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その3:暗中模索
ほらあなの奥に、おれのからだがたおれている。
「あったっ!」
かけよろうとすると、
「ちょっと待った。」
ごんっ。
「にかいめっ!?」
紫に頭をなぐられた。鎌は危ないと抗議しようとすると、いつのまにか杖に戻っている。杖でならなぐられてもいいというわけじゃないけれど。
「今度はなんだよ!?」
「危ないから止めただけよ。」
「止めかた、もうちょっとどうにかならなかった?」
「細かいこと気にしすぎよ。」
だから、細かくない。
「それより、あれに近づいちゃダメよ。」
紫は、おれのからだから目を離さずに言う。
「なんで。せっかく見つけたのに。」
「忘れたの? あれ、なにかとりついてるんだってば。」
そういえばそうだった。
距離を保ったまま、からだの様子をうかがう。
すると、からだがゆっくりと立ち上がり、
「……乱暴なやつだな。」
しゃべった。本当になにかがとりついているらしい。
「結界はあんたのしわざね? あんたは何者?」
「そうだ。おれは……そうだな、望月という。この山桜を住処にしているものだ。」
……紫が化けたときも思ったけど、自分が目の前でしゃべってるというのはやっぱり気味がわるい。しかも、紫のときとはちがい目の前のこれは、本当におれのからだなのだ。
「そのからだはこの子のものなの。返しなさい。」
「ああ、いいだろう。……こばんだところでむだだろうからな。ただし、条件がある。」
「条件?」
「ああ。探してほしい人間がいる。」
紫が、こちらに目くばせする。どうするのかは自分で決めろ、ということなのだろう。
紫に代わり、望月に問う。
「その人間っていうのは?」
「この山桜の手入れをしていた桜守だ。」
桜守?
「紫、桜守って?」
「んー……たぶん、この山桜を管理する役目のことをそう呼んでたんでしょうね。もしかしたらその人間は、植木職人か樹木医かも。」
ふむ。
「探して、どうするつもりなんだ?」
もしなにかよからぬことをするつもりなら、引き受けるわけにはいかない。
おれから警戒の色を感じ取ったのか、望月はなんでもないことのように言う。
「なに、わるさをするつもりはない。ただもういちど、この山桜の木を見せたいのだ。」
「……それだけ?」
「ああ。この木はもう長くはもたない。あの桜守ならよみがえらせることができるかもしれないと思っていたが、それももう手遅れだ。だがせめて、最後に一目見せるくらいは、な。」
……信じていいものだろうか。
「紫、ちょっと。」
耳を貸して、と手招きして、耳打ちする。
「……どう思う?」
「そうね……ウソは言ってないと思うけど、どうかしらね。」
「あいつ、危険なやつだと思う?」
「それは大丈夫だと思うわ。それに、あんまり力のあるやつじゃないし。結界はちょっと得意みたいだけど。」
紫はそこで少しけわしい顔をして、つづける。
「……人探しは時間がかかりそうだし、先にからだを返してもらいましょうか。仮に見つけられなくても、からださえ取り返せばこっちのもんよ。」
発想が悪人のそれ。望月に聞かれたらまずい。
「……まぁ、先に返してほしいところではあるけど。」
そこで望月が口をはさむ。
「手を貸してくれるのなら、先に返してやってもいいぞ。」
なんと。聞こえてたらしい。でも話のわかるやつだ。
そういうことなら、協力してもいい。ただ、手がかりが少なすぎる。
「なにか手がかりはないのか? 『桜守をしていた』以外に。」
「手がかりか。そうだな……うむ……そう、人間だ。」
「当たり前だろ。」
けっこうとぼけたやつかもしれない。
「それ以外になんかないのか? 男か女かとか、何歳くらいだったとか。」
初歩的なことを聞いたつもりだったけれど、望月はみけんにしわを寄せる。
「男だ。だが歳は……すまない。わからない。」
「男、ねえ……。」
探すのを手伝うのはかまわないけれど、さすがにこれだけではどうにもならない気がする。
「んー……ま、でも、近くにあったっていう集落の人間って考えるのが自然よね。もしそうでなかったとしても、その集落出身の人に話を聞くことができれば、なにかわかるかも。」
