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――……夏穂。
思わず叫びそうになるのを飲み込んで颯太は身を乗り出した。
もう見えないのに父親はまだ島の人たちが集まっていた船着き場の方を見つめている。高台の鳥居にいる夏穂には気が付いていない。颯太が言わなければきっとこのまま気付かないだろう。
くるり、くるりとまわっていた日傘がフェリーに気が付いて動きを止めた。ただ、それだけ。夏穂は手を振るわけでもなく、颯太が乗っているフェリーを見つめている。
また会えると言った父親の言葉はきっとうそじゃない。だけど、もう会うことはできないだろうと颯太は思った。
白いワンピース姿で歯を見せて笑う幼なじみにも、重たい髪飾りに頭を押さえ付けられてうつむく女の子にも、連れて行ってと言った昨夜の女にも。
きっと、もう会えない。
風が強く吹いた。白いワンピースの裾がふわりと揺れた。
――颯太といっしょに島の外に連れていって。
夏穂の声が海風に乗って届いた気がした。
手を振るわけでもなくただフェリーを見送る夏穂の小さな姿を見つめて、颯太は〝小人〟と印字された乗船券をくしゃくしゃににぎりしめた。
白いワンピースを着て、白い日傘を差した夏穂の姿を。
島の人たちから隠れてたった一人でフェリーを見送る夏穂の姿を。
颯太は目に焼き付けるように、にらむように見つめた。
空は青く風は吹いているのに湿気と昼の熱気を含んだ夜の空気がじとりと肌にまとわりついて離れない。
左胸に押し付けられたじとりと汗ばんだ夏穂の手のひらの熱が消えない。
「……連れていってやる」
海風とフェリーのエンジン音にかき消されてしまうほど小さな声で、夏穂には聞こえないとわかっていても颯太は呟いた。
そう呟く唇にも焼け付くような水あめの甘さが残り続けている。
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