彼を愛した前夜祭6

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彼を愛した前夜祭6

 昨日ひいひい言いながら準備をした屋台へ向かうと、同じ学部の晶が小柄な身体で豪快に焼きそばを作っていた。  平均身長に届かぬ同級生は可愛い見た目に反して頼もしい戦力であると同時に、格好の看板役でもある。  今も流れ行く人々の視線を一身に集めている。  「晶ー、焼きそば一つちょーだい」  「突然来ていきなり強請るってどうなの。ちょっと待って、今詰めてるから」  「はーい。青海苔多めね」  「注文すんなって。つーかお前、アヤさんと一緒じゃいなんて珍しくない? 喧嘩でもした?」  「……してないし。四六時中一緒ってわけじゃないんだから、別行動でもおかしくないでしょ」  「ふうん、まあいいけど。はいどーぞ」  「どーも」  屋台の横に積まれた空き箱に腰掛け、どこか懐かしい味のする焼きそばを掻き込む。  明日は昼前に例の部室でアヤさんと落ち合う予定だ。  あんなことをした後だけに、断られるのを覚悟で待ち合わせの確認をしたところ、可愛い兎が敬礼しているスタンプが返って来た。  彼なりの気遣いなのか、反射的に送ったのかは分からないけれど。  予定通りに合流出来たら、今みたいにふらっとこの屋台を訪れて、普通の焼きそばなのに美味しく感じるよね、なんて笑いあえたらいいな。流石に都合が良過ぎるかな。  ぽやぽやふわふわ意識を飛ばす癖のある彼だ、口許に青海苔をつけたりするかもしれない。それはそれで可愛らしい。  明日の予定とアヤさんの天然さに胸をほこほこ温めていると、  「あのー…おひとりですか?」  「良かったら一緒に回りません?」  見知らぬ女性たちに声をかけられた。  上がり始めていたテンションが、再び落ちて行くのを感じる。  焼きそばのソースに混じる甘ったるい香水の匂いがまた、不快感を更に加速させた。  単純に合わないと言うより、心待ちにする明日を汚されたようで腹が立つ。  返事をするのも億劫で、俺は残りの焼きそばを黙々と平らげていく。  視界の隅で女性たちが困惑しているけれど気にしない。彼女たちだって断られる可能性は考えていた筈だ。無視したところで問題ないだろうと自身の行動を正当化する。  罪悪感? そんなものは無い。  無言で箸を動かしていると、俺の前に小振りな影が落ちた。  晶だ。  「おねーさんたちごめんね、こいつまだ仕事中なんだ。悪いんだけどさ、他当たってもらえるかな?」  小柄で可愛い見た目が功を奏したのか、元気を取り戻したおねーさんたちが「えーっ」だの「やだ、ざんねーん」だのきゃいきゃい言う。  媚びを売るようなねっとりとした話し声に、眉間の皺が深まった。  あざといところも可愛いね、なんて思いもしない。  俺の中でそれが許されるのはアヤさんだけ。  傍にいたいのも付き合いたいのも、無意識の上目遣いにときめくのも。悪戯っ子な顔に破顔してしまうのだって——全部ぜんぶ、アヤさんだけ。他は要らない。  割り切った関係すら受け入れるつもりはない。  ——つーか、普通に無理だし。  そんなことを考えているうちに、おねーさんたちは姿を消していた。代わりに残念な子を見るような顔をした晶が仁王立ちしている。  逆ナンお姉さんズを見事遠ざけた無自覚フェミニストは、腰に手を当て、わざとらしく溜息をついた。  「相変わらずモテるね、この色男。素材は良いんだからもう少し社交性を身につけろよ」  「うっさいよ。あと、逆ナンも告白も全然嬉しくないから。一々断るの面倒くさいんだよなぁ」  「うーわ、凄い科白。一度でいいから言ってみたいよ」  「言えばいいじゃん」  「言えるか馬鹿」  晶の揶揄に渋面して見せるも、あっさり切り捨てられてしまった。  