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その4:低回顧望
何者だと問う声に、あたりを見まわしてみるものの、周囲に姿はない。
妖怪か、と思ったそのとき、近くの木の上から、バサリと何者かが降ってきた。
「何者だ、お前ら。」
あらためてそう問うたのは、若い女性だった。古風な着流し姿の望月や、山にはミスマッチであるパンツスーツ姿の紫と違い、そでの長いシャツにジーンズという動きやすい服装。浮世ばなれした雰囲気もないし、たぶん人間だと思う。なんとなく知り合いのだれかに似ているような気がするけれど、それがだれかはわからない。細いフレームの眼鏡をかけていて、その奥の目つきはするどい。長い髪を後ろでまとめていて、つまりはポニーテールということになるけれど、鋭い目つきと相まってどちらかと言えば、そんなかわいいものよりは武士とか剣士という雰囲気だ。なぎなたとか弓道とかが似合いそうだ。
望月が、おれをかばうようにして前に出る。ちょっとたのもしい。
「いや、怪しいものではない。」
怪しいやつのセリフだと思う。
「わたしのことを探していただろう。」
この人、おれと望月が見えているということは、ただものじゃなさそうだ。たぶん、おれが幽霊であることも、望月が妖怪であることも察しているんじゃないかと思う。
「ああ、すまない。おれはこのあたりに住んでいる望月というものだ。このところ妙な気配がしていたので、探りにきたのだ。」
「そっちは。」
視線がささる。どうやら人間のようだけれど、紫や望月よりはくりょくがある。正直なところ、怖い。
「……通りすがりの幽霊だけど、ちょっといろいろあって。」
名前を名乗り、『いろいろ』の説明を手短にする。半妖であることとこの場にいない紫のことは、話がややこしくなるのだけなので黙っておくことにする。
「林間学校……ということは、智里の同級生?」
智里?
「奈川智里のことなら、同じクラスだけど……?」
「そうか。わたしは奈川朝陽。智里の姉だ。」
こちらに向けられていた警戒が、少しだけ和らぐ。
だれかに似ているような気がすると思ったら、智里のお姉さんだったのか。穂高から聞いた通りの雰囲気の人だ。
「朝陽さんは妖怪が見えるんですか?」
「はっきりとは見えない。ただ、眼鏡があれば、それなりに見えるようになる。」
「それ、なにか特別な眼鏡なんですか?」
「いや、そういうわけじゃない。これ自体は適当に買った安物だ。度も入っていないしね。ただ、ガラスを通すとそういったものが見えやすくなるらしい。」
「それで、ここでなにをしてたんですか?」
「……探し物があるんだ。」
探し物と聞いた望月は、得心したようにひとつうなずいて、言う。
「探し物か。おれはこのあたりのことならなんでも知っている。力になれるかもしれんぞ。なにを探しているのだ。」
協力を申し出る望月に対して、朝陽さんはどういうわけか、困った顔をする。
「……それが、わからないんだ。」
……そんなことある?
「探してるんですよね? わからないっていうのは、どういうことなんですか?」
「ああ……探しているものは、曽祖父の宝物なんだ。」
曽祖父……ひいおじいさんか。
「宝物?」
「そう。ところが、それがなにか、わからないんだ。」
「そのひいおじいさんには聞いてみたんですか?」
朝陽さんはゆるゆると首を振る。
「曽祖父は、わたしが小学校にあがる前に亡くなった。智里が生まれる前のことだ。小さなころ、ここには大切なものがあると話してくれたことは覚えているんだが、かんじんの内容はよく覚えていないんだ。」
「……それで、どうやって探そうとしてたんですか?」
「ああ。それがなんなのか、話を聞いたことはまちがいない。なら、見つけさえれば思い出せるかもしれない、と思っていたんだけれどね……。」
そんな無茶な。
「まさか、御神木の山桜すら見つけられないとは思わなかった。」
それはたぶん望月の結界のせいだ。
「そうか……。その曽祖父とは、どのような人物だったのだ。話してみてくれないか。なにかわかることがあるかもしれん。」
望月が、やさしく問う。望月の場合は人探しだけど、なにかを探しているものとして、共感するものがあるのかもしれない。「その目的次第では追い出してくれ」と言っていたけれど、この様子ならその必要はなさそうだ。
「曽祖父は――。」
朝陽さんがひいおじいさんのことを話そうとしたそのとき、
「あたしも混ぜて!」
紫が現れた。
■
