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この映像を見た者に呪いと祟りが雨あられと降り注ぎますように。僕は、そんなナレーションをマイクに吹き込んだ。それ以外に願いは無い、いや、ある。死にたくない、死にたくないよう! でも、もしかしたら世の中には、死ぬよりも、もっと、もっともっと恐ろしいことがあるかもしれないと、思わなくもない。あの小さな像を見ていると、そう感じるんだ。
僕の名前は▼▽▲△と言います。そんな自己紹介をマイクに吹き込む。その名前に聞き覚えがある人間は、ほとんどいないだろう。学校の同級生や先生方は勿論、親戚だって忘れているはずだ。親が生きているとしても子供の頃に別れているから、知らないんじゃあないかな。
僕は、とある集団が建設した施設で子供時代を過ごした。その保育施設は、人類を先導し新時代を切り開く優れた人材を育成する目的で造られたのだけれど、上手くいかないことが多すぎて、結局は閉鎖された。そして僕は別の団体が用意してくれた施設で青年時代までの多感な日々を過ごし、社会に出た。外に出てからは色々な仕事をやった。現時点で最後の職業がダンプカーの運転手だった。
おあおう、神よ! どうして自分はダンプの運ちゃんになってしまったのですか! それは給料が良かったからです。そう、産業廃棄物の不法投棄なんて見つかったらまずいことに手を染めている関係上、口止め料の分が賃金に上乗せされていたんだ。犯罪をやるなら、割に合うようにしなければならないってことだね。
うん、ボスは給料の払いは良かった。支払日に遅れるなんてことは絶対に無かったな。あんな人間が不法投棄をするってのも変だ。でも、ま、世の中には変なことがいっぱいある。あの日も、そうだったように、ね。
あの日、僕らは山奥に産業廃棄物をこっそり捨てに行った。パトロールしている指導員に見つからないように、廃棄物を一時的に保管している仮置き場を深夜に出発して、夜が明ける前に民家の無い山の中にこっそり捨てて、昼までには戻ってくる。そういう計画だった。
計画を立てたのは専務だった。前にも不法投棄をしていたんだけど、その場所が見つかって使えなくなったから、専務が別の良さげなところを幾つか見繕ってきて、その一つがアソコだったんだけど、どうして、よりにもよってアソコだったのか? 単なる偶然か、あるいは死の運命に魅入られたのか、と思う。いや、死神に招き寄せられたのなら、それはそれで良かったのかも、とも感じる。多分、僕らは死ねない。そんな予感がする。
うん、何か嫌な予感がしたのは確かだ。助手席のバカが自分の鼻にナイフを刺した辺りから実に嫌な感じがあって、先を走っていたはずの専務のダンプカーがいつの間にか後ろにいたり、急に霧が立ち込めたり、禁煙しているはずのボスが煙草を吸っていて、おかしい、これはおかしい……もしかして、異世界転移か! とか、いや、そこまでは考えなかったかな。
道路から谷へ産業廃棄物を不法投棄していたとき、路肩が崩れてダンプカーが谷底へ落ちて行った。その後も崩落が続いて、僕はすっかり怖くなって、走って逃げた。霧の中へ。でも、あの霧の中に、何か得体のしれないものが潜んでいるような、そんな感じがあって、去るも地獄、残るも地獄というのは感覚としてはあった。
だけど、残る奴はいないよ。土砂崩れに巻き込まれたら一巻の終わりだもの。だから僕は霧の中へ疾走した。最初、足元は赤茶けた砂礫混じりの硬い土だったけど、じきに柔らかくなった。前日までの大雨のせいか、ふにゃふにゃしているのかな、と思ったものだったよ。そして気付いたんだ。あ、これはヤバいやつだ! 実は大量の水を含んでいて地滑りの原因となる土だ! ってね。もう全速力で走ろうとするんだけど、足がもつれて、何度も転びそうになるんだ。実際、転んだ。何度もね。
その都度ね、必死になって起き上がるわけよ。必死なもんだから最初は気付かなかったんだけどね、ハッと気付いたんだ。掌が湿っているなって。汗だろ! と思うさ。僕だって。でも、転んで立ち上がるとき、地面の土を無意識につかんでいたんだけど、その土が、最初の頃は赤土だったのに、気が付いたら緑色に変わっていたんだ。緑色の泥土にね。苔か、と思ったけど、違うと感じた。生臭い潮の香りがしたんだ。海藻みたいな感じだった。泥と海藻みたいな苔が混ざった地面が、いつの間にか僕の足の下にあったのさ。不思議だ、なんて思わなかった。地鳴りがしていたから、もっと遠くまで、早く逃げなきゃって、そればっかり考えていた。そのうち、あ、これ地鳴りじゃないやって気が付いた。ゴゴゴゴゴゴゴ、みたいな音だったのが、ザブーンザブーンに変わって、これは波の音じゃないか、と。
