見た目は今と変わらないわ。安倍晴明もそうだったはずよ。」  そんなもんか。それならいいか、という気がしないでもない。 「さて。」  紫は急にまじめな顔になる。にぎった手をこっちに向けて、 「キミには、ふたつの選択肢があるわ。」  ひとさし指をたて、 「ひとつ、このまま人間として死ぬ。」  次に、なか指をたて、 「ふたつ、封印を解いて半妖として生きる。」  2本の指をたてた右手をぐいっとこちらにつきつけて、 「選ばせてあげる。」  静かに言った。  でも、選ばせてあげるもなにも、そんなの。 「生きるほうを選ぶに決まってる。」 「ま、そうよね。でもそんなかんたんな話じゃないわ。」 「どういうこと?」 「まずは、自分のからだを探して。今のところはまだ生きているようだけど、からだが完全に死んだらそれでおしまい。」 「じゃあそれまでに見つけられないと……?」 「人間として死ぬことになるわ。」  けっこうピンチ? 「タイムリミットは!?」 「さぁ? それはなんとも。ただ、ふつうならもう死んでてもおかしくないわ。封印されてるとはいえ、妖怪の力でギリギリ生きてる感じかな。  キミが生きるためには、まずからだを見つけること。そして、その封印を解くこと。封印さえ解けば、その力でからだを生かすことができるはずよ。封印はあたしが解いてあげる。」 「封印ってかんたんに解けるもんなの?」 「……解けなかったらゴメンね!」  おい。 「ま、たぶん大丈夫よ。あたしそういうの得意だから。大船に乗ったつもりで。」  その船、泥船だったりしないだろうか。 「さて、とりあえずあたしの力を貸しておいてあげるわ。何かの役に立つかもしれないし。」  紫はオーバーなアクションで杖をふりかぶった。杖の先でゆれていたはずの炎は、杖からはなれ、空中でゆれている。 「じっとしててね。動くと当たっちゃうかも。」 「あ、ちょっと待った。」 「……どうしたの?」 「その杖ってなんだっけ?」 「これ? ……『富士山とかで売ってる杖』。」  そうなんだけどそうじゃなくて。……っていうか、やっぱり富士山とかで売ってる杖なのか。 「もっとちゃんとした名前なかったっけ?」 「ああ、それなら『金剛杖』ね。」  それだ! なんだかすっきりした。 「……もういい?」  この間紫は、杖をふりかぶったままの姿勢で止まっていた。 「あ、うん。ありがとう。」 「じゃ、今度こそ。じっとしててね!」  そして、こっちに向かってふりおろした。  ごんっ。 「だっ!?」 「あれ?」  言われた通りにじっとしていた。それにもかかわらず、杖の先が頭のてっぺんに直撃した。話がちがう。 「……じっとしてたけど。」  頭をさすりながら抗議する。ついにらんでしまうのもしょうがないことだと思う。  うぅ、いってぇ……。 「おっかしいなー……。」  思ったより長かった、ちょっと短くしようかな、とか独り言をつぶやきながら、あさっての方向を向いて杖をぶんぶんふっている。やがてくるっととこちらに向き直り、 「まあいっか!」  あっけらかんと言い放つ。 「いいわけあるか!」  スイカだったらまっぷたつだぞ。 「なによぉもー……細かいこと気にしすぎじゃない? りっぱな妖怪になれないわよ?」  りっぱな妖怪になるつもりは別にない。 「…………」  無言で非難の眼差しを向けると、 「ごめんなさーい。」  しれっと目をそらしながら、まったく気持ちがこもっていない謝罪の言葉を述べる。  態度わるい。が、まあいいか。 「で、今のはなにがしたかったの?」 「よくぞ聞いてくれました!」  口ぐせなのかな。 「あたしの妖力を貸してあげたの。ちょっとした変化(へんげ)くらいはできるはずよ。」 「変化?」 「あたしは妖狐――きつねのあやかしなの。きつねといえば、化ける、化かすは得意中の得意と決まってるわ。」  きつね? あれ、でもさっきは……。 「さっき死神って言わなかった?」 「死神っていうのは、死者の魂を案内する役目のことをいうの。死神にもいろいろいるのよ。変わったところでは木の精とか。」  そうだったのか。ついでに最初から気になっていたことを聞いてみる。 「ふぅん。そのスーツ姿は死神となにか関係あるの?」 「よくぞ聞いてくれました!」  口ぐせなんだな。 「かっこいいかなって!」  紫は胸をはってこたえる。 「……それだけ?」 「うん。それだけ。」 「その杖は?」 「かっこいいかなって!」  あっそう……。
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