僕を呼ぶ声、私の叫ぶ声

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 そこで映像が止まった。誰かがストップボタンを押したのではなく、勝手にフリーズしたのだ。アホな話を延々と続けた狂人の顔面アップに耐えられるほど私の美的センスは図太くないので、タブレットパソコンのディスプレイから目をそらし船窓から海を眺めた。冷房の効いた船室から見える夏の海は素敵だと思った。それからテーブルに置かれたスコッチウイスキーのグラスを手に取る。誰ともなしに「乾杯」と言ってグラスの酒を啜る。うむ、美酒だ。さすが、犯罪組織のドンは良い酒を飲んでいる。  ドンも自分のグラスを握り締めているが、飲もうとしない。こちらの顔を見て、こう訊いてきた。 「どう思う?」 「どうって言われても」 「事実だと思うか?」 「全然」 「そうだろうな、そりゃそうだろうよ」  訊くまでもない質問だった。私はグラスの酒を一口飲んだ。ドンと私の間で、モーターボートを運転したイケメンがタブレットパソコンを操作している。私は彼に尋ねた。精いっぱいの女らしい声色で。 「映りそう?」  彼は私を見ずに答えた。 「しばらくお待ちを」  手持ち無沙汰な時間が流れる。携帯ゲーム機を持って来れば良かった。ドンが煙草を出して私にも一本くれた。卓上のデカいライターで火を点ける。私は紫煙を吹かしたが、ドンは口に銜えたままだ。銜え煙草でぽつりと言った。 「会ってもらえないだろうか」  一応、訊いてみる。 「この男?」  ドンは頷いた。火の付いていない煙草を指に挟み、深い溜息を吐く。 「会って話を聞いて、正気なのか狂気なのか、見極めてもらいたいんだ」 「それは医者の仕事だろう」 「精神科の医者に診察してもらって、専門の病院に入院している」 「じゃ、本物だよ」 「医者もそう言っている」 「問題無しだな。これ以上、悩むような問題があるのか」  火の付いていない煙草を灰皿に置くと、ドンは立ち上がた。金庫へ向かうドンの背中が小さく見えた。若い頃は日本代表に選ばれたラガーマンだったとかヘビー級のボクサーだったとかいう大男だが、寄る年波には勝てないのか。それにしても金庫の番号が見えないのは残念だ。畜生、扉を閉めやがった。  金庫の前から戻ってきたドンが両手に握り締めた紫色の布を丁寧にテーブルの上に置く。椅子に座って灰皿の煙草を再び銜える。火を点けてやろうかと卓上の重いライターを持とうとしたら、首を横に振って断ってきた。 「その布を広げてくれ。ただし、煙草は灰皿に置いてからな」  言われるがまま、煙草を消して紫の布切れを開く。金ぴかの変な小像が出てきた。触るのも嫌なくらい奇怪な見て()れの彫刻品だ。 「これは……ガーシャとかいうインドの神様の像かな」 「惜しい。ガーシャ、それはちょっと違う。正しくはガネーシャ。だが、ガネーシャだとしても、それは不正解だ」  そんなに大きな違いだとは思えないが、抗弁はしない。 「じゃ、何なのよ?」 「分からない」  ドンは無言で小像を見下ろしている。これが静かなるドンというやつか。やがて、その沈黙が破られた。 「さっきのビデオに出ていた男の持ち物だ。当人も何だか分からないという。だが、ビデオの話に出てきたピラミッドから持って来た物なのは確かだそうだ」 「ピラミッドの壁から浮かんでは戻りしていたとかいう、アレ?」 「そうだ、うん……多分、そうらしい」  ドンも半信半疑なのだ。あの意味不明な戯言だけを聞いたら大笑いだけど、実際に実物を見せられると笑ってばかりもいられなくなる。私はシケモクを銜え、重い卓上ライターで火を点けた。 「正直、何が何だか分からない。もっと詳しい話を聞かせてくれ」 「あたくしの方からご説明を致しますわ」  別の船室へ通じるドアが開き、ドンの妻が現れた。しゃなりしゃなりとした足取りで部屋を横切り、備え付けのバーからカクテルの小瓶を取り出し、グラスに注ぎ、一息で飲み干す。良い飲みっぷりだった。それでいて、崩れたところがない。顔を合わせるたびに、いつも思うのだが、犯罪組織の親分の妻にしては気品がある。だが、長く話をしたことはないから、その中身までは分からない。どういう人間なのだろう? 「まず、現在の状況からお話しします。その像の持ち主は、あたくしの大伯父様が理事長をなさっている大学病院に入院しておりますの。体の方は、だいぶ弱っておりましたけれど、回復してきました。ですが、心の方は、まだ治ってきたとは申せません。先程ご覧になっていただいた映像のような幻覚妄想を信じています。大学の先生方は、それらの症状が落ち着くまで、入院を継続すべきだと仰っています」  私は口を挟んだ。 「医者の先生たちは、この像をご覧になったのですか?」  マダムは首を横に振った。 「見せておりません。これを見せると先生方も混乱してしまうでしょうから」  そうだろう、と私も頷いた。勿論、すべての話がでっち上げで、この像も玩具という可能性が最も高い。だが、像を見てみると印象は変わる。 「この像の金属、何なのでしょうね?」  私の質問にドンが答えた。 「あれは金だと信じているが、金ではない。金より美しく光り輝く。そして金より遥かに重く、硬い物質だ」  夫の隣に腰を下ろし、マダムが付け加える。 「しかるべき研究施設なら、その正体がつかめるかもしれません。ですが、それは藪をつついて蛇を出す結果になりかねないかと思いました」  この金属がもしも貴重な物質で、莫大な儲けになるとしたら……そのサンプルを他の奴らに与えるのは、まさに藪蛇だ。私は煙草を根元まで吸い、灰皿に押し潰した。 「で、例の男に話は戻りますが――」  そのとき、タブレットパソコンを調整していた男が「画像が動くようになりましたが、ご覧になりますか?」と訊いてきた。  その男の働きぶりに対し、私は感謝の意を伝えた。もっと伝えたい想いもある。感謝の気持ちより、もっと強く、深い心情、それは、愛!  しかしパソコンを直してくれた男は、私が彼に対して抱く愛情に気が付いていないようである。溜息が出そうだ。これが世の中というものよ……なのか?  それはさておき、①ビデオの続きを見るか、②ドン夫妻との話を続けるか、読者諸君、好きな方を選び、その番号が記されたページを捲るがいい。
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