そこでようやくパニックが収まった。自分は助かったんだ、土砂崩れから逃げきれたんだって思って。それで次に、どうして波の音が聞こえるのか? なんで砂利だらけの赤土から緑の泥土に変わったのって疑問に思ったところで、次のパニック発生ですよ。ナニコレ、ナニコレ、ナニコレ、パリコレ、ナニコレ! ってなって、また走り始めた。そしてツルンと滑って転んだ。湿った緑の土、海藻が混じっている土が、よく滑るんだ、これが。泥の中に頭から突っ込んで、喚きながら走っていたもんだから緑の土が口の中いっぱいに入って、喉に詰まって死にそうになって、ぺっぺと吐くだけじゃ足りなくて、口の中に指を突っ込んで生臭くて塩辛い泥土を取っているうちに、霧が晴れてきた。
霧が晴れて、それで何が見えたかっていうと、何が見えたかっていわれると、実はね、泥の中に頭から突っ込んだときに眼鏡を落としてしまって、ぼやけた風景しか見えなかった。慌てて泥の中に手を突っ込んで、眼鏡を探したよ、横山のやっさんみたいに。泥の下にはツルツルの石が敷かれていたな。あれは滑る。いや、石じゃないかもしれない。金属の可能性があるね。もしかしたら未知の金属かもしれんなあ。
眼鏡の弦に触れて、あったあった、と掘り出して、掛けてみたら泥だらけで何も見えない。クソッタレ! と愚痴りながら指でレンズの泥を取り、再び顔に掛ける。まず見えたのが濃い青色の海。緑色の泥土の向こうに広い大海原があった。勿論そこは山の中だよ、湖もないよ。沼も池も、女だらけの水着大会をやっているプールもないし、濡れた白Tコンテストをやっているビーチもない。でも海はあった。驚いて、しばらく海を見つめていた。それから後ろを恐々振り返った。
黒曜石のように黒く光り輝く巨大な石もしくは金属の塊を無数に積み上げた大建築と、空高く聳え立つ先端部分が光り、時に明滅する尖塔の集団が無秩序に並ぶ空間があった。意味が分からなかったので、また海を眺め、しばらくしてから振り返ると、また同じものが見えたから、僕は諦めて今このとき自分が見ている光景を受け入れることに決めた。それでもやっぱり、納得は出来なかった。山の中に大都会の高層ビル街が、窓のない摩天楼の団体さんが突如として出現したのだから、当然だろう。気のせいか、それらの建物が伸びているようにも見えるんだな。春先のツクシしとかタケノコじゃあるまいし、建物が空に向かって伸びるかよ、と思うだろ。でも、そう見えるんだ。生きているのかも、と僕はだんだん思い始めた。その表面から、粘々した緑色の液体がじわじわ湧き上がってきて、長い糸を垂らして滴り落ちる光景を見ていると、あれは建物じゃなくて、何かの表面に生えた棘とか触角とか触手なんじゃないかって思えてきたんだ。
恐怖小説とかホラー系都市伝説の登場人物の中には、そういう不気味な場所に自ら乗り込んでいく奴、大勢いるじゃん。僕はね、そういう連中とは違うんで。生憎ですけど。だから、ずっと、海を見ていた。膝を抱えてね、海を眺め続けるんだ。海を見ていたジョニー、なんちって。僕の名前、ジョニーじゃないんですけどねー―ちょっとヒロシっぽくね、このネタ……なんて自分をごまかし続けるのにも限界が来た。背中を向けた街っぽい何かから、声に似て声でない音が響いてきて、お尻がムズムズ、足がガクガク、もうこれは振り返らずにはいられない心境ですよ。でもでも、振り返るのは怖いです。怖いなー、怖いなー、どうしようかな、どうしようかな、って考えた末に、右から振り返るか、左から振り返るか、神様に決めてもらおうって思い付きまして。神様なんて、これっぽっちも信じちゃいないんですけどね。
ど・ち・ら・に・し・よ・う・か・な、か・み・さ・ま・の・い・う・と・お・り。これをやってましたら、何かに見られている気がして、右左と見てみたんですよ。探しても、それらしいものを探し出せなくて。あれえ、おかしいな、と思って正面を向いたら、海の中から僕を見ている奴らがいたんです。人の頭みたいなのが波間に無数に浮かんでて、こっちの方をじーっと見ているんです。ワッと驚き、立ち上がろうとしたんですけど、腰が抜けてしまったのか、なかなか立てなくて。
