その2:奇々怪々

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その2:奇々怪々

 まだ、颯希が目を覚ます前のこと。  少し下流、川幅が広く流れが穏やかになっており、そこには大きな木が川岸からたおれこんでいる。流れをさえぎるようにして川につかっているその木には、颯希のからだがひっかかている。  颯希のからだは力なくぐったりとして、川波にゆらゆらとゆられている。  動くことのない、動くはずのないからだは、やがてゆっくりと起きあがり、川岸にむかって歩きだす。  ときおり流れに足を取られながら、体を引きずるようにして歩みをすすめ、川岸にたどりつくと、 「……これで……。」  そうつぶやいて、森の中に姿を消した。   ■ 「さあ! そんなことより、早くからだをさがしましょうか。」  とはいえ、どうすればいいんだろう。 「どうやって?」 「それなんだけどね、なんとなくでもいいから、どっちの方向にありそう、とか感じない? まだ死んだわけじゃないから、魂はからだにひかれるはずなんだけど。」 「えー……わかんないよそんなの。」  そんなこと言われてもよくわからない。なぜか山の上のほうが気になるけれど、川に落ちたのだから関係ないと思う。 「それなら目撃証言でも集めましょうか。」 「それはいいんだけど、こんなところじゃだれもいないよ。」 「そんなことないわ。だって。」  紫は杖で、川のほうをまっすぐにさした。 「さっきからずっと、あそこにいるもの。」 「はあ?」  そんなこと言われても、杖の灯りに照らされてゆらゆらと光る川面しか見えない。夜の山奥の川の中、こんなところにだれかがいたらそのほうが怖い。  そう思っていたら、突然、川面からざばっとしぶきをあげて、 「いやあ、気づかれていたとはね。」  海パン姿のさわやか系イケメンが姿を現した。 「うわぁ!」 「ごめんごめん。おどかすつもりはなかったんだけど、急に出てきたらびっくりするよね。」  急に出てきたせいじゃないけどな!? 「なに!? だれっ!?」 「ぼくかい? ぼくはこのあたりに住んでる河童さ。」 「カッパ!?」  見た目はふつうの人間と変わらないように見える。頭に皿があるようにも見えないし、こうらもなさそう。ただ、言われてみれば、肌の色がなんとなく緑っぽいような気がしないでもない。  うたがいの目でじろじろ見ていると、河童(自称)は親指で自分をびしっと指して、こう言った。 「I'm a kappa.」  どこから聞いてたんだこの河童。   ■ 「ああ、それなら見たよ。」  紫によると、この海パン男が河童だというのは本当らしい。  河童は、こっちの話をほとんど最初から聞いていたという。おかげで、からだのゆくえについての話は早かった。 「どこで?」 「ここから少し下ったところさ。ただね……。」  河童は少し考えるようにしてつづける。 「森の中に歩いていくところを見かけたんだ。あれはおそらく、山の上のほうに向かったんだろうね。」  よくわからない。中身……魂が抜けているのに、からだだけ勝手に動いたってこと?  それを聞いた紫は、顔をしかめた。 「うーん……まずいことになったかもしれないわ。」 「どういうこと?」 「なにかがとりついて、からだを持っていっちゃったってこと。」  河童もうなずいている。 「そうだろうね。よくあることさ。」  そんなことある? 「そうね。」  あるの!?   ■ 「さて、じゃ、行きましょうか。」  海パン姿の河童と別れて、山の上をめざす。 「ところで、キミはこんなところでなにをしてたの?」 「あぁ、学校の行事で、この山のキャンプ場に泊まってるんだ。」 「ふぅん。大丈夫かな。」 「なにが?」 「いや、今のキミ、行方不明になったと思われてるんじゃないかなって。」  ……確かに! 「まぁ実際行方不明なんだけどね。からだが。」  けらけら笑う紫。 「笑いごとか!?」 「まぁいいじゃない。それで、どうする? ほうっておく?」  うーん……、どうしよう。さわぎになっているかもしれないし、いちどもどったほうがいいだろうか。 でも、そんなことをしているあいだに、からだが死んでしまっては元も子もない。 「……あのさ、妖怪に持っていかれたとして、目的は? それに、その妖怪からとりかえすなんてできるもんなの?」  