これだから人混みは嫌いなのだ。  興味の欠片も無い相手に言い寄られたところで、全く嬉しくない。寧ろ迷惑だ。  やはり空き部屋で食べればよかったかと後悔し始めた時、  「あ——、」  視界の端に、想いを寄せる彼の姿を捉えた。  見間違えるはずがない。  人混みの中で眉尻を下げ、ふにゃりと力の抜けた可愛い笑顔。  アヤさんだ。  なら隣を歩く長身の彼が例の恋人くんか。  視線をずらして恋人さんへと焦点を当てた瞬間、俺は上手く言えない圧迫感に襲われた。 「うわ、いかつ…」  聞きしに勝る逞しさだ。人混みの中にあっても十分に判る。けれど気圧されたのは外見ではなく、恋敵の纏う空気の方。  アヤさんが好きだと全身で訴えている、それ。  彼の隣に在れることが嬉しいと、その場所にいられることが愛おしいと、恋人さんの纏う空気が言っている。  俺と恋人さんの差は矢張りこれなのだ、とぼんやり思った。  土台をしっかり築き上げてから想いを告げたいと、仲の良い後輩の仮面を被り続けた俺。  好きな人に好きと言って何が悪い、とでも言い放ちそうな恋人さん。  勝負の分かれ目は、やはりここだったようだ。  俺はアプローチの仕方を間違えたのか。  「きっついなぁ……」  話で聞くだけだった昨日までと実際に眼にしてしまった今とでは、心の痛み方が全然違う。  苦しくて、辛くて、痛くて——悔しい。  なのに眼が離せない。  幸せそうに笑い合う二人の姿へ、視線が勝手に向かってしまう。  不意に恋人さんが、アヤさんの耳元で何かを言った。  それを受けたアヤさんの顔に恥じらいの色が走る。  彼は僅かに逡巡する素振りを見せた後、淡く表情を緩め、連れの腕を引いて方向を変えた。  どくん、と胸が嫌な跳ね方をする。  アヤさんの向かう先は——使用されていない旧サークル棟。  恋人と二人、人の寄り付かない場所へ行ってどうするのか、なんて。  それこそ答えは一つだろう。  口の中が急速に渇いていく。指先は冷えて悴むのに、頭の芯はひどく熱い。  刺々しさを含んだ焦燥感に急き立てられた俺は、彼らから目を離さぬまま空き箱の山から腰を上げた。 「……晶、」 「なにー?」 「これ捨てといて」 「はあ? って、おい! 傑ッ——そんな顔して何処行くんだよ!」  背後で晶が何か言っているが、聞えない振りだ。  あんなに嫌遠していた人混みへ迷いなく突っ込んで行く。  迷惑そうな顔や驚く人たちを掻き分け、俺は彼の元へと一直線に向かった。  ——初めて見たのだ。  幸せをそのまま形にしたような、蕩けそうな笑顔を、初めて見たのだ。  いじらしく腕を引くアヤさんの顔が、『恋人』としての彼の顔が、眼に焼きついて離れない。  やっとの思いで抜けた人混みの先に見えたのは、本部棟の脇を曲がった抜け道を進む二人の背中。  まるでそれが自然であるとでも言うように寄り添い歩く二人を眼にした瞬間。  身体の奥で熱いものが破裂した。  「——アヤさんっ!」  遠ざかって行く彼へ駆け寄り、細い腕を掴む。  振り返った表情は、驚愕。  形の良い頭を衝動のまま引き寄せ、すぐる、と動く唇を奪った。  ぬるま湯のような世界の崩れる音がする。  前夜祭で十分愛したじゃないか、と止める自分は霧散した。  後に残ったのは、腕に抱くだけと嘯いて抱き締め続けた、狡い男。  その狡い男が今度は、平和で愛しい世界を踏みにじりにきた。罵声と共に拳が飛んで来てもおかしくない、酷い仕打ちだ。  それでも他人想いな彼は、俺を突き放しはしないだろう。  あなたの優しさを利用する俺を、許して欲しいなんて言わない。  ただ。  あなたが欲しい。  それだけなんだ。
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