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 猫塚くんは喫煙者だ。大学生の頃にサークル仲間に勧められるまま吸ってみたところ、気付けば止められなくなってしまったらしい。  現在に至るまで、禁煙の試みは成功していないようだ。4ヶ月の間に禁煙開始の宣言は何度か聞いたが、その誓いは最長でも2日以内に破られている。  ただ、今回に関しては、喫煙の習慣が良い方向に働いた。  この職場には愛煙家が多く、それゆえ未だに建物内に空調の効いた喫煙室が健在だ。人事課長もまた、その常連のひとりである。四十がらみで暗い色の毛並みをした熊族(くまぞく)で、毎日だいたい10時過ぎに一服するのが日課になっている。  人事課長が一服をはじめるのと同じタイミングで、猫塚くんも入っていった。  ねぎらいの言葉をかけながら、自分も一本吹かす。誰しも、こういうところでは気が緩むものだ。  最初は今日の天気とか、当たり障りのない話から始めて、徐々に目当ての――つまり(わたし)の住所地に関する話にまで運んでゆく。    人事課長はわたしの住んでいる場所を覚えていた。  というのも、獣人ばかりが住む古森区逆泉町(ふるもりく・さかいずみちょう)で暮らす人間種など珍しいのだろう。種族分離政策が廃止されて何十年も過ぎた今も、種族ごとにまとまって住む風潮は健在だ。たとえば、高台にある高級住宅街には人間種の邸宅ばかりが立ち並び、獣人その他希少種族の入居は何かと理由を付けて断られているように。    鴻という社員は逆泉町のはずれにある一軒家でルームシェアをしており、その家もまた別の人物が所有しているのだと、気の良い壮年獣人は吐き出す煙とともに語ってくれたという。  聞き手としては、人事課長が個人情報保護の観念が緩いのはいかがなものかと大いに思う。ともかく、コンプライアンスゆるゆるな彼のおかげで猫塚くんは必要な情報を手に入れることが出来た。  同居人は柴本という名の犬狼族で、便利屋を営んでいることを既にわたしは猫塚くんに話をしていた。  端末を取り出し、住所地ほか幾つかの情報を検索エンジンに入力すると、該当する情報はすぐに出て来た。  人事課長が退出し、ひとりになった喫煙室の中、猫塚くんは会心の笑みを漏らした。が、通話する時間まではなさそうだと判断して、吸い殻を灰皿に押し付け、空調の唸る狭い部屋を後にした。
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