どんな妖怪かもわからない。まだ紫とさっきの河童以外の妖怪を知らないけれど、相手はからだをうばっていくようなやつだ。きっと危険な妖怪だと思う。 「目的は知らないけど、とりかえすのは手伝ってあげるわ。大丈夫よ、あたしまあまあ強いから。」  信じていいのかはわからないけれど、ほかにたよれるものもない。  と、そこでふと、怖いことを思いついた。 「……妖怪って、人間を食ったりとかしないか?」  おそるおそる、紫に聞いてみると、 「人間なんか食べないわよ。最近じゃめったにね。」  と、軽い調子で笑った。  ……『最近じゃめったに』ってことは、昔はもちろんあったし、最近でもたまにはあるってことなんじゃ……。 「それに、封印に気づかないわけがないし、なにが封じられてるのかもわからないようなものを食うほどのマヌケは、そうそういないわ。」  『そうそういない』っていうのはやっぱり、たまにはいるってことなんじゃ……?  急いだほうがよさそうだ。  とはいえ、紫はこの状況をそんなに深刻に考えていないようだし、ついでにキャンプ場によっていくくらいのことは、したほうがよさそうだ。 「……よし、いっかいキャンプ場に帰ってごまかしてこよう。」 「ところで、忘れてるかもしれないけど、いまのキミは人には見えないからね。」 「……そうだった。」  幽霊なんだった。時間もおしいし、ごまかしようがないのなら、ほうっておくしかないか。  すると、紫はふっふっふっと、もったいぶるようにふくみ笑いをして、 「そこでいい知らせよ! あたしの貸した力で化ければ、人にも姿を見せることができるわ。」  と、ドヤ顔で言う。 「そうなの?」 「ええ。もともとは人を化かしてた力だからね。人に見せられないと意味がないの。」  なるほど。まあ、方法がないのなら、どうするなんて聞かないか。 「でも、化けたってどうしようもなくない? 化けてどうすればいい?」 「それは簡単よ。自分自身に化けるの。ただ姿を見せるだけってのも、できなくはないけどね。ま、練習ってことで。」 「練習ねぇ……まあいいや。それで、コツとかある? 頭に葉っぱのせたりとか?」 「葉っぱなんかいらないわ。なりたい姿をよぉーくイメージして、あとは気合。」 「気合。」  すごい。ぜんぜん参考にならない。まあいい、やるだけやってみよう。 「うーん……。」  イメージ……。目をとじて、自分の全身を、頭の中に思い浮かべる。自分のうしろ姿を思いうかべるのって難しいよなぁ。あ、せっかくだし、ちょっとくらい身長高めにしてもいいかな。あとは気合……気合? ほんとに気合でなんとかなるのか? うーん、できる気がしない。やっぱりもうちょっと具体的なアドバイスが欲しかったな。  これ無理じゃなかろうか……と思っていると、 「うん、いいんじゃない? うまいうまい。もしかしたら、キミはきつねとかたぬきの半妖なのかも。」 「えっ。できてる?」  いつのまにかできていたらしい。ただ、自分のからだを見まわしてみても、特に変わっていないような気がする。紫にはわかるようだが、自分にはもともと見えていたのだから、わからなくてもしかたないか。 「できてるわ。でも、ちょっと背がのびてるけどね?」 「……そう?」 「ええ。」 「……もとからこんなもんじゃなかった?」 「10センチくらい大きくなってるのに?」 「えっ。そんなに?」  よくばりすぎだったらしい。 「ちょっと待ってやりなおす。」  もういちど目をとじて、イメージする。今度はひかえめにする。 「……どう?」 「まだちょっと大きい気がするけど……ま、いっか。気をぬくと解けちゃうから、気をつけてね。」  よし、紫先生から合格をもらった。これでいこう。   ■ 「ところで、妖怪ってなんで『妖怪』っていうの?」  キャンプ場に向かう道中、ふと気になったことを聞いてみる。幽霊や妖怪なんて信じてなかったので、知らないことが多すぎる。……信じていたとしても、本に書かれていることやテレビの心霊特集で聞いたようなことが、本当に正しいのかもわからないし。 「さあ?」 「さあって。」 「じゃあ、そうねー……。『妖怪』って漢字、どっちも『あやしい』って意味なんだけど。」 「うん。」 「あたしたちが自ら、『あやしいものです』なんて言ったと思う?」  言われてみれば、なんだか変だ。