朝陽さんには紫のことを話していなかったので、半妖のことと封印のこともあわせて話しておく。
突然現れた不審者に対して、朝陽さんはものすごく警戒していたけれど、話を聞いて納得してくれた。
一方紫は、朝陽さんが智里の姉と聞いて、
「……あー、あの子のお姉ちゃんなんだ。」
という反応。なぜ智里のことをそんなはっきり知っているのだろう。……おれに化けてキャンプ場に残り、その後合流したとき、「ほかにはなにもないだろうな?」という問いに、変な間をおいてないと答えた。あのときは、まだなんかあるなと思ったけれど、もしかしたらそれは、智里に関することなのかもしれない。
まあ、とりあえずそれはおいておこう。
「紫、封印はどうなったの?」
「ばっちりよ。」
びっと親指を立てて答える紫。これ、くせなのかな。
「ただ、からだがもう少し回復するまで、待ったほうがいいかな。いまからだにもどっても、そのまま気絶しちゃうと思うわ。ま、でも、朝までには帰れるはずよ。半妖の回復力はふつうの人間とは比べ物にならないからね。」
「そっか。ありがとう。」
「いえいえ、どういたしまして。」
これで、おれの目的は達成したことになる。
あとは、望月の桜守探しと、朝陽さんのひいおじいさんの宝物探しだ。……桜守探しはもちろん、宝物探しも、朝までには無理だよなぁ。
「とりあえず、つづきは御神木のところにもどってからにしましょうか。颯希くんのからだ置きっぱなしだし。」
と、紫が言うので、御神木までもどることになった。
「朝陽さんは、何度かここにきてるんですよね?」
何度も出入りしていると、望月が言っていた。
「ああ。ふだんは下のキャンプ場に泊まるんだが、今日は君たちの林間学校で貸し切りだからね。どこかでてきとうに泊まろうかと思っていたんだ。」
なかなか豪快な人だ。そういえば、「テントを持って出かけてしばらく帰ってこないことがある」って智里が言ってたっけ。
「キャンプ場が貸し切りってことは知ってたんですよね? なんでわざわざ今日きたんですか?」
「もちろん知っていた。わたしたちのときもそうだったしね。今日きたのは、満月だったからなんだ。曽祖父は満月についてよく話していたからね。」
「そうか、朝陽さんも林間学校できたことがあるんですね。」
「初めてきたのが林間学校だったな。そのときに、ここが曽祖父の話に出てきた神社だと知ったんだ。それからこの神社について調べた。……以前は心霊スポットとして知られていたというから、人が近づかないようにわなもはってある。」
……ん? わな?
「わなって?」
「ああ、まあ、お化け屋敷みたいなものだ。わら人形を見なかったか? それと、センサーを設置しておいて、人が通ると五寸釘を打つ音が流れるようになってるんだ。ほかにもいろいろとな。」
けっこうとんでもない人だ。
わら人形や石灯ろうのお札には、特に効力はないと紫が言っていたのは、こういうことだったのか。2度目にここに入ってきたときに、五寸釘を打つ音がなかったのは、たぶん、幽霊にはセンサーが反応しないのかもしれない。
……それにしても、川に落ちたのは望月のせいかと思ったけど、朝陽さんのせいでもあるな。
望月にぶつかって落ちたけど、がけに近づいたのはあのわら人形からはなれるためだ。
まあ、言っても仕方がないので、黙っておくことにする。
「……ここ、望月が人払いの結界をはってるんで、ふつうの人は入ってこられないらしいですよ。」
「人払いの結界?」
「ああ、以前は確かに入ってくる者がいたが、結界をはってからは、お前以外に入ってくる者はほとんどいない。」
「そうだったのか……。いまでは場所もはっきりしないとされていたから、なにかあるとは思っていたんだが、そういうことだったのか。」
そういえば、穂高もそんなこと言ってたな。あと、怪現象が起こるらしいとか。
怪現象……。
「心霊スポットとして有名だったころってさ、怪現象が起きてたらしいんだけど、もしかして望月、なにかした?」
「いや、知らんな。」
心当たりがないという顔をしている。
「何人かでやってきては、さわいで散らかして帰っていく連中が多かったから、おどかして追い返すことはあったが。」
いやそれだろ絶対。
■
御神木の前には、おれのからだが横たわっている。ちょっと見た感じでは、杖でボコボコになぐられている、ということはなさそうだ。あくまでも、ちょっと見てわかる範囲だけの話だけど。
「それじゃ、朝陽ちゃん、つづきをどうぞ。」
なぜか紫が仕切っている。
「曽祖父の話だったな。わたしの曽祖父は、ここの桜守をしていたそうなんだが――。」
えっ!?
