最終章:「みえない僕と、きこえない君と」

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 死亡事故が夜中に多いことはなんとなく 想像できるが、実際に、自分たちが事故に 巻き込まれることまで想像できる人は少ない。    僕たちもそうだ。  頭では“危ない”とわかっていながら、 まさか本当にバイクが突っ込んでくること など、想像もしていなかった。  「本当に……命が助かったのは奇跡なん ですね」  眩い光に包まれたあの瞬間を思い出しなが らそう言うと、父親はきつく口を結び、ふむ、 と鼻を鳴らした。  それからほんの少しの間、穏やかな沈黙 が流れた。互いに何かを話そうとしながら、 言葉が見つからない、といった感じだ。  けれど、ペットボトルのお茶を煽るよう に飲んだかと思うと、やがて父親の方から 沈黙を破ってくれた。  「謝って済むなら、警察は要らないが」  ぼそりと呟くように低い声でそう言った 父親に、僕は顔を上げる。視線が絡み合い、 眼鏡の奥の眼差しが少しだけ伏せられる。  「あの夜は、君に酷いことを言ってしま った。二人の気持ちを、考える余裕がなか った。弥凪の父親として、恥ずかしいばか りだ。本当に、済まなかった」  ついさっき、“ありがとう”と言って僕に 頭を下げたその人が、今度は謝罪の言葉を 口にして頭を下げている。  僕はそのことに複雑な思いを抱えながら、 やはり、僕も同じことを口にした。  「やめてください。そんな風にお父さんが 謝ることは何もないんです。障がいのある 子供の将来を、不安に思わない親はいないで すから」 ――自分たちも戸惑っている。  病室の向こうでそう口にした父の言葉を 思い出す。父も母も、そうとは言わない だけで、僕と弥凪の未来を案じていたのだ。  それでも、僕のことをよくわかっている から、ただ見守ってくれている。  “ただ見守る”というのは、簡単なようで、 おそらく、難しいことなのだろう。  行く先を心配しながらも、子の選ぶ道を 尊重し、励まし、時には手を差し伸べる。  その親の心には、常に“不安”という二文字 が刻まれているのだから……。  僕の言葉に頭を上げると、父親はやはり 目を細めた。心の内までは見えないが、 その眼差しは、あの夜、僕を拒絶した時 に向けたものとは、ずいぶん違っている。  「こんなこと、言い訳でしかないんだが」  低い声でまた、ぼそりとそう呟くので、 僕は静かに耳を傾けた。  「障がいを持って生まれたことで、娘は しなくていい苦労を、沢山してきたんだ。 子供のころは近所の子に『耳つんぼ』と 虐められたこともあるし、友達と一緒に 入会しようとしたスポーツジムも、事故 があるといけないからという理由で断ら れたこともある。卒業旅行も、似たような 理由で旅行会社から拒絶された。そんな時、 親は本人以上に苦しむんだ。健康な体に 産んでいれば、こんな思いをさせずに済ん だと、悔しくて悔しくて仕方ない思いを する。そんな辛い思いを、もしかしたら 弥凪も味わうことになるかも知れない。 あの時、咄嗟にその思いが頭に浮かんで しまって、わたしはどうしても二人の結婚 を祝福することが出来なかった」
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