言ってたら言ってたであやしいけど。 「妖怪っていうのは、人間が自分たちにとって『得体のしれないあやしいもの』をそう呼んだから、それをそのまま受け入れただけ。」 「『怪しいもの』呼ばわりなのに?」 「そのへんは、あんまりこだわらないのよね。河童とかかまいたちとかって呼び名も、妖怪がそう名乗ったわけじゃなくて人間がつけたもののはずよ。」 「人間がつけたっていうけどさ、ふつうは人間には見えないんじゃないの? 見えないはずなのに、どうやって存在を知って名前をつけたの?」 「まあね。最近はそうなんだけどね。」  最近は? 「昔はもうちょっと身近な存在だったの。よくもわるくも。  妖怪も姿を見せようと思えばそれなりに見せられるし、見える人間も昔はもっと多かった。  ただ、そのぶんトラブルも多かったのよね。妖怪が人間をおそったりとか、反対に、人間が妖怪を狩ったりね。」 「…………。」 「陰陽師が活躍した時代が、もっとも関係がわるかった時代ね。  で、関わらないほうがおたがいのためなんじゃないかってことになって、次第に関係はうすれていったの。  いまでも見える人間や、キミみたいな半妖もいるから、まったく関わりがないわけじゃないけどね。  ただ、人間にわるさをするような妖怪はほとんどいないわ。そういうやつらは、人間からも妖怪からもきらわれるから。」  ……つまり人間と妖怪は、本来は相いれない存在ということになる。  紫はそんなおれを見て、 「昔の話よ。」  やさしく微笑んだ。   ■  こっそりキャンプ場にもどると、すぐに穂高に見つかった。 「あ、颯希くんどこいってたの? 探したんだよ。」  きもだめしは終わっていた。気を失っていたのでどのくらい時間が経っていたのかわからなかったけれど、どうやらきもだめしは終わったばかりらしい。おかげでおれがぬけだしたことは、大きなさわぎにはなっていなかったようだ。 「ごめんごめん。」  とりあずあやまっておく。探していたというわりに、穂高は紙コップを片手にのんびりしている。 「なに飲んでんの?」 「あ、颯希くんも飲む? 缶詰の残り。」  どうやら、夕食のフルーツの缶詰のシロップを飲んでいるらしい。 「……うすめて? そのまま?」 「え? そのままだよ。」  そんなあたりまえのことみたいに言われても。 「あますぎない……?」 「それがいいんじゃないか。」  いいかなぁ……。  キャンプ場に入るまでいっしょだった紫は、穂高と話しているあいだに、ひとりでキャンプ場の中をうろつき始めた。紫の姿はだれにも見えていないはずなので、とりあえずほうっておく。  さて、もどってきたのはいいけれど、なんとかごまかしてもういちどぬけだす必要がある。  といっても、いますぐぬけだすわけにはいかない。すぐにさわぎになると思う。夜中まで待つしかなさそうだけど、時間はおしい。  できることなら、穂高に協力をお願いしたいところだけど……。  ”仮面優等生”は、先生にばれるとちょっと怒られるようなことでも、お願いすれば協力してくれる。宿題のかたがわりから、変わったところでは窓ガラスを割った犯人のいんぺい工作なんかもやったらしい。ただし、あとでその借りはきっちり返す必要がある。ふみたおそうとすると怖ろしい目にあうというウワサだ。  とはいえ、こっそりぬけだすとなると、さすがに事情をかくして協力してもらうことはできなさそうだ。でも話すわけにもいかないし。……それに、この借りは高くつきそうだし、あきらめたほうがいいかな。 「…………。そうだ、穂高、この山についてなんか知らないか?」  みゃくらくのない問いに、穂高はきょとんとする。 「どうしたの急に。」 「いや、えーっと……ちょっと興味があって。」  せめて情報だけは集めたい。穂高ならなにか知っているかもしれない。 「そうだね……詳しくは知らないけど、あの怪談もとになった廃神社はほんとうにあるらしいよ。御神木も、ダム建設で無くなった集落っていうのもね。智里さんのお姉さん……朝陽さんに聞いたことがあるんだ。」  海パン河童の話では、おれのからだは山のうえにむかったらしい。山のうえといえばいまのところ、廃神社くらいしか心あたりがない。 「廃神社以外には?」 「そうだね……登山道があるけど、それくらいかな。」  このキャンプ場にはハイキングコースを歩いてきたけれど、キャンプ場より先にもつづいていた。