最終章:「みえない僕と、きこえない君と」

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 最悪のタイミングで、目を覚ましてしまった 弥凪に、僕は内心、(あーあ)とボヤきながら、 「おはよう」と、惚けた顔で声をかける。  案の定、弥凪はすぐに僕の頬が濡れている ことに気付いてしまったが、僕は涙の理由を 上手く説明する自信がなかった。  だから、(大丈夫?どこか痛むの?)と、 心配そうに僕の顔を覗く弥凪に、ただ笑みを 浮かべ、(痛くないよ)と、唇を動かすこと しか出来ない。もちろん、そのひと言で彼女 が納得するわけもなく……。  瞬く間に、弥凪の目から涙が溢れ出して しまった。両手で顔を覆い、小刻みに肩を 震わせる弥凪に、僕は点滴に繋がれたまま の手を伸ばす。  「泣かないで、弥凪」  そう声をかけても、その声が彼女に届い てくれないことが、もどかしかった。 ――こんな時、どうすればいいのだろう?  手話で想いを伝えたくても僕の手は動か ないし、携帯もホワイトボードも、ここに はない。  言葉を伝える術が、あまりに少なすぎる。  僕は少しの間思い悩み、伸ばした手で彼女 の頭を引き寄せた。そうして僕の胸にあてた。  トクリ、トクリ、と布越しに僕の鼓動が 伝わる。  その鼓動は、どんな拙い言葉よりも、 彼女に“大丈夫”なのだと、もう、怖いこと は何も起こらないのだと、確かに伝えてくれた。  僕の左胸に頬を埋め、弥凪が目を閉じる。  彼女の温もりが、薄い布越しに僕に伝わる。 ――トクリ、トクリ、トクリ。  この鼓動が、どれだけ彼女の不安を拭って くれるだろう?そんなことを思いながら目を 閉じた僕は、再び眠りに落ち、長い長い夜を 越えたのだった。  「それにしても広いよなぁ。羽柴クンちの、 三倍はあるんじゃない?この部屋」  一流ホテルのスイートルームのような病室 を見回しながら、町田さんがそう口にするの はこれで三度目だった。僕は少々面倒くさそ うに苦笑いしながら、弥凪が剥いてくれた リンゴをかじった。    僕がこの病院に担ぎ込まれ、緊急手術を 受けたあの夜から、一週間が過ぎていた。  僕は弥凪の父親の計らいで、翌日には 一般病棟からこのだだっ広い特別室へと 移動し、人生初のセレブ生活を送っていた。  「あの時は危なかったんですよ、本当に。 縁石で切れた頭からどんどん出血しちゃっ てたし、骨折した鎖骨が皮膚を突き破って どばどば血が流れてたし。救急隊員がもっと 早くに到着してれば、ここまで出血多量に 陥ることもなかったんですけど。でも、 コンビニの店員さんが事故に気付いてわざ わざ見に来てくれて、良かったですね」  と、点滴を変えに来た看護婦さんが、 事故当時の様子を事細かに話してくれた けれど、コンビニ店員さんによる救出劇は ともかく、鎖骨が皮膚を突き破って云々と いう痛い話は、出来れば聞きたくなかった。
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