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ログリゾートSでの怪談2
「んじゃ次、誰が話す?」
琥珀色の液体に浮かんだ氷をカラカラ鳴らし、六人部が見回す。
どうかこっちに振らないでと心の中で祈った。さっき絞り出した、『トイレの花子さん』でネタ切れだ。
そもそも、何故怖い話大会なんてやっているのか。
(仁藤さんが……今夜は親睦会だからって提案したんだっけ)
怖い話で親睦が深まるとか、どんな理屈だ。
心の中で毒づいていると、階段から足音が下りてきた。
すると、途端に場の空気が微妙に変わる。六人部にべったり引っついていた三井が、さっと姿勢を正した。
「六人部さん、二階の寝室の掃除終わりました」
伍川(ごかわ)圭助(けいすけ)が頭に巻いたタオルを外し、六人部に報告した。室温は低いはずなのに汗だくだった。九人分の寝室を整えるのに苦労したのだろう。
「お疲れ、伍川。と、大和クンだっけ?」
伍川の後ろにいる大和に声をかけた。彼は汗ひとつかいておらず涼しい表情で、「はい」と返事をした。三井と、あからさまではないが一ノ宮が色めき立つ。
(見れば見るほど美形だわ)
七虹は大和の姿かたちについ見蕩れ、息をついた。
夏の鮮烈な陽の下で目にした際よりも、今のような宵闇に薄暗い明かりの中の方が、その美貌が際立っていた。
どこか浮世離れした、東洋的な神秘的な顔立ち。
和装や、アジア系の民族衣装が似合いそうな……七虹は、母がハマっていた時代ものの韓流ドラマを思い出した。あれに出てきそうだ、と妙な感想が浮かぶ。
『本職』の六人部と比べても遜色ない――どころか完全にまさっている。伍川や四条は足元にも及ばない。
「ていうか、何で一階も二階もぐっちゃぐちゃなままなんスかねぇ? ふつークリーニング入るっしょ」
「言っただろ。このログハウス、掃除や片づけを自分らでやる代わりに、格安で借りられるんだ」
『なりそこないリゾート』の唯一の宿泊施設であるログリゾートS。それは駅から車で二時間ほどかかり、更に三十分ほど山の中を歩いた場所にあった。
鬱蒼とした森林の中、ぽっかりと穴が開いたように開発された場所に建てられた、門構えだけはやたら立派なログハウスである。普段はほとんど客が来ないので、管理人は不在であり、サービスはほぼ無く、そのぶん破格の値段なのだそうだ。
前日は家族連れの団体客(駅前で見かけたあのグループだろう)が泊まったそうで、これがとんでもなくマナーの悪い客だったらしく、ハウス内は散らかったままだった。そのうえ、寝室が並ぶ二階は使用されておらず――一階で雑魚寝でもしたのだろうか――ゴミとホコリと蜘蛛の巣で荒れ果てていた。
その片づけと掃除、整頓を命じられたのが、この『企画』において雑用として雇われた椿と大和だった。
中途、食事やらの準備で椿が抜け、仁藤たちの会社の下っ端である伍川が代わりに入った。
椿が伍川と大和に、労いの麦茶を振る舞う。伍川には「どうぞ」と丁寧だったが、大和に対しては、
「はい」
「ん」
と、お互いの顔も見ずに麦茶の受け渡しをする。
二人のやりとりは、大人たちの注目を集めた。
「ねぇ、お手伝いさんと大和クンは知り合いなのぉ?」
三井が尋ねると、椿はギクッと肩を跳ねさせた。他人事ながら、七虹はハラハラする。
「違いますよ。……年が近いから、気安いだけです」
麦茶を喉に流し込んで、大和がクールに返す。その隣で、椿はこくこくと頷く。
……駅前で二人が知り合いだと聞かされた後、大和が七虹に頭を下げてきた。
――「どうか、オレとこの毛玉、じゃなくて木瀬が知り合いだってこと、秘密にしてもらえませんか」
理由は尋ねられなかった。あのきれいな顔で頼まれたら、一も二もない。
「大和クンはいくつなの?」
「十六です」
妙なざわめきが起こる。「若ーい」と口笛が響き渡る。
七虹だけ別の方向でそわそわする。
十六歳。その年齢に。
(いいのかなぁ。この子たち、ここにいて)
懸念しつつ、梅酒のソーダ割りをちびりと舐めた。
「じゃあさ、次は大和クンか、木瀬チャンが話してよ。今オレたち、怪談やってたんだけどね?」
六人部が言った。
「怪談?」