たぶんそのことだと思う。 「廃神社の場所ってわかんないんだっけ。」 「そうなんだけど、それが不思議なんだよね。わりと最近まで心霊スポットとして一部では知られてたらしいんだけど、どういうわけか、いまではだれもたどりつけないらしいんだ。」  なるほど、いかにもなにかありそうという感じがする。でも場所がわからないんじゃ……。 「朝陽さんが調べたところでは、あの見晴台から行けるらしいんだけどね。」 「見晴台?」  ということは、あの道がそうだったのか。 「うん。昼間に行ったときは道なんかなさそうだったけど、どうだろうね。ちゃんと探せば見つかるんじゃないかな。」  ずいぶん信頼しているらしい。まあ、実際に道はあったんだけど。 「智里のお姉さんは、なんでそんなこと調べてるんだ?」 「さあ? それは聞いてないね。ただ、さっき話した集落は、おじいさんかそのおじいさんか……ちょっと忘れたけど、先祖がその集落出身って言ってたかな。」   ■ 「あれ、なにしてんのこんなすみっこで。」  穂高から話を聞いていると、美和がやってきた。  その後ろからは、なぜか苦い顔をした紫がやってくる。 「なにってこともないけど……美和はなにしてんの?」 「あたし? あたしはねー、なにか起きそうな気がしたからきてみた。」  なにかってなんだ。  すると、おれの後ろに回りこんだ紫が、小声で耳打ちする。 「……この子、なぜか行く先々に先回りしてるんだけど。あたしに気づいてるわけじゃなさそうなのに。」  カンだけで先回り? なぜかは考えてもわかるはずがないのでさておき、美和の言う『なにか』はたぶん、紫に関することなんだろう。  美和と穂高が、なに飲んでるの、缶詰の残り、というさっきのおれとまったく同じやりとりを始めたので、 「実は気づかれてるんじゃないの? 霊感的なやつで。」  こっそりと紫に小声で返す。 「そんな感じじゃないのよね……。それに気づかれてたとして、いつも先回りしてるのはどういうことよ……。」 「それは知らないけどさ……。」 「さっきからなにぶつぶつ言ってるの?」  紫とぼそぼそとしゃべっているところを、美和に気づかれてしまった。「ん、なんでもない。あの……あれ、寿限無ってどんなだったっけと思って。」  てきとうに思いついた言いわけをすると、 「あー、颯希、国語得意だもんね。」  なぜか納得してもらえた。 「あっ、そうだ。これあげる!」  そういって紙切れを差し出す美和。 「なにこれ?」 「ちさちゃんが作ったお守り。」  智里はおまじないにこっている。聞いた話だと、こっくりさんかなにかをしようとしたところ、学校中が停電し、クラスがパニックにおちいったということが何度かあったらしい。当時はクラスがちがったのでくわしいことは知らないけど、たしかにひんぱんに停電していた時期があった。それ以来、智里は”恐怖の魔術師”とかいうおどろおどろしいあだ名を持っている。……いまさらだけどきもだめし班、変なあだ名があるやつばっかりだな。  受け取ったそれは、お守りというか、お札だった。グニャグニャとした文字かどうかもわからないものが書かれている。……おまじないってレベルじゃないような。 「……なんだこれ、なんのお守り?」 「うん。忘れた。」  それは覚えていてほしかった。 「でも颯希が持ってたほうがいいよ。あたしのカンがそう言ってる。」  美和のカンが言うならしかたない。おとなしく持ってたほうがよさそうだ。   ■  穂高たちと別れ、人目をさけて、ものかげに入る。  穂高から聞いた廃神社や御神木について、紫に説明する。 「紫、どう思う? 廃神社は関係あると思う?」 「さあ? でも、そうね。聞いたかぎりでは、いかにもなにかいそうな感じはするのよね。」 「……よし! じゃあ、夜中まで待って見晴台のほうに行ってみよう。」 「あ、待った。夜中まで待たなくても大丈夫よ。ただし、あたしは後から行くから、とりあえずひとりで行ってね。」 「……なんで。」  なにが待ち受けているのかもわからないのに、ひとりで行くのは怖い。 「時間はおしいけど、このままぬけだすとまたさわぎになるでしょ? だからあたしがごまかしておいてあげるから。」 「どうやって?」 「それはもちろん。」  その瞬間、紫のからだが濃い紫色の霧のようなものに包まれる。霧が晴れるとそこには、 「こうやって。」  