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「颯太、どこに行くんだ!」
島の船着き場に着くなり颯太は走り出した。父親の怒鳴り声も父親自身も置き去りにして細い坂道を駆け上がる。あっという間に汗がにじんだ。
陽は傾き始めているけどまだ日中の熱が居座っている。今日は風もない。湿気を含んだ生暖かい空気がまとわりついて不愉快だ。
島の道のほとんどが坂道だ。船着き場や海のそばにある颯太の家から離れようと思ったら坂を駆け上がるしかない。坂の途中途中には島の住人たちが暮らす家が建っている。
「あら、颯太くん。お母さんのお見舞いに行ってきたんでしょう? お母さんの具合はどうだった?」
「そうちゃん、そんなに慌ててどこ行くの? 引っ越しの準備は終わった?」
「おう、颯太! 母ちゃんが大変なときなんだ。しっかり父ちゃんを手伝えよ!」
会う人会う人が声を掛けてくる。
島の住人全員が顔見知りのせまい島だ。そっとしておいてくれないことにも、一人になれる場所がないことにもむしゃくしゃする。颯太は下を向いて誰の顔も見ないように細い坂を駆け上がった。
島で人目のないところなんてほとんどない。あるとしたら島の高台にある神社の裏手。細い獣道を進んだ先にある古くて小さな鳥居が建つどん詰まりくらいなのだけど――。
「……颯太?」
木々に囲まれた薄暗いどん詰まりの鳥居の下には幼なじみの夏穂がいた。神楽鈴を手に持っているから明日の夏祭りで披露する巫女舞の練習をしていたのだろう。
颯太は額の汗を拭うふりをしてTシャツの襟で目元を拭った。今、一番会いたくない相手かもしれない。
「なんでいるんだよ」
「舞のおさらい。明日は朝からバタバタしてて練習できないから」
夏穂はそう言って澄ました顔を鳥居へと向けた。鳥居の向こうには海が見えている。あと少しで夜の色に変わってしまうだろう海が見えている。
海風が一つ結びにした夏穂の黒髪を揺らした。
明日の夜、神社で行われる夏祭りは海の神様に舞を捧げるためのものだ。舞を舞うのは神社の一人娘である夏穂の役目。夏祭りの日には歩くのも一苦労な巫女装束を着て舞を披露するのだ。
でも、その姿の方がまだ似合っている。
蚊に刺されないようにだろう。この暑さの中、夏穂は長袖のジャージ姿だ。学校に行くときのTシャツと短パン姿もだけど人形みたいに整った顔立ちの夏穂が着るとどうにも似合わない。
「明日、島を出ていっちゃうんだよね。何時の便?」
「朝一」
そっか、と呟いて夏穂はうつむいた。
「それじゃあ、今年の夏祭りは来れないね」
「当たり前だろ」
明日の朝一で島を出ていくのだ。明日の夜にある夏祭りに行けるわけがない。イライラしながら颯太は答えた。
でも、次の夏穂の言葉に目を丸くした。
「じゃあ、今年は水あめ食べれないね」
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