ダム建設のために無くなった集落……そういえば穂高の話だと、智里の先祖はその集落出身って話だったっけ。キャンプ場にもどって聞いてみようか。
「あとは、そうね。望月、その人のこと、なんでもいいから話してみて。なにか手がかりになることがあるかもしれないし。」
「そうだな……。」
望月は目を伏せ、黙りこむ。昔を思い出しているのだろう。やがて、ゆっくりと話し始めた。
「おれはこの神社が建立される前から、この山桜の木を住処にしている。あの桜守を見かけるようになったのは、人間にとってはどうなのか分からないが、おれにとっては最近のことだ。いつのころからか、満月の時期に訪れては、この木のことを『望月』と呼び話しかけているのを、おれは木のうえから見ていた。……『望月』というのはおれの名ではなく、この山桜の名なのだ。」
「じゃあ、本当はなんて名前なんだ?」
「本当のっていうか、名前がないんじゃないかしら?」
紫の言葉に、うなずく望月。
「そうだ。そのきつねの――。」
「紫よ。」
紫が口をはさむ。そういえば名乗ってなかった。
「おれは颯希。」
「そうか――紫の言うとおり、おれには名がないのだ。」
「めずらしいことじゃないわよ。」
紫が補足する。そういうもんか。
「ほかにはなにかない?」
「そうだな……いちど、この山桜が満開を迎えたころ、歌を詠んだのを聞いたことがあった。思えば、それがあの桜守を見た最後かもしれない。」
「歌?」
「ああ。『願わくは花の下にて春死なん その如月の望月の頃』と。」
「へえ、西行の歌ね。」
感心したようにうなずく紫。
「さいぎょう?」
「大昔の歌人よ。」
紫の言う大昔ってどのくらい昔なんだろう。
「歌の意味は? なんとなくわかるような気もするんだけど。」
「ものすごーくざっくり言うと、『死ぬときはできれば2月の満月のころに桜の花の下で死にたい』って歌ね。」
「2月なのに桜?」
「陰暦だと2月は春なの。陰暦は月の満ち欠けをもとにした暦で、『如月の満月の頃』っていうのは2月15日ごろのことね。ちなみに、西行は2月16日に亡くなったそうよ。」
なるほど。西行すごいな。
「……望月って名前は、この短歌からつけたのかな。」
木に名前をつけたり話しかけたり、ちょっと変わってるなと思わないこともないけれど、それだけ愛着があったということなのかもしれない。
「そうかもしれないわね。」
うーん……西行はすごいと思うけど、これも手がかりにはならなさそうだ。これ以上、なにかを聞きだせるような気がしない。
と、そういえば、ひとつ思い出したことがあるので聞いてみる。
「望月、おれを呼ばなかった? おれをっていうか、だれかを。その声を聞いて、ここにきたんだけど。」
望月は、少しおどろいた顔をする。
「聞こえていたのか。」
「空耳かなとも思ったんだけど、やっぱりそうか。望月だったんだ。」
「いや、もうあきらめていたんだが、そうか。……この山桜の木が枯れ始めたころ、その桜守に助けを求めようとしたのだが、おれは人に姿を見せられるほどの力がない。どこにいるのかもわからない桜守を、探すことさえかなわなかったのだ。
そこで、おれの姿を見ることができる人間に、力を貸してもらうことができないかと考えた。だからそうして呼んでいたのだ。だがそれもかなわず、おれの声を聞くことができる人間は現れなかった。それどころか呼んでもいない人間たちがおとずれ、この境内を荒らすようになってしまった。」
智里から聞いた怪談を思い出す。廃神社はきもだめしにはもってこいだ。境内を荒らす人間というは、心霊スポットと聞いておもしろ半分で入りこんできた人たちのことなんだろう。
「だからもう、あきらめていた。そして、声を聞くことができる人間を呼ぶことをやめ、この境内に人払いの結界をはったのだ。」
「人払いの結界? 紫がさっき破ったやつのこと?」
おれの疑問に、
「それとは別の結界ね。あの見晴台にある入り口から、このあたり一帯に人払いの結界がはられてるの。さっき破ったような強力なものではないけど、ふつうの人間は簡単には入ってこられないはずよ。それともうひとつ、社からここにくるまでにも、もう少し強い結界があったわね。」