おれが立っていた。  つまり、おれになりすましてごまかそうというわけか。 「……いや、すげー不安なんだけど。」 「なんで? だいじょうぶよ。」 「変なことすんなよ?」 「まかせて。あたしのアドリブ力すごいから。」  ほんとにだいじょうぶか。美和のカンによると、紫がなにかをやらかしそうだし。とはいえ確かに、このままぬけだすとあとで怒られることになりそうだ。 「おれが残って紫が先に行くってのは?」 「いやよ。あくまでもあたしは手を貸すだけよ。それに、死神としてはこのまま放っておいても別にかまわないの。」 「……紫は、どうして手を貸してくれるんだ?」 「そうね、理由はいくつかあるけど……いちばんはただの興味本位よ。親切心だけで手を貸したわけじゃないわ。」 「あっそう……。」  相手は妖怪などというわけのわからないものだ。悪いやつではなさそうだけど、「なんの裏もなく親切で助けました」と言われたとして、信用していいものなのかはちょっとわからない。それなら、「なんだかおもしろそうだから手を出しました」と言われたほうが、まだ本当らしいような気もする。  まぁ、わけのわからなさで言えば、封印されている半妖でしかも幽霊という自分自身の状況のほうがだいぶアレだけど。 「それに、こっちのほうがおもしろそうだし。」  それが本音か。不安しかない。が、こうなったら紫にまかせて行くしかない。 「……わかった。じゃあ、目立つようなことしないようにな! おとなしくしててよ!?」 「だいじょぶだって。心配しすぎよ。」  最後にひとつだけ。これだけは言っておきたい。 「紫、おれの姿でその言葉づかいやめて。……なんか気持ちわるい。」 「あら、ごめんなさいね。」  紫は、にいっとものすごくわるい顔で笑う。 「その顔もやめろ!」  こいつ、わざとやってるな。 「ごめんごめん、じょうだんだよ。さあ、あとはまかせて早く行け。」  突然、おれをまねた口調になる紫。声も変わっている。 「……わかった。まかせた。」  目の前で自分がしゃべっている。これはこれで気味がわるいな。 「あ、変化は解いてから行けよ。出ていくところを見られてもまずいし。」 「どうやって?」 「気合で。」 「気合で……。」  やっぱり参考にならない。     ■  気合で、というよりはむしろ気をぬく感じで変化を解いて、再び見晴台にやってくる。  そして、見晴台から続く道に足をふみ入れる。さっき入ったときは気づかなかったけれど、今は、明らかにこの先になにかがあるという気配を感じる。幽霊という、この世のものでないものになってしまったからだろうか。  木のかげに身をひそめて、あたりの様子をうかがう。いまのところは、なにかがいる気配はない。  かくれて行動しなければならないとき、幽霊というのは都合がいい。ふつうの人間には見えないし、足音もしない。草木は触れることなくすり抜けるので、やはり音もなく通りぬけられる。ものに触ることができないのかと思いきや、触ろうと思って手をのばせば、ちゃんと触れることができる。  さっきは杭を打ちこんでいるような音が聞こえてきて、この先には釘が刺さったわら人形もあった。今はなんの音もしない。そういえば、虫の声すらも聞こえない。それに、さっきより明るい気がする。ここにいるかもしれない妖怪のせいなのか、それとも、幽霊というのは夜目が利くのかもしれない。  一度目に入ったときのことを思い出し、足がすくむ。あのときとはちがって、いまは妖怪という得体のしれないものが存在することを知っている。  かくれるようにして進み、やがて、木の幹に五寸釘ではりつけにされたわら人形が見えてくる。  さっきは人の姿はなかったけれど、あれをやった何者かが近くにいるかもしれない。それは人間なのか、妖怪なのか。  それに、あのわら人形は無害なのか。近づいたら呪われたりしないだろうか。妖怪なんてものを信じていなかったさっきなら、近くにいるかもしれない人間が怖かったけれど、幽霊となった今は、なにが起こるかわからないあのわら人形のほうが怖い。 「なにしてるの。」  背後からの突然の声に、悲鳴をあげそうになるのをギリギリのところで飲みこむ。ふりかえると、そこには真っ白いきつねがいた。耳の先だけが紫がかっている。 「……紫?」  きつねが紫色の霧に包まれたかと思うと、人の姿をした紫が現れる。 