「待ってくれ。」
ちょっと待ってとわりこもうとしたけれど、望月のほうが早かった。
「……すまない。ひとつ、教えてくれ。お前の曽祖父は、桜守だったのか。」
「そうだが……それがどうかしたのか?」
朝陽さんがいぶかしげに答えると、望月は落胆した様子で、
「いや……続けてくれ。」
うめくようにそれだけを言い、黙った。
朝陽さんが心配そうに望月の様子をうかがっているので、望月に代わって事情を話すことにする。
「じつは望月は、桜守をしていた人を探していたんです。この御神木の山桜はもう、もたないそうなんですが、最後に一目でも、桜守をしていた人に見せたかったんだそうです。」
「そうか……だが、曽祖父はもう……。」
そう、さっきの話では、朝陽さんが小さなころに亡くなっている。
すると紫が、落胆した様子の望月に、
「人の一生とは短いものよ。それを理解していないのなら、人にはかかわるべきではないわ。」
と、感情をおさえた声で言った。
「ああ……すまなかった。」
……望月は、山桜の木を見せたいと言っていた。本当は、望月自身が桜守に会いたかったんじゃないかと思う。
「紫は、こうなることがわかってたの?」
紫が、人探しは時間がかかりそうだ、と言ったときのけわしい表情を思い出す。あのときは、人探しの難しさに対する表情だと思ったけれど、すでに亡くなっている可能性を考えていたのかもしれない。
「いいえ。ただ、神社の話から考えて、その人の当時の年齢によっては、亡くなっている可能性はあると思っていただけよ。……人間と妖怪の時間は、あまりに違いすぎるわ。」
……望月の人探しは、思わぬかたちで終わってしまった。
■
「曽祖父は足をわるくして、ここに来ることが難しくなったが、この山桜のことはずっと気にかけていた。……宝物、この山桜のことだったのかもしれない。」
朝陽さんは、望月を気づかうようにしてつづける。
「望月、桜守をしていたころの曽祖父のことを聞かせてもらえないだろうか。」
望月は顔をあげて、
「……そうだな。」
ぽつりぽつりと、桜守のことを語り始める。
そんなふたりにはおかまいなしに、山桜を見あげていた紫が、
「颯希くん、ちょっとちょっと。」
と手招きする。
「なに?」
紫のところによっていくと、
「ちょっと思いついたことがあるの。この木に手を当ててみて。」
なんなんだ。
「こう?」
言われた通り、山桜の木に手を当てる。
「えいっ。」
ごんっ。
「だっ!?」
とっても軽いかけ声とともに、またしても杖で頭をなぐられて気を失った。
……紫は気軽に人の頭をなぐりすぎだと思う。
■
音のない夢を見た。
満月の夜だった。
酒のビンを持った男がこちらを――満開の山桜を見あげて、上機嫌でなにかを言っている。ただ、声は聞こえないので、なにを言っているのかまでは知ることができない。
木の上には、望月の姿がある。
望月は、なにも聞こえていないかのように満月を見あげている。
男は、木の根元に座りこみ、酒を飲みながら山桜を見あげている。その目は山桜を見ているというより――。
■
頭が痛い。紫になぐられたせいだと思う。
「……ってぇ……。」
起き上がろうとするが、からだが異様に重い。なんとかからだを起こす。
……『からだ』が重い?