そいつらの見た目は、ウーン、何でしょうね。髪の毛はあるんですけど、頭頂部は生えていなくて、カッパとかアルシンド、サッカー選手の。鹿島アントラーズに在籍していた、ブラジル人選手。あんな感じです。目は二つでしたけど、あれは昆虫みたいな複眼じゃなかったのかな。鼻は無かったです。いや、あるにはあるんでしょうけど、隆起が無くて、その代わりと言ったら何ですけど、鼻の穴が幾つも開いていて。そこから緑色の粘々した液体をダラダラ流しているんです。ダラダラと、延々とね。あれは鼻だと思うんですけど、鼻ではないにしても、鼻の下は海面下で、はっきり見えませんでした。ぶよぶよした口ひげか、触手みたいなものがあったような気がします。全体は見えていないから分かりませんけど、全体的な印象はプヨプヨしているなあ、ですね。頭のお皿も、触れば弾力があって、気持ち良いかもなあ、と次第に思えてきて。そうなんです。気持ち悪いんですけど、なんていうのかなあ、エモい? 違うか。キモエモいって、あります? 逆に、エモキモ、とか。そんな表現。ないかなあ。
そんな風に考えているとき、僕は気付いた。この魔物には、人を魅了させる魔力がある、と。サイコパスの人間を考えてみて欲しい。その周囲にいる多くの人間が「サイコパスというけれど、あの人には不思議な魅力があった」みたいな証言をする。悪い奴は魅力がある。悪のカリスマとかっていうけど、それは本当だ。獲物を招き寄せるんです。深海にいるアンコウみたいに、光り輝く提灯が備わっているのですよ、サイコパスの心身の中には、きっと。
それで自分、仰向けの体勢で、その姿勢のまま手足を動かして、海の方へ行きかけていることに気付いて、思わず「ギャッ」と、楳図かずお先生の漫画に出てくるキャラクターの表情で悲鳴を上げて、その恰好で陸地へ、例の建物みたいに見える何かの方へ、顔は海の方を向いたまま、後ろへ全速力で進んだんです。そうしたら海の中にいた奴らが上陸してきたんです。全身が見えました。ついにね。
体は緑色の鱗に覆われていました。鱗の隙間からなのかな、ピンク色の毛みたいなものが生えていました。長さはまちまちでした。太っちょの子供っぽかったです。幼児体形とかって言うんですかね。腹がぽよんと出てて。手足には鋭くて長い爪がありました。その鉤爪は猛禽類あるいは恐竜のヴェロキラプトルみたいでした。身長は、人の背丈ぐらいでしょうか。個体差がありましたよ。
そうだ、顔の下半分が見えました。イソギンチャクのような触手がたくさん生えているんですけど、その下に大きな顎が隠されていて、時折ガっと出てくるんです。鋭い牙が何本も光っていました。あれは肉食獣の歯ですわな。
逃げ遅れたら食べられる! と分かりました。幸い、あいつらの足は遅くて、仰向けになって手足をバタバタさせて移動する僕にすら追いつけない。海の生き物らしいので、陸上歩行は苦手みたいなんです。しめしめ、これで逃げ切れると思ったら後頭部に凄い衝撃を受けました。階段があって、その段差に頭をぶつけたんです。途轍もなく痛かったですけど、食われるよりましです。それに、衝撃のせいで、抜けていた腰が元通りになりました。ショック療法ですね。
僕は腹這いになって、赤ちゃんみたいにハイハイで階段を登ろうと最初はしたんですけど、それより走って登った方が絶対に早いと考え直しました。立ち上がって、一旦ぐ~っと、こう、ぐうっと伸びをして、アキレス腱も伸ばしてから走り始めました。え、余裕があるなあっておっしゃるんですか? 無いです。余裕なんか全然ありませんよ。でも、途中で足が攣ったり、肉離れでも起こしたらアウトですよね。準備が大切なのです。オシム監督も、そう言っていたでしょ。ライオンに追いかけられたウサギが肉離れを起こしますかって。記者に尋ねていましたよね、確か。
僕、足は意外と速いんで、これはウサギと亀のレースになるかなって思いました。でも、ウサギと亀のレースって、ウサギが負けちゃうじゃないですか。そうなんです。階段を上って振り返ったら、あいつら遠くにいるんですけど、前より動きが速くなっているように見えて。こりゃいかん! とダッシュしました。ただ、速度が出ない。建物っぽい物体の間を走るのですが、緑色の粘液が滴っていて、地面がヌルヌルして走りにくいんです。足を取られて転びそうになりました。でも、条件は向こうも同じ、と思って振り返ったら、あいつら階段を登りきると腹這いになって滑り始めたんです。ペンギンみたいな格好でした。それを見て、これは本気の本気を出さないと駄目だと観念しました。
本気の走りといっても、何も変わらないような気がしますけど、かなり違います。爆弾を設置して、ダッシュで掩蔽壕に戻って来て飛び込む訓練があるんです。僕、昔なんですけど、暗殺者養成学校にいたことがあって。そこで、その訓練を受けたんです。転ぶと死人になるやつです。あのとき、命がけの走法というものを会得したんです。
