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悪い子ちゃんな理由
「お部屋に入りましたら内鍵がございますので。お渡しした鍵でしっかりと施錠をして下さいませ」
「はぁ……施錠っすか。そりゃまた何で?」
「人気の蛍ともなると、下のような者達の扱いはさせられませんので」
「それ答えになってませんよ。施錠しなきゃならない理由を聞かせて欲しいんですけど……」
「申し訳ありません。これ以上はお答えしかねます」
「そうっすか……」
仲間の二人と離れ、白狐面の男は色とりどりの蹴鞠が描かれた大襖の前で立ち止まっていた。
静寂に支配され、暗闇に包まれた廊下。白狐面の背後には黒子が微動だにしないまま、跪いてる。その状況が彼に計り知れない程の圧を掛けていた。
(緊張で胸焼けしそう……)
それでも、入らねばならぬ理由がある。彼は覚悟を決めて襖に手を掛けた。
そうして開いた襖の先は、月明かりしか光の頼りがなく、視界に映る全ての物が黒に塗れて感覚的にしか捉えられない。
「どうぞ、ごゆっくりお楽しみ下さいませ」
静かに襖が閉められ、彼は息を呑み、蛍が入った瓶で辺りを照らそうとした。刹那。
「鍵……ちゃんと閉めた?」
「へっ……」
ふんわりと耳を掠めた女の声に、彼は思わず息を止め、肩を強張らせた。その人物を凝視してみるが、やはりシルエットばかりで顔は見えずにーー
「ちゃんと閉めないと、万が一があるからね」
(まさかっ……まさか、だよな……?)
聞き覚えのある声。畳を擦るように近付いてくる足音に、心拍数を煽られる。それが止んだ瞬間、舞ったシトラスシャボンの香り。蛍の光が、白狐面の隣に来た女の姿を見る見る照らし、露にしていく。
「ようこそ、闇蛍屋へ」
私が姫蛍のヒメ……よろしくね?
(あぁ、やっぱりーー)
闇中にあどけなく咲いた笑顔と、傾げられた首。
その空色の瞳に、白狐面の彼は手で口を塞ぐしか出来ず……ごくり、固唾を呑んで。急速に込み上げた緊張感からか、変声機を強く握り締めた。
「えっと……、鍵ですね。解りました」
鈍く曇ったような声に違和感を覚えつつ、補助鍵を掛け、南京錠に鍵を差し込む。すると、「ふふっ」とした可愛らしい声が彼の耳を抜けて行った。
「初めてだよね、会うの」
「えっ、えぇ。そうですね」
前のめりで顔を近付けられ、彼は思わず腰を引かす。ヒメの強い眼差しに鼓動を壊されそうだった。完璧な変装。けれど、もしかしたら正体を見抜かれたんじゃ……なんて、不安ばかりが彼を後退りさせる。
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