「よくわかったわね。」 「まぁ、声で。ていうか、なんできつねの姿?」 「うん。ビックリするかなって。」 「ほんとやめて!?」  抗議をしれっと聞き流して、紫は再度聞いてくる。 「で、なにしてたの?」 「あぁうん……、あのわら人形、なんだと思う? 妖怪のしわざ?」  紫はちらっとわら人形を見て、さらりと言う。 「ちがうわよ。なんでも妖怪のしわざって決めつけるのはよくないわ。」  なんだろう。どこかにケンカを売ったような気がする。 「ヨーでるってほどは出ないわ。」  聞かなかったことにしよう。 「じゃあ、あれは人間がやったのか。」 「そうね。妖怪は呪うのにああいった道具はあんまり使わないわ。」  あ、やっぱり呪うこと自体はできるんだな。  紫はわら人形に近寄っていき、まじまじとながめたり、杖でつんつんつついたりしている。 「そもそも、呪いがこめられてる気配がないね。失敗したのか、呪うためのものじゃないのかも。」 「呪うためのものじゃないって……それ以外の目的なんてある?」 「さあ? おしゃれなオブジェ的な?」 「おしゃれではねぇよ。」  なにはともあれ、紫がきてくれた。これで怖いものはない……とまではいえないけれど、ものすごく心強い。 「ところで、ちゃんとごまかしてきてくれた?」 「…………。」  無言で目をそらす紫。沈黙が流れる。 「……なんか変なことしてないだろうな?」 「……大丈夫よ?」 「本当に?」 「……美和って子がちょーっとだけあたしのこと怪しんでたから、めんどくさくなって、みんな眠らせてきたくらいかな?」 「ぜんぜん大丈夫じゃねぇ!」  ずいぶん早くきてくれたなと思ったらこれだ。眠らせられるのなら、最初からそうしてくれればよかったんじゃないか。わざわざ化けた意味がなかったような気がする。 「いやいやいや! バレる前に眠らせたから騒ぎにもなってないし!」 「ほかにはなにもないだろうな?」 「…………。ないわ!」  一瞬の沈黙のあと、びしっと親指を立てて答える紫。  絶対まだなんかあるなこれ。  疑わしくはあるものの、時間がおしい。紫のことを信じることにして、先を急ぐことにする。  さっきはわら人形のあたりで道を外れ、川に落ちた。だから、ここから先はなにがあるのかわからない。しかし紫が合流したので、かくれて進むことはやめてふつうに道を歩いていく。  道中には、たくさんのお札がはりつけられた石の灯ろうがあったり、最初に見たようなわら人形がいくつかあったりしたものの、人間や妖怪に行き会うことはなかった。  紫いわく、お札もわら人形も、特に効力があるようなものではないらしい。なんの意味があるのかわからないというもの、それはそれで不気味ではある。  それにしても、紫がいてくれて助かった。あのお札やわら人形を目にしたら、ひとりではそれ以上は進めなかったかもしれないなと思う。  心の中で紫に感謝しながら進んでいく。やがて、長い石の階段が見えてくる。   ■  石段は長く、ところどころくずれている。のぼるのは骨が折れそうだ、と思ったところで、ふと気づく。もうかなりの時間、山の中を歩き回っているはずなのに、特に疲れを感じていない。もしかしたら、幽霊は疲れないのかもしれない。紫に聞いてみると、 「疲れないわけじゃないけど、肉体の疲労とは違うのよね。こうして歩き回るだけなら、そんなに疲れることはないかな。」  とのことだった。幽霊ってすごい。  石段をのぼるとくずれた鳥居があり、そのさきには小さめの社が見える。  鳥居と違い、社は荒れてはいるものの、つぶれてはいないようだ。  社の正面、横倒しになっている賽銭箱を避けて、建物の中をそっとのぞいてみる。  社の中は、床板が抜けていたり天井に穴が開いていたり……ということはまったくなかった。修理したようなあとがあり、外見からは想像もできないほどきれいだった。ただ、中はがらんとしてこれといって目を引くものもなく、なにかがいる様子もない。 「なにもないわね。」  おれとならんで社をのぞきこんでいた紫が、つまらなさそうに言う。 「境内のどこかに御神木の山桜がはずだよな。とりあえず、この先に行ってみよう。」  樹齢300年を超えるということだったからそれなりに目立ちそうだけど、社のまわりにはそれらしい木は見当たらない。社の裏にも道はつづいているようだから、きっとこの先にあるんだろう。 