と、紫が説明してくれる。
そういえば、見晴台からつづく道に入ったとき、妙な雰囲気を感じたような気がする。もしかするとあれは、結界のせいだったのかもしれない。それ以外の結界はまったく気がつかなかったけれど。
「そうだ。だが、知らず知らずのうちに、呼んでしまっていたのだろう。……とうにあきらめたつもりだったんだが、そうか、聞こえるものがいたのか。」
望月はひとりごとのようにつぶやいて、ほんの少しだけ、安堵したように笑みをもらした。
■
「さて、望月。とりあえず、からだを返してくれる?」
しかし望月は、紫を手で制して言う。
「まあ待て。もうひとつ、頼みたいことがあるのだ。」
紫が顔をしかめる。
「まだあるの?」
めんどくさいと思ってるんだろうな。
「ああ。このところ、結界に何度も出入りしているものがいるんだが、正体も目的もわからんのだ。その目的次第では、追い出してくれないか。」
なんだそりゃ。
「正体が分からないっていうのは?」
「人間ではないかと思うのだがな。いくどか気配をたどってもみたのだが、未だに姿を見たことがない。」
UMAかなにかか?
「でも、人払いの結界なんだよな? それに出入りしてるってことは、妖怪なんじゃないの?」
「そうとも限らないけどね。それほど強力な結界じゃないから、妖怪を見ることができる人間ならあの入り口も見つけられるはずだし。それに、ふつうの人間が迷いこむこともなくはないわ。めったにあることじゃないし、何度もとなると、ふつうの人間である可能性は低いとは思うけどね。」
それなら、こっちも手がかりなしということか。
「うーん……とりあえず、探してみるしかないか。」
「それじゃ、決まりね。まずは封印を破らなきゃいけないから、あたしはここに残るわ。その間に、キミはその侵入者を探してて。」
「え……おれひとりで?」
何者かわからない相手を、ひとりで探しまわるのは心細い。
紫は少し考えて、望月に指図する。
「そのからだをおいて、あんたも行きなさい。」
なんでえらそうなんだろう。
「……かまわんが、おれは役に立たんぞ。」
「気配はたどれるんでしょ? この子ひとりで闇雲に探しまわるよりはいいわ。」
本当は紫に来てほしいところだけど、封印もなんとかしてもらわなければならない。それに、紫の言うとおり、ひとりで当てもなくさまようよりは、気配をたどれる望月がいたほうがいい。
望月がたよりになるのかは分からないけれど、まあ、悪いやつではなさそうだし。
「じゃあ望月、いっしょに行こう。」
「ああ、わかった。いいだろう。」
おれのからだから、すうっともやのようなものが立ちのぼる。そのもやは次第に濃くなってゆき、やがて、人の姿をした望月が現れる。
望月は、深い藍色の着流し姿で、服装が古風であることとなんとなく浮世離れした雰囲気をまとっていることを除けば、ふつうの若い男のように見える。
さて、望月が離れたおれのからだが、どうなったかというと。
「……からだから離れる前に、せめて座るとかさ。」
望月が姿を現した瞬間、気を失ったようにその場にバサリと倒れこんだ。
「……すまない。」
申し訳なさそうに顔を伏せる望月。
ともかくこれで、からだはとりもどした。
「紫、あとお願い。」
「まかせて。ばっちり破っちゃうから。」
たのもしい。……たのもしいんだけど、紫は最初、封印を『解く』と言っていたはずなのに、さっきから『破る』と言っているのは、なにか意味があるんだろうか。結界のことも『破る』と言っていた。その結界は、大鎌フルスイングで破った。そして今、紫はなんだかうれしそうに杖をふりまわしている。
……いやな予感しかしない。からだに戻った瞬間、頭にできたたんこぶの激痛におそわれる、というのはかんべんしてほしい。
「……紫、封印って、どうやって解くんだ?」
さりげなく探りを入れてみる。
「んー? どうして?」
「いやー……なんとなく。」
「悪いけど、教えられないの。あんまり知られると、都合が悪いのよね。ま、専売特許ってやつよ。」
