あぶくたった

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あぶくたった

 終点の駅に着くと、真上から殺人的な強さの太陽光が降り注いでいた。  しかし、山に囲まれているためか、思ったより暑さは感じなかった。蝉の声はうるさいが、密集している感じはないので風流さすら覚える。  改札口を出たところの日陰に、七虹は身を寄せた。椿という少女はゴミ箱を探しにいった。 (少し、早く来すぎちゃったかな)  腕時計を見ると午後二時を五分ほど過ぎたところだ。待ち合わせの時間は二時半だから、ここで待っていれば相手に会えるだろう。 「……」  待ち合わせの相手のことを思い浮かべた途端、七虹の胸の鼓動がやにわに激しくなった。暑さのせいだけではない汗がたらりと流れる。  覚悟を決めたはずなのに、それでも緊張してしまうのか。 (落ち着け、落ち着け……何も外国に来たわけじゃないんだから)  青すぎる空はどこか気後れしてしまうが、ここは日本。七虹が生まれ育った国。ただほんの少し田舎に来ただけ。誰とも連れ立たずに、たった一人で。  ふうとため息をついて、周囲を見回す。  同じく日陰に入ってペンキの剥げた壁にもたれかかっている男が一人。そして、古い自動販売機の前では十人ほどのグループが飲み物を買い込んでいる。 「これから家まで長旅だから、多めに買っとこっか」 「おれ、コーラとペプシ!」 「それほとんど一緒じゃん」  グループの方はどうやら帰るらしい。荷物の大きさや雰囲気から見て、泊まり客だろうか。『なりそこないリゾート』の割には大人数だ。ログリゾートSに泊まったに違いない。  暑さでぐったりと参っている大人――親の傍らで、小学生低学年くらいの子どもが数人、走り回っている。  鬼ごっこに飽きた子どもたちは、次の遊びを開始した。  いちばん幼い女児が目をつむってしゃがみ込み、残りの子どもたちが手をつないで輪を作り、彼女をぐるりと取り囲む。  声を合わせて、唄い出した。  あぶくたった  煮えたった  煮えたか どうだか  食べてみよう…… 「むしゃむしゃむしゃ! まだ煮えない!」  子どもたちはぐるぐると回った後、真ん中の女児にタッチし、味見の真似をした。  女児はくすぐったそうに笑う。何回かそれをくりかえし、 「むしゃむしゃむしゃ! もう煮えた!」  女児以外の子どもたちが移動した。  歌はなおも続く。  戸棚にしまって  鍵をかけて がちゃがちゃがちゃ  ごはんを食べて むしゃむしゃむしゃ  お風呂に入って ごしごしごし  お布団敷いて 寝ましょ……  子どもたちが眠るポーズをとると、女児がすっくと立ち上がり、空中をノックして舌足らずな声で「トントントン」とたどたどしく言う。 「なんのおと?」 「かぜのおと」 「ああ、よかった」  懐かしい遊びだ。七虹も幼い頃、幼稚園や小学校でやった記憶がある。  無邪気で微笑ましい光景を目にしながら、七虹はふと疑問に思った。 「あれ……何を食べているんだろう……」  独り言のつもりだった。 「ーーえっ?」  しかし、そんな声が返ってきた。  ハッとなって振り向くと、建物にもたれかかった男が七虹を見ていた。気まずさを覚える。 「すみません。あの、あの子たちが遊んでいるのを見て、ちょっと気になっちゃって」  男は「ああ」と合点がいったように頷いた。黒いキャップ帽を被った、背の高い、若そうな男だった。 「……おばけ、じゃないですか」  男がそんなことを答える。面食らっていると、女児の「トントントン」という声が耳に届いた。 「なんのおと?」  子どもたちが尋ねる。  女児はにやりと笑って、両手を上げて、駆け出した。 「おばけのおとー!」  きゃあ、と子どもたちが叫び、笑い、『おばけ』である女児から逃げていった。 「……ああ」  七虹は嘆息した。そうだ。こんな内容の遊びだった。  ということは、子どもたちが煮て食べていたものは――と考えたところで、先ほどの男が話しかけてきた。 「ひょっとして、『グロススタジオ』のイベントに参加される方ですか」  急にその名前が出てきて、全身が強ばる。 「そうですけど」  声が震える。 「オレもそうなんです」  予想どおりの返答だった。男は帽子を脱いで会釈する。 「よろしくお願いします」  そう言った彼が顔を上げた瞬間、七虹の心臓が跳ねた。  形のよい眉と切れ長の目が印象的な顔立ちは、七虹から瞬間的に思考を奪うほど端正だった。背もスラリと高くてモデル系の芸能人みたいだ。  どぎまぎしながら返事をしようとしたら、 「七虹さん、お待たせしました」  ふわふわの髪を揺らして椿が駈け戻ってきた。そして小首を傾げて、 「こちらの方は?」  と尋ねる。七虹はしどろもどろになった。何と紹介すべきか見当がつかない。 「この人は、……えっと、あたしの仕事相手っていうか……」  どうにかそんな台詞が出てきた。椿が大きく頷く。 「そうなんですね。初めまして、大和(やまと)さん。木瀬椿と言います!」  ハキハキと自己紹介した。そこで遊んでいる子どもたちに負けないくらい元気いっぱいだ――それはともかく。 「えっ?」  猛烈な違和感を覚えて、まぬけな声が出た。  椿と、容姿端麗な男――大和(仮)を見比べて、思わず問うた。 「知り合い?」 「違います」 「初めて会いましたよー」 「でも今、名前呼んだよね? まだあたしも知らないのに」 「あっ!」  己のミスに気づき、椿がしまったと表情で叫んだ。  大和は頭を抱えて、「バカ毛玉……」と小声でなじった。椿を。知り合いではないはずの椿を。 「知り合いなのよね?」 「知り合いです……」  早々に観念した椿は――素直な子だ――改めて大和を手で示した。 「大和柊(ひらぎ)さんです。わたしの、――です」  『私の』続きは聞こえなかった。ひときわ高くなった蝉時雨と、子どもの笑い声が掻き消してしまった。
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