「そうね。長い年月を経た巨木には、霊力が宿ったりなにかが住み着いていたりすることがあるから、行ってみましょうか。」  社の裏の道を進む。せまい道には木々がおおいかぶさるように枝葉をのばしていて、視界をふさいでいる。前が見えないのでくぐりぬけるように姿勢を低くし、ときには邪魔な枝を払いのけて進んでゆく。  紫のほうを見ると、人の姿では歩きにくいと思ったのか、いつのまにかきつねの姿になっている。 「それが本当の姿なのか?」 「んー、そういうわけじゃないけど、まぁ、人の姿もホントの姿ってわけじゃないし、これはこれで気に入ってる姿ではあるかな。」 「おれが目を覚ましたときに、人の姿をしてたのはなんで?」 「ああ、それはね、この姿で『死神です。』って名乗ったとして、信じられないでしょ?」 「まあ、そりゃあね……。」  というか、それ以前の問題として、ふつうは人の姿でも信じられないと思うけど。 「この姿で出ていくと、『きつねがしゃべった!!』ってとこからになっちゃって、話が進まないのよね。キミには妖狐だって教えたけど、いつもは人の姿のままで通すから、死神としか言わないようにしてるの。」  死神にもそれなりに苦労があるらしい。 「ところで、死神っていうのは神様ではないんだよな?」 「んー……最初に話した通り、死神自体はただの役目のことよ。ほかにも、疫病神や付喪神も『神』と呼ばれているだけで、神というわけじゃないわ。」 「神様ってホントにいるの?」  神社にお参りに行くことはあるけれど、神様を信じているかと言われれば、別にそれほどでもない。いればいいかな、くらいの気持ちだ。ただ、妖怪がいるのなら、神様だっていてもおかしくはないと思う。 「それはもちろんいるわよ。」 「ふぅん。……今度から、ちゃんとお参りしようかな。」 「……まぁ、それはいい心がけだと思うけどね。」  と、紫はなんだかふくみのある言いかたをする。なにが言いたいんだろうと思っていると、紫は思わぬことを聞いてくる。 「キミ、神と妖怪はまったく別の存在だと思ってるでしょ?」 「え、うん。……なに? 同じものなの?」 「同じってわけじゃないけどね。神っていうのは、祭祀――つまり、神としてまつられているもの、信仰されているもののことをいうの。それが妖怪と言われるものだとしてもね。」 「え、そうなの?」 「そうよ。たとえばキミが、あたしのことを神として信仰すれば、一応はあたしも神ってことになるわ。まあ、信者がひとりだけじゃ、一般的な神様とは言えないけど。」  御利益なさそうな神様だな、と思っていたら、 「……邪神。」  思わずぼそっとつぶやいてしまう。 「失礼な。たたるわよ。」  たたるなよ。 「うーん……神様は最初から神様っていう存在なのかと思ってた。」 「そんなことないでしょ。キミだって、菅原道真は知ってるでしょ?」  ああ、そう言われてみれば確かに。 「天神様か。」 「ええ。菅原道真は死後に怨霊となったとされていて、それを鎮めるために学問の神様として祀ったそうよ。日本三大怨霊のひとりとも言われてるわね。」 「あ、そういえば、お稲荷様だってきつねだもんな。」  と、きつねの姿の紫を見ていて思いついたことを言うと、 「……よくある誤解だけど、お稲荷様ってきつねをまつってるわけじゃないわよ。」  と、否定されてしまった。 「……ちがうの?」 「神社によってもちがうし、きつねをまつってる場合もあるけど、多くはウカノミタマノカミを祀ってるわ。きつねは神じゃなくて神使ね。」 「しんし?」  ジェントルマン? 頭の中で、シルクハットをかぶりステッキを持ったきつねが、くるくると踊る。 「神の使いのことよ。……なんか違うこと考えてない?」 「……別に?」  なんでわかったんだろう……?     ■  道の先に姿を現した御神木の山桜からは、いかにも『なにかあります』といった、ただならぬ気配を感じる。樹そのものは、時期ではないはずなので花が咲いていないのはもちろんだけれど、葉っぱもまったくついていない。枯れかかっているようにも見えて、それがまた負のオーラを感じさせるのに一役買っているような気がする。 「これが……。」  御神木の迫力に気おされていると、そんなものは意にもかいさず、人の姿になってまわりをうろうろと歩き回っていた紫が、 「ちょっとこっちにきて。」  