たんこぶのひとつやふたつは覚悟しておいたほうがいいかもしれない。
■
さっそく侵入者を探しに、と思ったら、望月は「少しだけ休ませてくれ」と言って姿を消した。どうやら、結界を強引に破られたのがよくなかったらしい。つまりは紫のせいだ。
そんなわけで、ひまだ。望月を待っているあいだに、さっきから疑問に思っていたことを聞いてみる。
「紫、ちょっと聞きたいんだけど。」
紫はさっきから、おれのからだをじっと凝視したり杖でつついたりしている。いわく、どんな封印かがわからないと破れないから調べている、とのことだった。できればつんつんつつくのはやめてほしい。
「ん? いいよー、なんでも聞いて!」
「川に落ちる前にこの結界の中に入ったんだけど、ふつうは入れないはずなんだよな? おれが入ることができたのはなんで?」
「いい質問ね! 理由はいくつか考えられるわ。
まずひとつ、封じられているとはいえ、キミは半妖だからね。ふつうの人間と比べて、結界の影響を受けにくいんでしょうね。そもそも、望月の声が聞こえていたのなら、この人払いの結界くらいどうってことないわ。
そしてもうひとつ。キミ、御神木にまつわる怪異について知っていたでしょう。」
御神木にまつわる怪異というのは、智里と穂高に聞いた話のことだろう。
「知ってはいたけど……どういうこと?」
「『知っている』ということが怪異に遭遇する条件になる場合があるの。たとえば、そうね……、キミの学校には七不思議はある?」
「えーっと……あったような……?」
「はっきりしないわね。」
「興味なかったから。」
「まあいいわ。学校の七不思議の定番に、『7つすべてを知ると呪われる』っていうのがあるの。これも『知っていること』が条件になっているわ。まあ、学校の七不思議はだいたいただの作り話だけどね。」
「知ってるってだけで?」
「ひきよせちゃうのよね。もしくは、ひきよせられちゃう。」
知らないほうがよかったってことか。
「そうでなかったとしても、知っているということが影響することはあるわ。といってもこれは、怪異に限ったことではないけれどね。」
「というと?」
「キミのうしろに花が咲いてる木があるんだけど、それ、なにか知ってる?」
ふりかえるとたしかに、人の背丈よりちょっと高いくらいの大きさの木に、桃色の花が咲いている。葉っぱは楕円形で、細長いボートのような形をしている。
「これ? いや、知らない。」
「それ、もともと日本にはない木だから、誰かが植えたものなんでしょうね。街路樹や庭木として植えられることもあるそうよ。キョウチクトウっていうんだけど。」
「ふぅん……。」
きれいな花だ。ひきよせられるように手をのばし、
「毒があるのよね。」
あわててひっこめた。
「おおおぉぉぉあぶねえぇ! そういうことはもっと早く言って!?」
「かじったり、燃やしてけむりを吸ったりしなきゃ平気よ。まぁ、あんまり触んないほうがいいけど。どっちにしても、からだがないいまのキミに、毒なんか効かないわ。それに、ここにくるときもはらいのけたりしてたけど、覚えてない?」
「……覚えてない。」
言われてみればこんな感じの花は見たような気もする。けれど、見たと断言できるほどの確信はない。というか、幽霊なんだからそのまま通りぬければよかったのに、紫と合流してからは、無意識のうちに払いのけてたような気がする。安心して気がぬけたせいかもしれない。
「何度も目にしてはいたはずよ。でも、認識できてない。知らないがゆえに、『それ』に気づくことができない。『雑草という草はない』っていうけど、知識と興味がなければ雑草にしか見えないものよ。」
うーん? なんだかちょっと難しい話になってしまった。
「もうひとつ例をあげてみましょうか。さっきの西行の歌の『如月の望月のころ』は何月何日のことか覚えてる?」
そのくらいはもちろん覚えている。
「2月15日。」
「そうね。さっきは歌人としか説明しなかったけど、西行は僧侶でもあったの。そして、陰暦2月15日は、釈迦の入滅――亡くなった日とされているわ。」
「てことは、あの歌は単に『桜が好き』っていうだけの歌じゃないのか。」