追っかけっこが続きました。下りは向こうが有利ですから、上り坂を選んで進みました。粘液を出す変な建物の入り口があったら入れば良かったのかもしれませんが、それらしいものが見当たりません。それに、入るのも怖いです。安全だと思って、逆に口の中に自ら飛び込んでしまうんじゃないかって考えたのです。色々、考えてしましたよ。この建造物が栄養を取り入れる触手で、後ろで追いかけてくる奴らが獲物を駆り立てる勢子なんじゃないか、とか。
建築物の密林を抜けたところに、一際大きな建造物がありました。白亜のピラミッドです。頂点の辺りに一つ目が浮かんでいました。瞼は閉じられていました。そうでもなければ、そのピラミッドに近付こうなんて思いません。どうして、そこを目指したのか? 実は、よく分からないのですけど、何か自分を呼んでいるような気がしたのです。ええ、僕を呼ぶ声が聞こえたのです。近くに行くと、ピラミッドの下の方に扉が開いているのが見えました。あの扉の向こうへ逃げ込むことが出来たら、生き延びられる! そんな確信を抱きました。勿論、根拠はありません。狂気ですよ。僕はあの時、狂気の領域にいたんです。そんなの、おかしいだろ! ってことが連発しているわけですから、正気を保てなくなってきているんですね。呼吸するごとに、息を吐くたびに、理性も肺から放出されているって自覚、ありました。それでも、生き残るには、アソコに入るしかないって思いこんで、駆け抜けました。扉の向こう側へ。そこに飛び込むと、すぐに扉が閉じられました。中は、最初は暗かったのですけど、目が慣れてくるにつれて内部が見えるようになりました。私が入ったことで、センサーか何かが反応したのかもしれません。そうしたら目に入ったのが、キラキラの壁でした。眩い。眩し過ぎて、目が開けられないんです。キンキラキンの金属、きっと黄金だと思うんですけど、それと銀とか、そういった貴金属でピラミッドの内部は出来ているのかな、と思いました。とにかく眩しいんです。眩しくて辛いから、何とかならないかな、と思ったら光が弱まりました。キンキラキンの壁が発光して照明となっているようで、それが適切な明るさに調整されたようです。僕は考えただけです。口には出さないのに、気持ちが通じたのです。これって、テレパシーですか? 禁断のテレパシーですか! まあ、はっきりしたことは知りませんし、何も分かりませんけど。
内部へ通じる廊下がありました。僕、とにかく基本、小心者なので、そこでも迷ったんですよ。中に進もうか、どうしようかなって。僕を追いかけていた連中だって、中に入れないのなら諦めるじゃないかな。そういった期待があったんですよ、淡い期待が。裏切られましたね、その期待。しばらくすると扉の外側をガリガリ引っ掻く音が聞こえてきて、あ、これは中に入ろうとしているんだと思い至った瞬間、もう駄目です。小心者の神経が、奥に進むことへの不安より、外にいる奴らに貪り食われるこのへの恐怖に耐えられなくなったんです。こうなったらもう、前進あるのみでした。ピラミッドの内部へ突き進むのです。
ピラミッドの中は迷宮になっているようでした。でも、私が迷うと矢印で進行方向が表示されたので、正しい方へ進むことが出来たみたいです。中に進むにつれて、壁の装飾が凝ったものになってきました。最初の方は、何の装飾も施されていないキンキラキンの壁だったのですが、そのうち果樹の浮彫とか数種類の変な生き物とかの像――その一つは、僕を追いかけ回した奴の彫像でした――が、壁から出て空中にふわりふわりと浮かんで、そのうち壁に戻るという無意味な動作を繰り返していました。試しに一つ二つ手に取ったら、痛くも痒くもなかったので、持って行くことにしました。金目の物だから持って行こうとしたのではありません。化け物に遭遇したらぶつけてやろうと思ったのです。ほうら、僕、草野球チームのエースをやっていたじゃないすか。自分の投球には自信があるんです。果物も化け物の小像も、金属の塊で重かったですから、あれをぶつけられたら相手は、たまったもんじゃないと思いますよ。命中したら、の話ですがね……そして僕は遂に、一番奥まった領域に入りました。驚きましたよ、あの三人がいたんです。ベッドのような石の台座に横たわってしました。僕は駆け寄りましたよ。そうしたら――
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