御神木の裏から呼んでいる。  紫のもとへよっていくと、紫は御神木の向こうにある岩壁を指さした。 「たぶんここでしょうね。」  紫の示す先には、人が入っていけるほどの大きな穴が口を開けている。のぞきこんでみるが、中は真っ暗でなにも見えない。 「…………。」  入れってことだよなぁ……。 「なにしてるの、早く入って。」  やっぱり……。 「真っ暗なんだけど……。」  ささやかな抵抗を試みると、 「はいこれ。」  と、先端に炎が灯った杖を手わたされてしまった。 「…………。」  穴に杖をかざして、もういちどのぞきこんでみる。穴は深く、どこまで続いているのか見当もつかない。  が、観念して行くしかなさそうだ。  ほらあなに入っていくと、どういうわけかぼんやりと薄明るい。真っ暗なのは入り口だけで、杖の明かりは必要なさそうだ。不自然なこの明るさは、やっぱりなにかふつうではないものがいるということなんだろう。  警戒しながらゆっくりと進む。進むにつれて穴は次第に広くなり、紫と並んでも余裕があるほどの広さになる。冒険ものの映画なら巨大な岩が転がってくるところかなと思う。逃げ場がないので入り口まで走るしかない。想像してぞっとしたけれど、よくよく考えてみれば、幽霊だから当たることなくすり抜けるだろうと思いなおす。 「…………。」  余計なことを考えている場合じゃない。けっこう歩いている気がするのに、終わりが見えない。一本道なので迷う心配がないのは救いだと思う。これで迷路になっていたら、帰れなくなっていたかもしれない。 「……ピノキオって知ってる?」  と、これまでずっと黙っていた紫が、おもむろに口を開く。 「知ってるけど……?」 「あれ、原作ではクジラじゃなくてサメに飲みこまれるのよね。」  それがなんだというんだろう。 「まちがえた。そっちじゃないわ。」 「はあ?」 「……一寸法師って鬼に飲みこまれるのよね。」  なぜか言い直した。その飲みこまれるシリーズがなんだというんだろう。 「それがどうかした?」 「こうなるような気はしてたけど、閉じこめられたみたい。腹の中じゃなくて、結界だけど。」 「結界?」  あたりを見回してみるものの、特に変わった様子はない。どうやら、見た目ではわからないものらしい。それともこの不自然すぎる明るさは、その結界によるものなんだろうか。 「さて。一寸法師はどうやって鬼の腹から脱出したか知ってる?」  一寸法師は刀の代わりに針を腰に差してるんだったっけ。 「たしか、腹の中を針でつついて。」 「そう、腹を破って脱出したのよね。」 「そんな話だったっけ!?」  たぶんちがうとおもう。 「ちなみに、ピノキオも一寸法師も原典では結構な卑怯者よ。」  それ、いま言う必要あった? 「それじゃ、出ましょうか。」 「出るって、もどるってこと?」 「いいえ。もどっても出られないわよ。ていうかたぶん、さっきからずっと入り口のあたりから進んでないんじゃないかな。」  そういうと、おれが持ったままになっていた杖を取りあげる。杖は紫色の霧に包まれると、やがて大きな鎌になって姿を現す。死神といえばこれ、というような大鎌だ。 「死神っぽくていいでしょ?」  なぜか得意げに言う紫。 「まぁ、鎌を持った死神のイメージは、西洋から伝わったものなんだけどね。」 「じゃあなんで鎌を出したの。」 「かっこいいかなって。」  あっそう……。 「……なんでもいいから早くやって。」 「はいはい。ま、見てなさい。」  紫は大鎌を両手でにぎりしめると、野球のホームランバッターのような豪快なフォームでふりかぶる。 「くらえ必殺! カマタリのカタマリ!!」  ネーミングがダセぇ。 「はあっ!!」  気合とともに、フルスイングで大鎌の切っ先をほらあなの壁面に打ちこんだ。  紫が大鎌を打ちこんだ瞬間、バキンッというガラスが割れるようなかん高い音が響きわたる。大鎌の切っ先が突き刺さったところから亀裂が走り、その亀裂からの閃光で視界が染まる。そのまぶしさに、思わず光に手をかざす。  光が収まるのを待って、あたりの様子をうかがう。紫の言った通り、おれたちはほらあなの入り口あたりに立っていて、そのすぐ奥に、おれのからだがたおれていた。
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