「そういうこと。まあ、桜に特別な思い入れがあったっていうのも本当みたいだけどね。でも、どう? このことを知らなかったときには見えなかった意味が見えてこない?」
たしかにそうかもしれない。同じものを見聞きしたとしても、持っている知識が違えば、そこから見出すものも違ってくるらしい。
納得した様子のおれを見て、紫は話を続ける。
「そして、怪異に遭遇したとしても、それをどうとらえるかはその人次第ね。」
「どういうこと?」
「最初に望月の声を聞いたとき、人の声だと思わなかった?」
「あ、思った。」
「正体は妖怪だったのだけれど、そうは思わなかった。これは怪異をそうと認識できてないってことね。気のせいとか空耳と解釈した場合もそう。
ある現象に遭遇したとき、それをどう解釈するかは、その人の知識や経験、信念によるわ。幽霊はいないと信じていれば、それらしいものを見ても幽霊だとは思わない。反対に、幽霊はいると信じていれば、枯れススキが幽霊に見えることもあるものよ。『幽霊の正体見たり枯れ尾花』ってね。」
そういうものか。あと、もうひとつ聞きたいことがある。
「紫って物知りだよね。なんで?」
「死神は死者の魂を案内するって話したわよね。その道中はヒマだからね。いろいろお話をするの。未練や後悔を口にする人もいるけど、思い出や好きだったものの話をしてくれる人も多いわ。キョウチクトウを教えてくれたのは、園芸が趣味のおばあちゃんだったなー。
それに、あやかしは人間よりも長生きな場合が多いからね。長く生きていれば、それなりにね。」
……紫って、いったい何歳なんだろう。
■
再び姿を現した望月とともに、社に向かう。どうやら侵入者はいま、社のあたりにいるらしい。
社につづく道をゆく。大丈夫だとわかっていても、なんとなくキョウチクトウには触れないようにして進む。
「望月、おれのからだにとりついて、どうするつもりだったんだ?」
「ああ、人間のからだがあれば、桜守を探しに行けるのではないかと思ってな。おれは人に姿を見せられるほどの力はないが、魂の入っていないからだにとりつくくらいは、できそうだったからな。」
食うつもりだった、とかじゃなくて本当によかった。
「へぇ。紫が言ってたんだけど、望月がとりついていたおかげで、思ったほどは弱ってなかったらしい。ありがとな。」
お礼を言うと望月は、居心地が悪そうに目をそらした。
「……じつは、な。お前が川に落ちたのは、おれのせいなのだ。その、出入りしている何者かをついに見つけたのではないかと、気が急いてしまってな。目測を誤ってぶつかってしまったのだ。」
……どうやら、あのときの突風のような衝撃の正体は、望月だったらしい。
望月の話をまとめると、こういうことらしい。
望月の声を聞いたおれが人払いの結界に入りこんでしまったところ、望月は『このところ何度も出入りしている何者か』とかんちがいした。
そして、急いでかけつけたが、誤って体当たりをかまし、突き落としてしまった。
人間を突き落としてしまったとあわてて追いかけ、川に浮かぶからだを発見するも、魂が入っていない。
ひとまずからだだけでも川から引きあげようと思いとりついたところ、このからだがあれば自力で桜守を探しに行けるのではと思いついた。
魂はからだに引かれるはずなので、からださえ死なないようにしておけば、ほうっておいてもそのうちやってくるだろうと思い、しばらく借りることにした。
ということで、この状況はそもそもが望月のせいだった。
「……死にかけたんだけど。」
「……すまん。」
まあ、からだを拾っておいてくれて助かったのもまた事実。事故とはいえ、突き落とした相手のからだを勝手に借りようというのは、なかなかちゃっかりしているな、とは思うけれど。
社はまだ見えてこないので、もう少し話を聞いてみる。
「ところでさ、桜守のこと、もっとなにか覚えてることない? それか、この神社のことでもいいけど。」
これ以上手がかりになるようなことは聞き出せなくても、望月がかつて見ていたものを、知りたいと思った。
「そうだな……さきほど話した通り、あの山桜に住み着いたときはまだ、神社は無くてな。ここは静かなところで、おれはひとりだった。」