目を開けると、紫がこちらをのぞきこんでいる。
「調子はどう? 気を失ってるあいだにからだにもどしておいたけど。」
やっぱりそうか。
「……重い。」
「ま、死にかけたんだし、動けるだけでもありがたいと思って。そんなことより、なにか見えなかった?」
そんなことって。
でもたぶん、紫が意図したものを見たと思う。
「ああ、うん。なんか、山桜と望月と男の人が見えたんだけど。」
「それ、この木の記憶ね。」
やっぱりそうか。あの男の人が朝陽さんの曽祖父の桜守なのだろう。
「朝陽さんのひいおじいさんって、もしかして望月のこと見えてたんじゃ。」
山桜の木を見あげているというよりは、望月を見あげているような気がした。
「うん、あたしもそう思う。望月の話を聞いていて、そうなんじゃないかなとは思ってたんだけど。妖怪を見る力は遺伝による場合が多いの。朝陽ちゃんのそれがひいおじいちゃんのとは限らないけど、可能性は十分あると思うのよね。そうすると、桜守さんが話しかけていた『望月』っていうのは……。」
「この木のことじゃなかった……?」
「うん。もしくはどっちも、かな。御神木の化身かなにかだと思ってたのかも。
ここの神社の話で、『御神木に神が宿ってる』ってあったわよね。あれも望月のことなんじゃないかな。」
智里から聞いた話の、どこがどうアレンジされていて、もともとの話はどうだったのかはわからない。ただ、紫の言うことは確かにありそうだ。
「西行の歌は関係なかったのかな。」
「それなんだけどね。望月は満月が近くなると力が増すみたいなんだけど、それ以外のときはそうでもないのよね。たぶん、朝陽ちゃんのひいおじいちゃんが望月の姿を見ることができたのは、満月のころだけだったんじゃないかな。」
「そういえば、満月のころにやってくることが多かったって、望月が言ってたっけ。」
「うんうん。それでね、宝物って、山桜だけじゃなくて望月のことも言ってるんじゃないかなってね。」
そうかもしれない。さっきの夢を思い出す。あの人はきっと、山桜があり望月がいるこの場所を、大事に思っていたんじゃないか。
「というわけで、いまの話をふたりにもしてあげて。」
「……なんでおれが。」
「まあいいじゃない。」
そう言って紫は、再び山桜の木を見あげた。夢の中で見た満開の山桜とは違い、その木はいま、葉の一枚すらつけてはいない。
■
紫におしつけられ、朝陽さんと望月に、夢で見たものと、紫と話した内容をもう一度話す。
「……そうか、おれのことが、見えていたのか。おれは、おれのことは見えないと思いこんでいたから、気にもとめなかった。
もし見えていると知っていれば……見えているかもしれないと、いちどでも考えていれば……。」
そう言って、望月は黙りこんだ。
朝陽さんは、
「なるほど……そう言われると、望月のことが見えてたのかもしれない。曽祖父は、山桜になにかがいると思わせるような話を、よくしていた気がする。」
と、納得した様子だった。
「さて、颯希くん、ちょっとちょっと。」
話が終わるのを見はからって、紫が再度手まねきする。
「今度はなに?」
「キミ、なんの半妖かわかる?」
「……なんで急に。」
「いいからいいから。」
わけがわからない。が、とりあえず考えてみる。妖狐の力は感じるけれど、これは紫の力だ。
「言っとくけど、からだにもどすときに、あたしの力は返してもらったからね。」
「……ということは、きつね?」
「そう。というわけで、さっそく使ってみよう。」
……どうするんだろう?
「その力は、自分が化けるだけじゃなく、ほかのものの姿を変えることもできるの。でね? せっかくだから、あのふたりにキミが見たこの木の記憶の、満開の桜の姿を見せてあげたらどう?」
なるほど。紫らしからぬ名案だと思う。
「なんかいま失礼なこと考えなかった?」
「……別に?」
なんでわかったんだろう。
「ま、いいわ。いきなりは難しいだろうから、あたしも手伝ってあげる。」
そう言うと紫は、
「おふたりさーん、ちゅうもーく!」
望月と朝陽さんに声をかける。
「それじゃ、木に手を当てて、自分が化けるときと同じようにイメージして。」
イメージ……。さっき見た記憶の中の山桜を思い浮かべる。よく知るソメイヨシノとは違い、この山桜は花といっしょに小さな葉もつけていた。
あとは気合……。
しばらくすると、
「おお……。」
「きれい……。」
望月と朝陽さんが感嘆の声をあげる。
目を開けるとそこには、満開の花をつけた山桜が、枝を広げていた。
■
帰り道、見送りとしてついてきた望月をふくむ4人で歩いていると、紫がふと思い出したように言う。
「ところで、封じられていたのはやっぱり、きつねだったわね。化ける練習をしておいてよかったでしょ?」
感謝しなさいといようにニヤニヤしている紫。正直ちょっとうっとうしい。
「はいはい。」
てきとうにあしらっておく。
「さっきは桜を見せてくれたが、人に化けたりもできるのか。」
朝陽さんが、興味津々といった様子で聞いてくる。
「まあ、一応は。」
「なにかやって見せてくれないか。」
「えぇー……まぁ、いいですけど。なにに化けますか?」
「そうだな……。」
聞いておいてアレだけど、なんかとんでもないものをお願いされても困るので、こっちから提案することにする。
「紫でいいですか?」
「紫『で』ってなによ、失礼な。」
抗議を受けて訂正する。
「紫『が』いいですか?」
訂正が甘かった。押し売りもビックリのセリフになってしまった。
朝陽さんは思わずふきだして、
「紫がいいな。」
と乗ってくれた。
「じゃ、やりますよ。」
イメージするため、まずは目の前の紫をじっと見る。
紫はニヤニヤしながら、もぞもぞとからだをくねらせて、
「…………いやんっ。」
などとぬかしている。
……うわぁ。なぐりてぇ。
「……望月にしようかな。」
「なんでよ。」
むしろなんでだよ。
ジトっと紫を見ていると、
「朝陽ちゃんっ、颯希くんが冷たいっ!」
ものすごくふざけた調子で、朝陽さんにすがる。
しかし、朝陽さんも、
「紫がわるい。」
と、にべもない。
「やだっ、朝陽ちゃん超ドライっ!」
ビール?