「そぉ。――木瀬チャン、何か無い? 今時のJKの間で流行ってるこわーい話、オニーサンたちに教えてほしいなぁ?」
椿を名指しするが、当の彼女は小首を傾げる。
「……JK……?」
傍らの大和が、「女子の高校生」と小声で教えた。すると椿は申し訳なさそうに、
「すみません……高校に行ってないので、分かんないです」
と、気まずそうに答えた。衝撃の――とまではいかないが、予想外の返答に、一瞬で場の空気が濁る。
「え……高校、行ってないの?」
「はい」
本人はあっけらかんと答えるが、七虹を含めて大人たちは口を噤んだ。
現代のこの国において、『高校生の年頃の少女が学校に通っていない』というのは、それだけでデリケートな雰囲気が漂う。
張り詰めた空気を打ち破ったのは一ノ宮だった。
「別にいいじゃん。アタシも高校中退だけどさ、こんなに立派に生きてるよ?」
タバコに火をつけて、ふうっと煙を空中に吹く。妙な空気を払おうとでもするように。
六人部がその尻馬に乗っかった。
「だよな。――大和クンは何か知ってる? 怖い話」
大和は思案顔で、しばし押し黙った。まさか彼も高校に行ってないと言い出さないだろうかと思ったが――
「……じゃあ、このS高原に伝わる話を」
普通に話し出した。ホッとしたが、すぐに不安に変わった。
「おっ。リアリティあるね。いいよ、続けて」
大和は麦茶で喉を湿らせて、語り出した。壁にかかった時計の短針がカチっと動いた。
「このログハウスの近くに、湖があるのを知っている方はいますか?」
伍川が手を挙げる。下見の時に見かけたそうだ。
「そこには大昔、水に棲む化け物がいたそうです。頭が魚で身体が猿の姿の――人々は『人魚』と呼んでいました。そいつはたびたび山あいの村に下りてきて、村人を殺して喰っていたそうです」
「ほえ? 『人魚』なのに山あいの村?」
「だから身体が猿だっつってんじゃない。足があんのよ。ちゃんと話聞きなさいよ」
横やりを入れる三井に、一ノ宮がキツく叱る。
「……『人魚』があまりにも頻繁に襲うので、とうとう村人たちは業を煮やし、山狩りを始めました。『人魚』はあっさりと捕まり、殺されました。
――そして、それから村人たちは『人魚』をどうしたと思います?」
うつくしい少年に話を向けられて、大人たちは黙った。圧倒された、のかもしれない。
「食べたんですよ」
室内のひんやりとした空気が、大和のひんやりとした声が、その場を覆い尽くしていた。
「当時、飢饉の憂き目に遭って村全体がひどく飢えていました。『人魚』は見た目こそグロテスクですが、魚です。猿です。食べられます。
村人たちは身の丈二メートルほどある『人魚』を鉈でぶつ切りにして、大きな鍋でぐつぐつと煮たそうです……あまりに大きくて、なかなか火が入らず、何度も味見をして確認しながら」
そこで七虹は「あっ」と声を上げそうになった。
大和は淡々と、立て板に水を流すように続ける。
「こうして『人魚』は村人によって平らげられました。ですが、『人魚』そのものが滅んだわけではなかったのです。
――『人魚』が何故人間を食べていたか。それは、『子ども』を産むためでした」
「子ども……?」
すっかり聞き入っている伍川が鸚鵡返しをする。四条ですら、レンズをケアする手がお留守になっている。七虹はほくそ笑んだ。
「湖には、その『人魚』が産んだ子どもが残っていたのです。母親を喰い殺された子どもたちは、村人を恨んで彼らを全滅させようとしますが、たまたま村を訪れた高名な僧侶によって、湖の奥底に鎖で繋がれて封印されたそうです。
……今もまだ、『人魚』は窺っているかもしれません」
復讐の時を。――母のように、人間を喰い殺す時を。
大和の語り口と美貌のせいで、大人たちは完全に雰囲気に呑まれてしまった。
七虹だけが吹き出すのを堪えていた。
(これって、『あぶくたった』じゃないの)
昼間に大和と見かけた、子どもたちの遊び。
鍋で煮たものは何だったのか。――七虹のつぶやきを元に、大和が創作したのだ。見た目によらず、茶目っ気のある性格なのかもしれない。
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