望月は、どこか遠くを見るように目を細めた。
「いつからか人間がやってくるようになって、やがて神社が建立された。
だがそれでも、おれにはかかわりのないことだった。人間たちにおれの姿は見えないからな。
人間たちはあの山桜を大切にあつかってくれていたから、おれの暮らしがおびやかされることもなかった。
桜守の役を勤めた者はあの男ひとりだった。あの山桜の木が弱ったことがあってな。それ以来あの男が桜守として、山桜の手入れをしていたのだ。
あの男は変わったやつだった。」
昔をなつかしむように、おだやかな笑みをうかべる。
「御神木に話しかけたりしてな。まるでこどもの世話をするようだった。
そのうちに、満月の日になるとな、日が暮れるころにひとりでやってきては、酒を飲みながら、月を見、山桜に話しかけていた。
すっかり酔ってしまうと、社の中で夜を明かしていた。」
神社の決まりごとはよく知らないけど、社で寝泊まりっていいのかな……。
「とくに酔っているときは、よくしゃべる男だった。なにを話していたのかは覚えておらんがな。どうせおれのことは見えていないのだから、関わらないようにしていたのだ。……山桜に酒をすすめていたこともあったな。」
そんな、電柱にぶつかってあやまる人みたいなことするかな……。
「……それ、山桜じゃなくて望月にすすめてたんじゃないの?」
ほんとうは、望月のことが見えていたんじゃないか。
望月は、ありえないというふうに笑った。
「まさか。見えていたのなら、御神木にとりつく得体のしれないものを、ほうってはおかないだろう。」
そうかな。……なんとなく、そんなことはない、とは言えなかった。
■
颯希と望月を見送って、紫はひとり、颯希のからだを見下ろしている。
「んー……。」
その表情はけわしい。
「なんだろう、これ……。」
颯希のからだを見下ろすその目には、それぞれになにかが封じられた、ふたつの封印が映っている。
ひとつは問題なさそうだと判断する。しかしもう一方に封じられているものがなにか、わからずにいた。
颯希に手を貸したのは、興味や善意のためだけではない。
颯希にも話した通り、人間に害を及ぼす妖怪は、人間からも妖怪からも嫌われる。
なにごともなければいいと、そう思っていたのは本当だ。だがもし、封じられているものが、危険なものなのであれば。
――そのときは……。
その手に持っていた杖が、紫がかった霧に包まれる。次第に霧は晴れ、大鎌がその姿を現す。
■
もうすぐ社というところで、声を落として望月に確認する。
「まだ社のあたりにいそう?」
「……ああ。これ以上は、近づかないほうがいいだろう。」
社が見えるところに身をひそめ、様子をうかがう。ここからは、社の裏側が見える。侵入者がふつうの人間であれば、どうせこっちのことは見えないのだからかくれる必要はないのだけれど、望月が姿を見たことがないということは、望月の気配を察してにげたのかもしれない。
「ここからでは、おれには見えん。たのんだぞ。」
望月はあまり目がよくないらしい。おれを突き落としたのもそのせいなのでは。今後は気をつけてほしいところだ。
「うーん……、表にまわってみよう。」
社の裏手には、なにかがいるようには見えない。木々のかげにかくれたまま、社の表側にまわる。
こちら側にも、特に変わったところはない。
「ほんとにこの辺りにいるのか?」
望月は、あたりを見まわしながら答える。
「……ああ、そのはずなんだが。」
「社の中にいるのかな……。」
「……かもしれん。」
「危険なやつかもしれないし、突入するわけにもいかないよな。しばらくはこのままかくれて様子を見るしかないか。」
「ああ……そうだな……。」
さっきから、望月の様子がおかしい。おれの言葉に生返事を返し、そわそわとあたりを警戒している。
「どうかしたの?」
「いや、それがな……。」
望月がなにかを言おうとしたそのとき、
「――何者だお前ら。」
どこからともなく声がした。
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