……まあ、いいや。
「……じゃ、やっぱり紫で。」
「そうこなくっちゃ!」
最初から望月にするって言えばよかったかな。
目を閉じて、紫の姿を思い浮かべる。……長い黒髪に、黒のパンツスーツ姿。耳には紫色の石のピアス。あとは気合。
「……へぇ。すごいな。見分けがつかない。」
朝陽さんが感心している。
どうやらうまくいったようだ。
目を開けると、
「あたしもうちょっと美人じゃない?」
と、紫は不満そうにしているけれど、朝陽さんと望月にはおおむね好評のようだった。
「じゃ、解きます。」
気をぬく感じで変化を解き、もとの姿にもどる。
と、そのとき、うしろのやぶから、がさっという音がした。
ふりかえると、
「……お姉ちゃん、それに颯希くん……いまの、なに?」
智里が立っていた。
見られてなければいい、と願ったけれど、おびえるような、警戒するような様子からしても、いまの変化を見られたと考えてまちがいなさそうだ。
どこから見られていたのかはわからないけれど、とにかくまずいところを見られた。なんとかしてごまかさなければならない。
なんとか……といっても、どうごまかす? どうごまかせる?
必死に考えているおれのうしろでは、妖怪ふたりが、
「何者なんだ?」
「朝陽ちゃんの妹で、颯希くんのクラスメイトの智里ちゃん。朝陽ちゃんと違って、あたしたちのことは見えないみたい。」
「ああ、あれがそうなのか。」
どうせ見えないだろうと思って、緊張感のないやり取りをしている。
ところが、その声に智里が反応した。
「だれ!? ほかにだれかいるの!?」
妖怪ふたりはびっくりしている。
見えてはいないようだけど、声は聞こえているらしい。そういえば、ここはまだ人払いの結界の中だ。ここに入ってきているということは、もしかしたら智里も眼鏡かなにかがあれば、少しは見えるのかもしれない。
「……朝陽さん。」
智里が警戒しているのはおれと、声しか聞こえないうしろのふたりのはずなので、朝陽さんに説明してもらったほうがいい。……どう説明するんだという問題は、いずれにしてもあるけれど、そこはとりあえず朝陽さんに丸投げしてしまおう。
「智里……。」
朝陽さんが前に出ると、
「来ないでっ!!」
智里は拒絶の言葉をさけんで、森の中へ走っていってしまった。
まずい……!
「智里! そっちは行っちゃダメだ!!」
智里が走っていった先は、おれが落ちたがけの方向だった。
あわてて追いかける。
「どうした!?」
朝陽さんも追いかけてくる。
「あっちはがけなんです!」
とにかく、智里を止めなければならない。
足には自信があるけれど、走りにくい森の中ではあんまり役には立たない。ただ、智里のほうもやっぱりおそい。
「智里っ、ストップ!! そっちはがけ!!」
「智里、待って!!」
それでも、智里は止まらない。
もう少し。そう思ったそのとき、
「きゃ……!」
智里のからだがぐらっとかたむいたかと思うと、そのままがけのほうにたおれこむ。
「智里っ!」
智里がこっちに向かってのばした手を、ギリギリのところでつかまえる。ところが、つかまえることだけはできたものの、ふみとどまることができなかった。
「うわっ!!」
おれたちは、ふたりとも落ちてしまった。
眼下にはゆうべ落ちた川が流れている。ただ、落ちた場所が違うらしい。急斜面どころか引っかかるところもないような断崖絶壁で、川は少しはなれたところを流れている。
いまは、いくつもの岩が転がっているむきだしの地面に向かって、まっさかさまに落ちている。このままだと、ふたりとも岩にたたきつけられる。
どうしたら、なにかないか、とは思うものの、つかめるものもなくどうしようもない。
――妖怪の力でもなんでもいい、なにか……!
ぎゅっと強く目をつぶったそのとき、バリッという縄がちぎれるような、紙が破れるような、そんな音を聞いたような気がした。
その瞬間、ごうっという音をたて、周りに暴風が巻き起こった。
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